第2話

 土曜。待ち合わせ10分前。改札を出るといつものスーツ姿ではなくラフな普段着の松岡くんが待っていた。

 長い足を持て余すように壁に寄りかかる松岡くんをチラチラと見ながら通り過ぎていく女の子が多くて、私はどう声を掛けたものかと一瞬悩む。

 お待たせ、なんて言ったら恋人同士みたいだし、よう、なんて言いながら片手でもあげようかと本気で考えていると当の松岡くんと目が合う。


「お疲れ様です」

「あ、あっ、おつ、……かれ?」

「なんで、そんな挙動不審なんですか?」

「えっ、えっと、その、……あっ、松岡くんの私服が新鮮で……」

「見惚れました?」

「ちがっ、……そんな訳ないじゃん」


 残念、と言いながらクククと笑う松岡くんは少し楽しそうに見える。


「行きましょうか」

「うん」

「月見里さん、その紙袋持ちますよ。貸してください」

「え、いいよ」

「手土産わざわざ用意してくださったんですよね、持つくらいしますから」


 そう言って松岡くんは私の手から紙袋を攫っていく。その時指と指がほんの少し触れて、私はドキっとしたけど顔には出さないように必死に隠す。


「マカロンなんだけど、お姉さん好きかな?」

「友梨は甘いものなら何でも食べますよ」

「そっか、良かった。苦手な人もいるしさ、和菓子にしようか悩んだんだけどね……」

「聞いてくれたら良かったのに」


 悩むくらいなら連絡しろ、とでも言いたげな目線を向けて、それから何がおかしいのかクスクスと笑っていた。


「何がおかしいの?」

「だって僕彼氏なのに頼ってもらえてないな〜と思ったら何かおかしくて。月見里さんて甘えるの下手ですね?」

「はぁ〜!? って言うか彼氏でも彼女でもないし付き合ってないでしょ!?」

「へ〜、そんな事言ってたら今から友梨と湊くんに疑われますよ。ちゃんと彼女役全うしてくださいね! そうだ、『松岡くん』なんて他人行儀に呼んだらダメですからね!」

「待って、……え、それって松岡くんも私を『月見里さん』って呼んだらダメなんじゃないの?」


 すると途端に松岡くんの目の色が変わる。


「!!!」


 絶対楽しんでる……。


「ほら今度はの番だよ。僕の名前呼んでみて。……ねえ僕の名前知ってる?」


 いつもより少し低めに囁く声がゆっくり近付いて耳朶を掠めた。

 おちょくってる事が分かるのに胸はドキドキしている。とんとご無沙汰だったからだと自分自身に言い訳して年上らしく、先輩らしく、冷静を装うと松岡くんを見上げてしっかり目を合わせた。



 お返しをするように自分でも驚くくらい妖艶な声が出ていた。しっかり目を合わせていたから見逃さなかった。松岡くんの目が驚きに見開いたこと。それからほんのり耳が色付いて、私は少しだけ勝ち誇ったような気分になる。

 悪くない、と思った。振り回されてばかりじゃないんだからねと胸を張る。


「さ、行こっか。



 てっきりお姉さんの家に行くのだと思っていたのだが、そこは松岡くんの家だという。お姉さんに「歩の家でやろう」と押し切られたらしい。

 良く言えばシンプル、悪く言えば殺風景な部屋は、ベッドにローテーブル、それに小さな棚が一つあるだけ。

 小さなキッチンにはお姉さんと湊さんが仲良く立っていた。


「彩葉ちゃん、いらっしゃい」

「はじめまして、湊です」


 湊さんは松岡くんより少し背が高く、その長身を律儀に折り曲げて挨拶をした。


「はじめまして、月見里彩葉です」


 これ、と言って松岡くんの手から紙袋を取り返し友梨さんへと渡す。


「あ、このお店知ってる! 嬉しい〜、ありがとう彩葉ちゃん」

「いえ、喜んでもらえて良かったです」

「そんな畏まらないで! 私たち多分同い年くらいでしょ?」

「同じじゃないよ、友梨が一つ上」

「もう、歩は細かいんだから。因みに湊くんは私の二つ上よ」


 若そうに見えるけど、すでに三十歳を越えている湊さんをチラっと見た。


「湊くん格好いいでしょ」


 そう聞く友梨さんに、はい、と返すが、その隣にいた松岡くんはどこか面白くない顔をしていた。


「妬かない、妬かない歩。彩葉ちゃんが湊くんに見惚れてるからって男の嫉妬は醜いんだよ」

「うるさいよ友梨」


 違う。私なんかに松岡くんは嫉妬しない。


「ほらほら歩、彩葉ちゃんに飲み物出してあげて」


 友梨さんにポンポンと背を叩かれた松岡くんはその顔を元に戻すと冷蔵庫を開ける。


「何がいい? ビールにします?」

「あ、うん。ビールで」


 松岡くんから缶ビールを受け取る横で、湊さんが次々に料理をローテーブルへ運ぶのを見て、手伝いますと申し出る。


「大丈夫、座っていてくださいね」

「はっ、はい」


 立ち尽くす私の手首を取って松岡くんが引っ張っる。


「邪魔だから座ってください」

「あ、ごめん」


 ローテーブルの前に腰をおろす松岡くんに倣って私もその隣に正座した。



 四人で乾杯したあと用意された料理を口に入れる。


「美味しいです!」

「でしょ!!」

「こんなの作れるなんて凄いな〜」


 レタスをメインに何種類もの野菜が入ったサラダに、ローストビーフに、クラッカーには三種類のチーズとナッツが乗っている。他には手まり寿司、唐揚げ、エビとブロッコリーの炒めもの、鶏のテリーヌ……。


