2.馬車の中で〈数カ月後 アルフレイム新暦320年〉

「ようやく撒けたか……」

ブルライト地方のユーシズ魔導公国の借金取りから逃げてきたバズは馬車道の脇で寝っ転がっていた。

依頼をこなして借金を返すつもりだったが、悪徳商人のせいで金利が膨大に膨れ上がっていたのだった。

夜中に商館にこっそりと忍び込んで担保にされていた自分のロングアックスをどうにか見つけることはできた。そこまではよかったのだが、窓から飛び出そうとしたところでなにかの瓶が入った箱を倒してしまい大きな音を立ててしまった。ちょうどその音を聞きつけ、商会の連中が現れたのは運が悪かったとしかいいようがない。どうにも厄日かもしれなかった。

「幸運の神もそこまでは味方しちゃくれねぇか……」

バズは天を仰ぎながら耳の後ろをなぞる。

「ったく、得物がなきゃ碌な依頼もこなせねぇってのによ」

どうにか取り戻した相棒の柄を撫でていると、腹の虫が空腹を知らせた。すでに日は昇っており、昨晩から何も口にしていない。

「ともかく腹が減ったな……」

こいつを売ったらどれくらいになるだろうか……と、思いながら地に伏していると、ハーヴェス王国へと続く方から馬車の音が聞こえてきた。

冒険者たちが国間を移動するためによく使う乗り合い馬車だ。

見ると荷台が斜めに傾いており、快適な旅ができそうではない。

だが、安宿一晩分で国の間を移動できるのだから、不満を言うのは贅沢というものだろう。

バズは少し考えて頷く。

「一芝居打つか……」

通り過ぎるところで声を上げれば、中の者も出てくるだろう。

蛮族から逃げてきたようなフリでもすれば持ち合いがなくても乗せてもらえるに違いない。

そう思ったバズだったが、馬車はバズの前で不意に止まった。

天幕に覆われた荷台の中で誰かが御者に止めるように言ったようだ。

そして、荷台より真珠色の髪の少女が降りてきた。

腰まであるような透き通った麗髪、その髪とは対照的な赤い瞳、そして頭には特徴的な花がその存在感を示している。

その歩く彼女の姿は、まさに白いコデマリといったところだ。

おそらく馬車を止めたのは彼女だろう。

やがて、彼女はバズに近づくと手を差し伸べた。

「あんた、こんなところで何してはりますの?蛮族の餌にでもなりたいんか?」

「……!?」

彼女の小さな唇から飛び出した妙な口調に驚く。

だが、バズはチラと彼女の耳についているイヤリングを確認して、演技の方向性を変えることにした。

「み、水…」

喉が乾いていたのは本当だ。真実を混ぜれば演技も本物に近づく。

彼女は本当に心配したような様子で言った。

「【ヒールウォーター】か【ピュリフィケーション】あたりができればええんかったんやけどなぁ……。馬車の中にならあったはずどす」

しめた!と思いつつも悟られないように苦しんでいるフリを続ける。

「馬車に入れてくれ……」

バズはそう言いながら彼女の手を取った。


***


バズがキングスフォールを出発して数ヶ月が経っていた。

冒険者の生活に慣れず、金がないというのに酒と煙草をやめることができなかったのだ。どうにも首が回らなくなり、ついに賭け事に手を出してしまった。しかし、そううまくはいかない。

なくなった生活費と資金を工面しようと方々の伝手をたどり借金を繰り返すも、最後に借りた商会がガーロン以上に悪徳でしつこい連中だったのだ。その結果が今の惨状だ。

この数ヶ月、お告げの内容については全く手がかりがなかった。

仲間となれそうな冒険者も、盗賊王についての情報も何一つ得られていなかったのだった。


***


馬車に乗り込むと中には彼女の荷物があるだけで、誰も乗っていない。

「他に誰もいないのか?」

「ええ、御者はんがハーヴェスから帰るところをお願いして乗せてもらっとります。その分安くしてもろうたから運がよかったわぁ」

彼女は文字通り花が咲いたように相好を崩した。

(頭に花……この女は【メリア】か)

【メリア】

植物から人の形を取った珍しい種族だ。多くは森林に住み、妖精や自然を共存して生きている。もとが植物とはいえ、肉や植物でも普通に食べるため生態は他の人族とほとんど変わらない。一つ特筆することがあるとすれば、生きていくための睡眠が必要ないことくらいだろう。

バズは、メリアには短命種と長命種の二種類がいることを思い出す。

前者は10年程度、後者は300年程度の寿命だ。

彼女がどちらであるか見た目ではわからなかったが。

そしてメリアには美男美女が多いという。この少女に微笑まれたら御者もきっと首を縦に降るしかなかったのだろう。

水袋を受け取り、一息で飲み干す。

彼女はその様子を見て微笑み、バズへと訊ねた。

「どうして、あんなところで寝てはったん?」

バズとしても彼女に聞きたいことだらけだったが、ひとまずここまでの経緯を話した。

……ふんだんに脚色を盛り込んで。

(まぁ、5割くらい真実だからいいだろ)

