第4話
仕事終わり、彩葉からデートに誘われるなんて事の全くない一週間が終わってしまった。
このままダメになるのか?
自然消滅――という言葉が脳裡をよぎる。
「松岡どうした? ここ最近暗いじゃないか? 何かあったのか?」
「川辺主任。……何もないですよ」
僕の言葉に、そうか? と川辺主任は首を傾げている。
「何なら飲みにでも行くか?」
「いえ」
そんな気分にはなれない。
「まあ、無理に誘ったりなんかしないけどさ、なんか相談事でもあるならいつでも聞くから溜め込むなよ?」
「はい」
「言ってくれなきゃ分からないからな。松岡が何を考えて、何に悩んでるかなんて。自分で持て余してる時ほど胸の内にあるものを誰かに聞いてもらった方がいいんだからな! お前わりと自分で解決しようとするタイプだろ? 話してみれば、なんだそんな事、ってなる話しもある。言葉が少ないんだよ松岡は、な?」
川辺主任は何気なく言ってくれたのだろうけど、その言葉が重みを持って僕の胸にズシンと響いた。
「ありがとう、……ございます」
「なんだ? まだ俺はお前の話しを何も聞いてないけど……」
頭をガシガシとかく川辺主任に頭を下げる。
そうだ、僕は胸の内に溜め込んだまま一人で悩んでいた。そんな事に気付かせてくれた川辺主任には感謝しかない。
失礼ながら、何も考えず能天気に生きてそうな印象のこの先輩を、この日僕は初めて尊敬した。
*
翌日、土曜日。
彩葉にメッセージを送るかそれとも電話するべきかと、かれこれ一時間ほどスマホとにらめっこしながら悩んでいた時だった。
睨んでいた相手が急に軽快な音を奏で出し、一瞬だけ驚いてしまう。
「ぅおっ、あ、彩葉……」
彩葉からの着信に嬉しさを感じる一方で、浮かれないように唾を飲み込んで息を深く吐き出し電話に出る。
「もしもし」
『あの歩くん? 今日って家にいる?』
「はい、いますけど」
『お昼から行ってもいいかな?』
「えっ?」
『用事があるなら……』
「いえ無いです。用事なんて何もないです」
何なら僕から連絡しようとしていた所で、とは流石に言えず、何時でもいいですよ、とだけ答えた。
『それじゃあ14時に行くね!』
「はい、分かりました」
彩葉が家に来る。
素直に嬉しい気持ちと怖い気持ちが半分半分なまま通話を終えると、気持ちを落ち着かせるように掃除に取り掛かった。
彩葉が来たらきちんと僕の胸の内にある不安を彼女に晒そう。格好悪いなんて言うのは多分今更なのだ。
僕に足りないのは言葉なのだから、どんなに不格好でも誠意をもって吐露すればいい。
それで二人の関係が『恋人?』というものからどのように変わろうと、受け入れるしかあるまい。
僕がどんなに彼女を好きでいても、彼女の気持ちが僕に向いてないのなら仕方ない事だ。
そう、仕方のない事なのだ……。
約束の時間に彩葉は大きな買い物袋を下げてやって来た。
その姿を見て怪訝な顔をした僕に彩葉は困ったように笑う。
「ちょっと買い過ぎちゃったかな?」
「何をそんなにたくさん買ったんですか?」
「今日はお惣菜じゃないよ……。食材を買って来たんだけどね……、あの、……良かったら作ってもいいかな?」
「は?」
唐突に買い物袋から食材を取り出す彩葉を後ろからぽかんと見つめる。
あれ? 僕がおかしいのか?
『ご飯作るね〜』みたいな雰囲気だっただろうか、僕たちは?
おかしい……。僕はどこかで別れ話でも突き付けられるのではないかと思っていたというのに……。
もしかして、あれか? 他人の手作りがダメな僕へ嫌がらせをするためにわざわざ来たのか?
いや、それは無いな。
彩葉の性格からして、嫌がらせなんて100%ない。それは断言出来る。じゃあ何だ?
――と、そこまで考えて、全て自分の胸の内で葛藤するだけで言葉に出していない事に気付く。
川辺主任の言葉がよみがえる。
『言ってくれなきゃ分からないからな。松岡が何を考えて、何に悩んでるかなんて。自分で持て余してる時ほど胸の内にあるものを誰かに聞いてもらった方がいいんだからな!』
川辺主任、その通りです。僕は胸の内で誰にも話す事なく解決しようとしていました。
それじゃいけないと、僕は彩葉の背に問い掛ける。
「彩葉、何をしようとしているのか教えてくれますか?」
ローテーブルに置いたコーヒーカップを挟んで僕たちは向き合って座っていた。
「ごめんね。……あのね、私ね、色々考えたの」
彩葉のその言葉にゴクリと生唾を飲み込む。
その先を聞きたいと思う気持ちの一方で、聞きたくないような気もしていた。頭の片隅で『別れ話』という言葉がちらついている。
彩葉の唇を注視して、こぼれる言葉に耳を傾ける。
「一緒に克服しよ?」
「え?」
飛んで来た言葉が斜め上過ぎて頓狂な声が出た。
「何て言いました? もう一度」
「一緒に克服しようと、思ったんですけど、……やっぱり無理かな?」
「何を一緒に?」
克服という単語から、まさか、ここに来て『手作りクッキー』かと青ざめながら身構える。
「ごはん」
「…………、ゴハン?」
慌てて作った心の防御壁は、別の単語が飛んで来た事で敢え無く霧散した。
「まずは、ごはんを二人で一緒に作ってみようかと思うんだよね。それで大丈夫だったら私一人で歩くんのために料理してみたいの」
「はあ」
なんだそんな事か、と深く安堵する。その提案は考えてもみなかった事だが、二人で一緒に料理するならお互いの手元も確認しあえるし、それに何より楽しそうだと思った。
「なるほど、いいですよ」
「ほんと!? 良かった〜。私ね、そのためにね少しだけ料理を習って来たんだよ!」
それを聞いて僕は、まさか、と目を見開いた。
「もしかしてそれって、あのオレンジ頭に?」
「うん。……そうなの。内緒にしててごめんね。サプライズにしたかったんだけどね、川辺に怒られちゃった。恋人同士で秘密なんて抱えるなって」
「川辺主任が?」
「うんそうなの。私たちの事心配してくれてたよ。ごめんね、私自分の事しか見えてなかった。美味しい料理作ってびっくりさせようって思ってたから歩くんには内緒にしてたんだけど、ちゃんと話せば良かったよね、ごめんね」
「いえ、僕も同じです。自分の事しか考えてなくて、なのに自分が思ってる事も感じてる事も彩葉にちゃんと伝えなかったから」
僕と彩葉の視線がゆっくり交わると、僕たちは照れたように笑い合った。
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