8.クッキーは危険です(side 歩) 第1話

 それはゴールデンウィーク半ばの事だった。姉の友梨から連絡が来たのだ。


『話したいことがあるから一度実家に帰って来てね!』


 話し……なんてろくな事じゃないに決まっている。だが帰れば友梨に会える。

 姉に会いたいなんて不純な動機だと自覚してはいるものの、やはり会えると嬉しい事に変わりはない。

 特に予定もなかった僕は翌日実家に帰ると、予想通りろくでもない事を友梨から聞かされた。


「お話があります」

「いちいち畏まらなくていいから。どうぞ」

「歩、私はお嫁に行きます」


 ああやっぱりか、と思った。


「相手は湊くん?」

「うん湊くんだよ」


 まあ湊くんなら仕方ないか、と思わなくもない。学歴もあって、常識もあって、しっかりしていて、男の僕からしても格好いいと思ってしまうのだから、湊くんなら……。

 ああでもそうか。これで僕の幼き日の夢は潰えるのだと思うと悲しくなり、同時に何も出来なかった自分に苛立つ。



――幼き日。

 家を出て行った母。

 それから再婚した父が連れてきた新しいおかあさんとおねえちゃん。

 新しい環境に馴染めない僕にいつも寄り添ってくれたおねえちゃんの友梨が大好きだった。

 僕がずっとずっと友梨を幸せにしてあげるんだと思っていた。だって幼き日に誓ったから。


『ボクがおねえちゃんとケッコンして、しあわせにしてあげるね』

『うん、あゆむとずっと一緒だよ』

『うん! ず〜っといっしょ!!』


 あんな約束覚えているのは僕だけで友梨はすっかり忘れてしまったんだ。僕はずっと覚えていて片時だって忘れた事はなかったというのに。

 かと言って姉弟という間柄ではどうする事も出来なかった。僕と友梨は姉弟という関係になった瞬間から結婚するなんて無理な話しだったのだ。

 向けようのない想いを持て余しどうにも出来ず苛立つ。


「歩は?」

「何が?」

「彼女?」

「ああ……」


 別にいないけど、今は仕事にやりがいがあるし特に必要としてない。しかし何を勘違いしたのか友梨は、今度紹介してね、と言う。


「良かった。これで肩の荷がおりるよ。安心してアメリカに行ける」

「は? アメリカ?」

「そう、アメリカに住むのよ」


 楽しみだと、微笑む友梨の顔を何度となく思い出しては悪態をつく。


「ああ、もう、クソっ」


 アメリカなんて遠いじゃないか!!

 その苛立ちはゴールデンウィークが終わっても続いていた。




 また。

 まただ。また、……クッキーだ。

 こういう好意を向ける女には注意しなければならない。

 思い出すのもおぞましい記憶が脳裡をかすめ、身震いし鳥肌が立った。そもそも他人の手作りに対して嫌悪感がある。なのに、あんな、……あんなもの――過去の事件を思い出して吐き気がこみ上げて来る。

 会社で捨てるのは先日、月見里さんに見られてしまったし。かと言って家には絶対持ち帰れない。GPSなんて入ってないと分かっているものの、100%ないとは言い切れないし、現代の技術で何がどこまで出来るか正しく理解している訳ではないから用心するに越した事はない。

 今日は午後から外回りで社外に出るし、きっとどこかで捨てる機会はあるだろうと渡されたばかりのをちらりと見ると明らかに他の人とは違って豪華にラッピングされている。

 思わず出た溜め息を吐き出していると月見里さんが結城さんに向かって、先にお昼休み入っていいよ、と言っている。

 月見里さんには特に急ぎのお願いはしてないはずだが、何かまだ終わらない仕事でもあるのだろうかと気になった。

 仕事の心配をしていた僕の隣へとこそこそやってくる月見里さんにどうしたのかと思っていると、どうするの? と小声で囁かれた。しかし、それに対する意味が分からず眉を寄せる。


「だから、クッキー」


 ああ、なるほど、と思った。前回捨てた所を見られていたので今日もまた捨てるのではないかと思っているのだろう。


「今日は捨てちゃダメだからね?」


 ほら、やっぱりな。

 めんどくさくなってため息を吐く。念には念を、で口止め料を払っておいた方がいいかもしれないと腕時計に視線を落とす。

 まあいいか、今から出ても。

 ボードに【外回り】と記入して月見里さんを連れて外へ出る。最近発見した蕎麦屋なら会社から近いし、蕎麦も美味しいし、そこなら社内の人に会う確率も低いと見て蕎麦屋の暖簾をくぐる。

 お品書きから『月見そば』と見るたびに月見里さんが浮かんでいたので、お冷やを持って来てくれたおばちゃんにそれを二つ注文した。

 さっきから何だかんだとうるさい月見里さんの好き嫌いも気にせずに。いや、気にする余裕もないほど僕は苛立っていたのだ。


「はあ。……この間のこと、見なかった事にするなら、もう放っておいてください。蕎麦も奢りますんでそれでしっかりすっかり忘れてください。それに大丈夫ですよ、社外で捨てますから」


 もう放っておいて欲しいのに、どうしてこの人はこう首を突っ込んで来るのだろう。そっとしておいてくれれば自分で解決するのに、なぜこんなに他人の事に一生懸命になっているのか分からない。

 分からなくて、面倒くさくて、苛立ちが増す。

 ゴールデンウィーク中の苛立ちの火までもがまた強く燃え立つのを感じる。


「いや、だから捨てるのは……。ちょっとどうかなと思うんだよね。仮にも結城さんは一生懸命作ってくれた訳だし、その好意をゴミ箱に捨てるのは駄目だと思うよ。ってか、奢るから忘れろってまるで買収……」

「はあ……。説教ですか?」


 ダメだ。燃え立つ火はどんどん大きくなり、自分でも抑えられない。


「せ、説教とかじゃ……。く、クッキー美味しかったよ? 捨てるくらいなら、その、ほら、私がもらってあげるよ?」

「なんでそこまでするんですか? 説教じゃなくてお節介ですか?」


 苛立つ。

 しょせんは他人の事。他人の事に口出ししないで欲しい。家族の事だってどうにも出来ないのに、他人が、……他人が、どうこうしようと口を出さないでくれ。


「結城さん可愛いし、付き合ったらいいんじゃない? お似合いだよ? クッキーも彼女の手作りなら克服出来るんじゃないかな?」


 その言葉に耳を疑い、鋭い目付きになったのは自覚するが、この人はいったい僕をどうしたいのか甚だ理解不能だった。

 蕎麦を食べ終え、まだ何か言っている月見里さんを適当にあしらうと、外回りのため駅に向かう。

 駅構内のゴミ箱を見つけると僕は鞄からを出して丁寧に捨てた。


 捨てるのだって、ちゃんと悪いと思ってる。出来るなら食べてあげれたらいいのに、と思うのだ。胸が痛まない訳じゃない。

 けれど出来ないのだ。どうしたってクッキーだけは絶対に無理なんだ。




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