「それでどうにか逃げてきたってわけだ」

彼女はそれを聞きながら何度も頷いていた。

「それは許せへんどすなぁ。せっかく人助けしたのに、借金を勝手に増やされたせいですっからかんにされてまうなんて!」

どうやら信じ込ませることには成功したようだった。

(見た目通りちょろそうだな)

次はバズが彼女に質問をする番だった。

「なぁ。お前、その口調はなんだ?」

聞きたいことは他にもいくつかあったが、その聞き慣れない口調がさしあたり疑問だった。

だが、彼女はいきなり「お前」と言われたことが気に食わなかったようだ。

「お前じゃありません。うちの名前はペルラ、ペルラ=キルヒアイスどす」

「キルヒアイス?じゃあやっぱり【賢神キルヒア】の神官ってことでいいのか?」

バズは再びペルラの耳に視線を向ける。そこには水晶の玉のようなものをかたどったイヤリングがあった。それは【賢神キルヒア】の聖印だ。よくよく見れば彼女の白と緑のワンピースも神官らしい装飾がされている。

「ええ、ちょっと前までハーヴェスのキルヒア神殿で神官をしとりました。口調も名字もそこの司祭はんからもらったんどす」

妙な話だ、と思いつつもバズはさらに問いかける。

「それで、今は冒険者ってことか?わざわざ冒険者になるなんておかしな神官サマだな」

「ええ、人助けしたのに道端で飢え死にしそうなタビットと同じくらいおかしいやろ?」

ペルラはバズに軽口を叩く。

意外とこういう嫌味も言うようで、彼女に少し親近感が湧く。

「そんで、あんたの名前は?」

フッ、とまだ名乗っていなかったことに苦笑する。バズは少し考えてから一つの名前を口にした。

「……バズ、バズ・ブラウンだ」

それはバズが劇団員をやっていたときの芸名だ。今の彼にとってはもはやそれが自分の本当の名前だった。そしてもう一つ、この名を名乗る理由があった。

「ブラウンやて?!……もしかしてあんた、あのブラウン家の?」

ペルラがその名字にいたく反応を示す。それはバズの思惑通りだった。勉強熱心なキルヒアの信徒ならばきっと知っているに違いない、そう思ったのだ。澄んだ瞳を潤わせて驚きの声を漏らすペルラに、小さく口角をあげて頷く。

このアルフレイム大陸より遠く離れた大陸で人々の伝聞によって広まった英雄譚がある。20年ほど前に、蛮族の領地であるレーゼルドーン大陸エイギア地方を侵攻し、人族の領土を広げていった英雄たちの物語。それが、

「ほんまに【エイギア英雄譚】に出てくるタビットの家系……」

【エイギア英雄譚】

クローシェンデ劇場で最も人気のある題目の一つだった。

これがバズ・ブラウンを名乗るもう一つの理由だった。かつての英雄の家系を名乗れば多くの場所で便宜を図ることができる。この数ヶ月間、ほとんどその偽名で食事にありつけていたと言っても過言ではない。

しかし、一つだけ誤算があった。

「せやったら、【エイギアの十傑】について知っとりますか!?」

予想外の食いつきを見せるペルラ。バズは不審に思いながらも再び頷く。

【エイギアの十傑】。エイギア英雄譚で武名を轟かせた十人の英雄たちへの呼称だ。バズにとってそれは知っているなんてものではなかった。数ヶ月前まで自分は舞台の上でだけその十傑の一人だったからだ。

「こんなところで……会えるなんて……」

ペルラは唐突にバズの手を握り、嬉しそうに上下に振る。その瞳は潤いを増し、今にも涙をこぼしそうなほど感動しているようだった。

「十傑がどうかしたんだ?神官サマ?」

想定外の反応を見せられたためどこかでボロが出ないようにしなくては、などと考えつつペルラへと理由わけを訊ねる。

「うちは、ずっとその十傑の一人を探してはります」

揺れる馬車の中、ペルラはこれまでの自分の人生を鈴の鳴るような声で滔々と語った。

「生まれたばかりの頃、一人森の中で彷徨っていたうちを助けてくれた人がおりました。そのお人がうちにキルヒア様の御言葉を教えてくれたんどす」

神の力を借りる神聖魔法のうち、他人にその信仰を与え神官へと目覚めさせる高位魔法がある。【レベレイション】と呼ばれるその奇跡を用いてキルヒアの啓示を賜った、とペルラは言葉を紡ぐ。

