第2話

 月曜の仕事終わり、今日も用事があると先に会社を出た彩葉を急いで追い掛ける。

 途中まででもいいから少しの時間でも一緒にいたいと思って僕は走った。そんなに時間差はなかったと思うのだが、彩葉の背中を見つける事が出来ずがっくりと肩を落とす。

 一体どこに行ったんだ僕の彼女は、と項垂れていた頭を元に戻すと、かなり遠くの方で彼女の横顔を見た気がした。それが本当に彩葉なのだとしたら、彼女はここから二つ向こうの信号で左折したのを僕は見た。

 何の用事かと聞いても答えてくれない彼女の行き先が妙に気になってしまう。そんな僕の足は追い掛けるように動き出した。

 彩葉を見失ったその信号まで辿り着くと、そこがいつか彼女と一緒に歩いた道だと思い出す。

 あれは、そう……。

 ふたりの誕生日を祝ったあのの店に行く道だと。



 【キッチン みやび】の前でしばし立ち尽くしていたのだが、彩葉が本当にここに来たかは分からない。どうするべきかと悩んだ僕の視界にこじんまりとしたカフェが見える。

 オレンジ頭の店に一人で入る勇気はないが、見知らぬカフェなら余裕で入れると僕は背筋を伸ばしてそのカフェに行った。

 彩葉があそこで夕飯でも食べて出て来るなら待てばいいと思ったのだ。だから僕はアイスコーヒーとサンドイッチを注文して、店の外が見える窓際の席に座る。

 しかし、一時間経っても出て来ない。

 それならあと30分だけ、と時間を制限する。もしかしたら【キッチン みやび】そこにはいないかもしれないのだから無闇に待つ必要はないだろう。


 そんな30分さえすぐに経つ。

 仕方ない、とばかりに鞄を持って立ち上がりカフェを出た。もう一度だけと言うように僕は【キッチン みやび】に近付き伺うが中の様子は見えないので何も確認のしようがなかった。

 ただ入りさえすれば確認は出来る。だが入る勇気のない僕は踵を返して帰るしかない。くるりと反転して足を踏み出す。


「はあ」


 熱気を孕んだ空気に溜め息が混ざり落ちた。 

 その時、ありがとう、と言う彩葉の声を聞いた気がして素早く後ろを振り向く。やはりここにいたのだ。

 扉から出て来た彼女を見て、彩葉、と声を張り上げようかと思ったが、それには少し遠く躊躇っていると【キッチン みやび】からもう一人オレンジ頭まで一緒に出て来る。


「じゃあまた明日な」

「うん、明日もよろしくね!」


 親しげに笑い合う二人を見て胸がぎゅうと痛み出す。それに『また明日』という言葉も引っ掛かった。

 ここ最近、彩葉はここに来てオレンジ頭に会っているのではないだろうか?

 だから仕事終わりに僕とはデート出来ないのだ。

 彩葉だけは他の女とは違うと思っていたのに、僕の中の最悪な女と重なる。

 僕と父さんを捨てた母――僕たちを裏切り捨てて別の男の元へ行ったあの女と、僕を捨てて別の男の元へ行く彩葉が重なってしまう。


「嘘だ……」


 震える手を押さえて咄嗟に物陰に隠れた。


「嘘だ……よね?」




『おかあさん、まって』


 遠い日の記憶がよみがえる。幼い自分が伸ばした手が母に届く事はなかった。母の唇に塗られた血のような赤の鮮烈を思い出す。

 今度もまた僕の手は届かないのだろうか。

 そのまま足が地面に縫い付けられたかのように、しばらく動く事が出来なかった。






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