第5話 アルバイト

 入り口の方で人の気配がするのをニコとトットは気が付いていたが、ガンの飛ばし合いを止めなかった。どちらが先に目を逸らすか、真剣勝負の真っ最中だったからだ。


「なんで、トットが料理してるんだよ。僕が留守の時は、大人しくする約束だったのに」


 二人同時に入り口の方へ顔を向けると、トットの息子ロットが足りない食材を仕入れて帰って来たところだった。


 この十二歳の少年ロットは、トット食堂の大黒柱である料理長なのだ。


「誰、この子? あんたの息子?」と、トットに顔を近づけたままのニコが聞いた。


「お前、顔が近すぎるよ」と、ニコの顔をトットは押しのけ「ああ、そうだ。俺の息子のロットだよ。店の料理は、全てこいつが作ってるんだ」


「じゃあ、あんたが作った料理は何だったのよ」


「俺の場合は、単なる趣味だな」と、トットは自慢げな態度を取った。


「はいはい、トットは何もするなって死んだ母ちゃんも言ってただろ。そもそもトットには料理の才能が無いから、母ちゃんは僕に料理を教えたんだし」


「ふーん、食堂の店主なのに料理の才能は無いんだ」と、ニコは嫌らしい笑みを浮かべた。


「ほっといてくれよ! 料理上手の女房が始めた食堂を手伝うのが俺の生きがいだったんだ」


 亡くなった奥さんの事を思い出したトットは、目頭を押さえながら少しばかり感傷に浸り始めた。

そんなトットの態度を無視してニコは、ロットに話しかけた。


「ねえ、ロット。不味かったけど、食事代が払えなくてごめんね。その分、何かお手伝いするから許してくれないかな」


「手伝ってくれるなら別に良いよ。それよりトットの料理を完食するなんて、よっぽどお腹が減ってたんだね」


「へへへ、もう一回食べろと言われたら無理だけどね」


「くぅー、誰も俺の料理を褒めないよな」


「そりゃそうさトットの料理は、犬も嫌がって食べないからね。そろそろ準備しなくちゃお昼の営業に間に合わないよ」と、ロットはトットを厨房から追い出した。


 駄目な親を持つ子供ほどしっかりしているものなんだわと思ったニコは、カウンター席に座り直した。


 それにしても癖の強い親子に助けられるとは、運が良いのか悪いのか。


 コップの中に映る自分の顔を見つめるニコは、ため息を付いた。


 住居としている二階から戻って来たトットは、何故か赤色のチャイナドレスを携えていた。


「そんな服、誰が着るのよ?」と、ニコは水の入ったコップに手を伸ばした。


「それは、決まってるだろ。店の手伝いをするお前が着るんだよ。死んだ女房が着ていたんだが、サイズは大丈夫だと思う」


 さらっと奥さんが着ていたとトットは話したが、もしかしたら彼には変な性癖があるのかも知れないと思いニコは咄嗟に両腕で胸を覆い隠した。


「お前、何か勘違いしていないか? これは、死んだ女房の趣味だ。東洋感あふれるエキゾチックな雰囲気の店にしたいと言い出して彼女自身が作ったんだよ」


「ほ、本当に? 私に恥ずかしい格好をさせたいだじゃないの」


「俺は、そんなつもりじゃないけどな」


 トットからチャイナドレスを受け取るとニコの目つきが変わった。


「良くも平然とそんな事が言えるわね、このスケベ親父! ここのスリットを見てよ、かなりきわどい所まで見えるじゃない、それに胸元も開いてるし。あなたは、他人に奥さんの胸と生足を見られて平気だったの」


「見られるも何も、厨房で動きやすいから長めにスリットを入れたと言ってたかな。胸元を開けたのは、えーと、確か料理してると汗をかくからだったと思うけど」


「えっ、厨房? 奥さんが接客してたんじゃないの?」


「お前さあ、さっき俺の料理を食べただろ。あの味で女房が俺に料理を作らせると思うか。俺が接客して女房が料理していたんだよ」


「亡くなった奥さんの事は、もう良い。私は、そんな服を着て接客をするのは嫌だ!」


「ふっ・・・、素人のお前に接客させる訳ねえだろ。お前は、このプラカードを持って店の前で立つだけだ。文句言わねえで、さっさと着替えて手伝えよ」


 強引に背中を押されるニコは、渋々店の奥へ入って行った。

 

 着替えたのは良いが、胸元と足元がスース―する。


 着慣れない服に戸惑うニコは、店の奥で躊躇していた。


「いい加減、出て来て早く店の宣伝をしろよ!」と、トットにプラカードを無理矢理持たされたニコは腕を掴まれ、そのまま外に放り出されてしまった。


「もう、まだ心の準備が出来てないのに。恥ずかしいでしょ」と、上目遣いでトットを見た。


「自意識過剰だな、誰も見ちゃいないよ。それより、少し腰の位置が違ってたな」


「腰の位置?」と、両腕を組むトットの視線の先をニコは見た。


 足を動かすたびにスリットから下着が見えている。


 それは、紛れもなく自分が今履いている白地にカラフルな水玉模様の入ったパンティだ。


「いっ、いやー・・・」


 バシッと、真剣な表情で下着を見つめるトットの顔にニコは平手を食らわせた。


「いきなり叩くなんて、何すんだ。いい年なんだから恥ずかしがるなよ。男の一人や二人経験済みだろ」


 この世界では、女性が結婚する平均年齢は十八歳なのだ。


 しかも相手を選ぶ際には、必ず身体の相性も確かめるのが常識なので、トットは悪びれる様子もなくセクハラじみた事を口にしたのだ。


 目を潤ませるニコは、フルフルと首を横に振っていた。


「わ、私、まだ知らないもん。城の中では、訓練ばかりでそんな経験ないもん」と、小声で話しながら鼻をすすった。


「もしかして、お前おぼこか?」


「そうですよ! 十九なのに男を知らないのは、悪い事なの」


「悪くは無いけど、言い過ぎたみたいだな。すまなかった」と、トットは頭を下げて素直に謝った。


「じゃあ、着替えて来てもいいよね」


 機嫌を直したニコは、店に戻ろうとトットに背を向けた。


「ちょっと待て。そう言う訳にはいかないんだよ。今日の稼ぎは、俺達の明日の糧になるんだ。飯が食いたけりゃあ、四の五の言わずに働け」と、力強くニコの肩を掴んだ。


 ああ、やっぱり一癖も二癖もあるお方だったんだ。


 恥ずかしいけど、客引きをしなければ許してくれないのね。


 勇者なのに、こんなにも恥ずかしい格好で働けなんて・・・。


 絶対にいつか復讐してやるんだから。


 そんな事を考えるニコを残して、煙草を銜えるトットは店に入るお客さんに声を掛けていた。

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