「生まれた理由も何もわからないうちに、”あの人“は生きる意味をくれました。ハーヴェスのキルヒア神殿を紹介してくれたのも”あの人“どす。その後は六年くらい、街の人の怪我を直したり、孤児の面倒を見たりしておりました」

だが”あの人“は自分を神殿に預けるとすぐにどこかへ旅立ってしまった、とペルラは悲しそうに言う。

「だからそいつに会うために冒険者になったってわけか」

「はい。ただ、なんも手がかりがなくてなぁ。神殿の司祭はんも、もう一度“あの人”に会えるかどうかはわからないと言ってはりました……」

だからこそ、初めて手がかりとなりそうなバズに出会ったことであれだけ喜んでいたのだろう。

(面倒なことになったな……。やっぱり今日はついてねぇ)

バズは耳の後ろをなぞりながら、考えるふりをする。

「キルヒア神官の十傑か……」

彼女の言うような英雄には心当たりが全くなかった。

十傑の解釈には諸説存在する。語る者によってどの十人なのかは異なることが多い。この手の伝説にありがちな、十人目が欠番となっているような逸話も存在する。もしもキルヒア神官の十傑が存在するのであれば、何かしらの理由で秘匿された者である可能性もあるだろう。

そのことを彼女に伝えるのは簡単だ。だが、

「もちろん、知ってるぜ」

今の自分はバズ・ブラウンだ。だからこそ、この”芝居“を続けることにする。

その答えを聞きペルラは疑念の声を上げる。

「ほんまどすか?」

「ああ、嘘はつかない性分だからな」

一世一代の大きな嘘だ。神官を騙してキルヒアから罰が下っても文句はいえまい。だが金欠で餓死しそうなのも事実だ。キルヒアには少しの間だけ目をつぶっていてもらおうと願う。

「話してやってもいいが、俺の借金を返すのを手伝ってくれ。それが条件だ」

この世間知らずそうな神官を使えば借金は返せそうだ。それに“ご先祖サマ”はブルライトで仲間を集めろと言っていた。彼女がその英雄となる仲間である保証はないが、その身分だけでも利用できるならば十分だ。

(悪く思うなよ、神官サマ)

ずっとこうやって生きてきたのだ。もしもバレそうになれば逃げればいい。ダメ押しのようにバズは甘言を嘯く。

「ついてくれば、いつか会わせてやるよ。お前の言う”あの人“に」

「……」

ペルラはじっとバズの目を見つめる。見定めるような視線に負けずバズも視線をそらさなかった。やがてペルラは諦めたように言った。

「まあ、なんの手がかりもなく探すよりはあんたについて行った方がマシやなぁ」

賭けには勝ったようだ。彼女の曇りなき瞳が呼び起こす一抹の罪悪感を無視しながら、バズは言葉をかける。

「そうだとしても、そんな会えるかどうかもわからないやつのために神官としての生活を捨てて冒険者になるなんて、やっぱりおかしな奴だ」

しかしペルラは首を振った。どこか悟ったように彼女は言う。

「そうどすか?自分がやりたいことをやるのが一番やと思います。なにもせずに死ぬのはもったいないわぁ」

その言葉にバズは今まで流されて生きてきた自分とは違うと強く感じた。可憐な少女の中に一つの強い芯が垣間見える。

「随分と達観しているんだな」

「ええ、うちにはあまり時間がありませんから」

ペルラはさらっと当然のように言う。暗い雰囲気を少しも見せず、ただ明るい調子で。その言葉でバズは気づく。

「……。お前は……短命種か」

十年程度の寿命しかないメリアの短命種。六年程神官を続けていたのだというのであれば、残りはせいぜい三年と少しといったところだろう。

「はい、それがどうかしはったか?」

しかし、彼女からはその悲哀を感じさせるような様子はない。

「いや、なんでもない」

バズはこれ以上そのことに触れたくなくなり首を振った。自分よりも老い先の短いこの少女の時間を奪ってしまうかもしれないということに気がついたからだ。自分の犯してしまった罪の重さが小さな背中にのしかかる。バズの心境に気づかず、ペルラは再び誰もが拒めないほどの可憐な笑みを浮かべ、バズへと手を差し出した。

「せやから、ちょっと間だけお供いたしますで。バズはん」

バズもその手を取る。

「ああよろしく頼む。ペルラ」


これが二人が初めて出会った日のことだ。


***


「ところで、この馬車はどこへ向かっているんだ?」

一息ついた後、バズは天幕の隙間より見える馬車道の景色を眺めて言った。

「ユーシズに向かっとります。ちょうっと人と約束しててなぁ。悪いことしとらんのやったら大丈夫やろ?」

少しも気にかけずに言うペルラの様子に対して、またも嫌な汗が額をつたう。

「……そうだな」

まずいことになった、と思いながらもバズは首肯する。自らのついた嘘が再び、自らの首を締めていた。

やはり、今日は厄日かもしれなかった。

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