「関心するだけ損だから、友梨が作ったのなんて一つもないよ」

「えっ!?」

「もう、言わなきゃ分かんないでしょー。そうなの彩葉ちゃん、これ全部デパ地下のだから絶対美味しいよ!!」

「さ、食べよ食べよ」

「いっぱい食べてね!」


 ススメられるまま食べていると、友梨さんが質問してくる。


「二人は同じ会社なのよね?」

「はい、そうです。同じ部署で」

「そっか、社内恋愛って大変? 隠してるの? それともオープン?」

「え、ええと、」


 チラリと横を見ると、面倒くさそうな顔をされる。だがしかし「オープンではない」と言ってくれる。それからぼそっと私にだけ聞こえるように、隠してる訳でもないけどね、と囁いた。


「そういえば、お二人は結婚されるんですよね? おめでとうございます」

「ありがとう! 式までもうそんなに時間ないし、今から引越しの事とか考えて大変なのよ」

「新居はもう決まってるんですか?」

「決まってるって言うか、湊くんの会社が斡旋してるマンションなの」

「でもそれだと安心ですね」

「安心じゃ、ないっ!」

「松、……歩くん?」


 苛立つ松岡くんに、友梨さんは苦笑する。


「聞いてない? 九月から湊くんアメリカなの。今も行ったり来たりだけど、とうとうあっちの本社に異動」


 湊さんに視線を移すと、そうだ、とでも言うように一つ頷く。


「アメリカ……」


 ああ、だから松岡くんは……。友梨さんが離れていくのが寂しいんだ。


「ごめん、ちょっとコンビニ行って来る」

「え、歩くん?」


 苛立ちを隠すことなく、でもどこか抑えるように静かに扉を閉めて出て行く松岡くんの背中を三人で見つめる。

 どこか寂しそうな背中に声を掛けることなんて出来なくて…。


「あー、俺が行ってこようか?」

「お願い湊くん、私が行っても……、だから……」

「じゃあ私が」

「いいよ、いいよ、ここは湊くんに任せて、ね!」

「はい」

「それじゃあ行って来るね」


 立ち上がった湊さんは松岡くんを追いかけるようにささっと出て行く。


「ごめんね」

「いえ……」

「私が悪いのよ」


 そう言って友梨さんはビールを全部飲み干して、冷蔵庫からもう一缶出すと私に向かって、いる? と聞いてくる。


「まだ残ってるので大丈夫ですよ」


 部屋には友梨さんが開けるプルタブの音がやけに大きく響いた。


「私、歩のお母さん代わりだったんだ」

「えっ、それって……」


 母親がいないってことですか、と聞きたい言葉を抑える。

 他人の家庭の事情を聞いてもいいのか? 松岡くんのいない所で勝手に聞いてもいいのだろうか?

 私のそんな葛藤を見て取ったのだろう友梨さんが苦笑する。


「知らなかったのね、ごめんなさい。よくある複雑な家庭ってやつなのよ。私と歩は本当の姉弟じゃない。再婚なの、私の母と、歩の父が……」


 私は本当にこのような話を聞いていいのだろうか。私は松岡くんの本当の恋人じゃないのに。

 話が、……重すぎる。

 ビールを持つ手が暑くて、缶までじわりと熱を孕んでいた。

 それでも友梨さんは私に聞いて欲しいとでも言うように話を進める。


「私は小学生で歩は幼稚園だったのよ。幼い歩はお母さんが恋しくて、だけど新しいお母さんをなかなか受け入れることは出来なくてね……。いつも一緒に遊んであげるのは私だった」


 ブロックで遊んだり、電車ごっこしたり、お絵かきしたり――と思い出す友梨さんは本当のお姉さんのように見える。


「仲良しだったんですね」

「うん。とても仲良しだったと思う。だから最初に湊くんを紹介した時は不機嫌で、今回も結婚してアメリカに行くって言ったらイライラして、……ほんと歩は子供みたいに感情を表現してくれるから、……ゴールデンウィーク明けも機嫌悪かったんじゃないかな?」


 ゴールデンウィーク明けと言えば結城さんが二度目のクッキーを配った日。そして松岡くんが機嫌悪く私を蕎麦屋に連れて行った日の事を思い出す。


「……彩葉ちゃんも大変よね? でも良かった。彩葉ちゃんのようなしっかりした人が歩の隣にいてくれて。大変なこともあるけど、歩を見捨てないでね」


 はい、なんて軽々しく首肯できない。それでもじっと見つめてくる友梨さんの視線は反らせなかった。



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