第3話

 外回りに出ようと部署を出た所で後から、おい、と川辺主任に呼び止められる。


「駅まで一緒に行こうな、俺も外回り。これから2件商談があるんだ」

「そうなんですね」

「あーー、あとさ松岡お前、月見里の事見すぎ」

「はっ? みっ、見てなんてないですよ」

「いいからいいから否定しなくても。好きなのは分かるけどな、それは仕事終わってからやってくれ」


 違う。

 だけど否定しても川辺主任はそう受け取らないのだろう。


 違う、違う、違う。

 好きなのは友梨で、月見里さんは……違うと思う……。


 だが最近その事に関して自信がなくなっていた。

 僕は月見里さんに対して本当はどういう気持ちなのだろう。

 向き合いたいけど、向き合いたくない。

 知りたいけど、知りたくない。


 認める?

 認めない?

 何を? 何に? 何が?


 最近、そればかり頭の中をぐるぐると巡っているのは理解している。

 だけど、違うんだ。僕は友梨を好きでいないとダメなんだ。



 水族館の日は現地集合にした。

 余裕を持って家を出たのは出たのだが、電車の乗り継ぎのタイミングが絶妙に良くて思っていたより早く着いてしまった。

 まあ。いいか。

 先にチケット買っておけば後から並ばなくても済むし、と考えてさっさと大人二枚だけ買う。


「あ、歩ー! おはよう〜」


 友梨と湊くんが仲良く手を繋いで現れる。

 あー、ほんと仲良しだよなこの二人。

 いつもはそんな二人の姿を見たら胸が苦しくなっていたのに、今日はそんな二人を見ても僕の心は穏やかだった。


「おはよう」

「彩葉ちゃんは?」

「まだ来てない」

「一緒じゃないの?」

「現地集合」

「そうなの……、もうチケット買った?」

「うん買った」

「私たちの分も?」

「なんでだよ、自分たちのは自分で買ってくれよ」

「はーい、じゃあ湊くんチケット売場に行こ〜」


 早く並びに行けとばかりに手を振る。

 反対の手にはチケットが二枚。……なんで二枚買ったんだろ?

 自分の分は自分でって自分が言ったくせに、このもう一枚は一体誰のためのチケットなのだろうか。

 と、そんな僕の視界に入ってくる、その姿に胸が苦しくなる。

 苦しさを誤魔化すようにぶっきらぼうに、おはようございます、と挨拶をして、可愛気もなくチケットを「対価」だと渡した。


 そう、対価なんだ。これは今日の対価。

 決して好意があるとかじゃない!!




 湊くんってイワシが好きだったんだな。やっぱり変な人……、と僕には全く関係ないと思っていたら、僕の彼女役が暴走し始めた。


「あ、それなら私が湊さんとここで待ってますよ」


 なんでだよ。なんで月見里さんが湊くんと残るって発想になるんだよ。

 理解不能。そして余計なお世話。お節介もほどほどにしてくれ。


「ねっ、友梨さん。私はまたいつでもここに来れますし、イワシを見てるのも結構好きなんむぐ――」


 まだ馬鹿な事を言っている彼女の口を押さえて黙らせる。


「何言ってるんです? 彩葉? ちょっと湊くんが格好いいからって、ふらふらとそっちに行かないでくださいよ。ほら彩葉は僕と先に行きますよ。友梨、じゃあ後でね。湊くんもほどほどにして、ひっぱたいてでも連れて来なよね」


 友梨と湊くんを置き去りにして、月見里さんの口を押さえたまま引っ張っていると腕を叩かれた。


「ほんと、お節介」

「なんで? 友梨さんと二人でデート――」

「しつこいですよ」


 睨み下ろすと、月見里さんはしゅんとなって、ごめん、とこぼす。


「今日の彩葉は僕とデートなんですから、僕と一緒にいなきゃおかしいでしょ。そろそろ本当に友梨に疑われますよ」

「ごめん。心配させたくないんだもんね」

「…………」


 違う。心配とかじゃない。違う、違う、違う。

 違う!!

 本当は、僕は友梨じゃなくて月見里さんが好きなんだって、もう認めなきゃならない。

 こんな胸の苦しさは友梨を想う時にはなかった。初めてこんなに苦しいんだ。苦しいのは月見里さんを想う時。

 友梨の事を好きだったのは、母親の愛情を求める代わりのようなものだったのではないだろうか。それに幼い日の結婚の約束が手伝って、ずっと叶わない恋に恋していると勘違いしていたんだ。

 それは、本当に好きの気持ちを理解したから気付いた事。

 これが本当に好きだという気持ちなんだ……。それは胸が痛くて苦しくて切なくてもどかしくて張り裂けそうになる事だった。

 気付いたら目で追っていて、見ているだけで嬉しくて、目が合えば幸せになる。そんな気持ちを僕は初めて知った。

 僕が好きなのは、友梨じゃない。貴女なんだと言うようにその手を取る。離したくなくて、はぐれたら困る、と理由をつけたけど変に思われていないだろうか。

 月見里さんの温かい手から伝わる熱が僕を優しく包み込む。

 やっぱり魔法の手だ。

 離したくない。もっと近付きたい。僕のものにしたいと、どんどん欲が膨らんでいた。まるで壊れた蛇口から水が溢れるように、僕の中からとめどなく溢れていく。






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