第6話 誘拐
「…………は?」
「だから! 歩いてたらいつの間にか手をつないでたの」
「まじめにふざけたいなら芸人にでもなれよ」
もう一度、いや、その説明をし続けるなら何度だって同じ言葉が出てくるぞ?
「私も驚いたよ。でもこの子と目が合って、にっこり笑われて『おかーさん』なんて言われたら、もう放っておけなくて」
愛実の顔は真剣そのものだ。
でも……。
「意味わかんねぇから」
「ほんとなんだからしょうがないじゃん」
「いったん精神科行くか?」
「智仁だってゆちあから『おとーさん』って呼ばれてるじゃん!」
「ゆちあがここにいる理由にはなってねぇだろ」
俺は眠っているゆちあを見る。
こいつはいったい何者だ?
愛実が嘘をついている可能性が一番高いが、愛実が嘘をついているとはやっぱり考えられない。
だって、愛実がもし嘘をつくとしたら『いきなり現れた』なんていうバカ丸出しの嘘なんかつかない。もっとましな嘘がつけるはずだ。
もしかしてこの子……幽霊か? 俺はそう考える。でも抱きつかれた時の感触や温度は生身の人間のそれだった。ってことはやっぱり誘拐にってことになるよね? まさかの警察案件? そうなると愛実が誘拐犯として逮捕されるわけで、大学進学どころか高校だって退学になってしまうわけで。
「やっぱり、信じられないよね」
そりゃそうだよね、と愛実がさらに体を縮こまらせる。
「いや、信じられないっていうか」
俺はそれを口にするのか迷った。だけど、はっきりさせなければなにも進まないと思い覚悟を決めた。
「正直に答えてくれ。お前はその子を、誘拐したんじゃないのか?」
もちろん誰にも言わないから、と慌ててつけ加える。
「へ、誘拐?」
愛実が素っ頓狂な声を出した。ぽかんと口を開けたまま俺をじっと見つめている。なんだ、違うのか。それはそれで一安心。でもだったらいったいこの子は――
「あ………えっと、うん。誘拐したの」
「ツッコみ待ちなら今すぐ訂正しろよ」
自分で聞いたはずなのに、疑うような言葉が口から飛び出てきた。
だって……本気で信じられるか?
高校生の女の子が、エリート街道まっしぐらの人生順風満帆すぎて太平洋横断できる女の子が、こんな幼い子供を誘拐するなんて。犯罪に手を染めるなんて。
「誰になんと言われても撤回しないし。そもそも智仁から言ってきたんじゃん」
「いやだってさ、状況的にそうかなとは思ったけど、本当にそうだとは思ってなかったみたいな」
俺はソファの上で眠るゆちあを見る。こんなにも幸せそうな寝顔を浮かべているこいつは自分が置かれた状況を把握しているのだろうか。誘拐されたっていうのに落ち着きすぎじゃないか? ってかなんでこいつは俺たちのことを『おとーさん』『おかーさん』なんて呼んでるんだ。
「でも、誘拐なんて……。愛実が…………誘拐」
「ごめん、なさい」
「謝られても」
どうしていいかわからなかった。
やっぱり警察に相談――そうしたら愛実の人生が終わる。
「理由があるなら、教えてくれ」
そう尋ねた。愛実がなんの理由もなく誘拐なんてするわけない。なにか、なにか重大な理由があるはずなんだ。
「それは……その…………」
愛実は答えない。
おい、早く答えろよ。
ボケなんか考える必要はもうないから。
どうしてそんなにためらう必要がある?
「勉強のストレスか?」
「それは違う!」
顔をぐっと近づけられ、食い気味に否定された。しばらく見つめ合った後、どちらからともなく顔を逸らした。
「じゃあなんなんだよ」
「詳しくは、その……なんていうか…………」
「こいつが、愛実のことを『おかーさん』って呼んでるのと関係があるのか?」
愛実の答えを待っていてもらちが明かない。
俺の方から疑問をぶつけると、愛実は五秒後にこくりと頷いた。
「じゃあ、こいつが俺のことを『おとーさん』って呼んでるのも」
「それは、私がスマホの写真見せたらそう呼んだから」
「理由になってない」
「きっと私の隣で笑ってる写真だったから……だと思う」
「なんだよそれ」
歯切れの悪い回答しかよこさない愛実。
全然論理的ではない。
なにかを隠しているのは明白だ。
「はっきりしてくれないと、その……俺だって困るからさ」
「そうだよね。ごめん智仁。こんな、誘拐なんかに巻き込んで」
深く頭を下げる愛実。ロンTのお腹の辺りを握りしめている拳が小刻みに震えている。
「この子のことを誘拐した理由は詳しく言えないけど、私はこの子と一緒にいなきゃいけないの。この子だってそれを望んでるし、それが絶対に私たちにとって一番いいことなの。だから智仁も、私たちに協力してくれませんか?」
言い終えると同時に、ロンTを握り締めていた拳がほどけた。
「協力、って」
俺は必死で考える。
協力って、誘拐に協力って、どうするのが正解なんだ?
「って、なにばかなこと言ってんだろ私」
しかし、俺が正解にたどり着くことはなかった。
「こんなでたらめなこと、信じられるわけないよね。ごめん。忘れて今の」
と愛実は肩を竦てから、膝を抱えて座りなおす。
「忘れてって、勘違いするなよ。愛実の言ったことは信じてるから」
「……え?」
愛実が小首を傾げながら俺の方を見る。
「ほんとに?」
そのわずかな揺れのせいで、愛実がはいていたステテコパンツの裾がすとんと落ちた。
愛実の太ももがすべて露わになり、お尻のつけねまで見えるようになる。
ってかこいつ、いまノーブラノーパンじゃん。
ってことは、もう少し俺が顔をずらせば奥も……胸だってもっと目を凝らせば透けて……ってなに考えてんだよ!
「ああ、ほんとだよ」
俺は顔を逸らしながら頷く。
「正確には、愛実がこんな時にこんなクソみたいな嘘をつくようなやつじゃないっていう理屈の方を信じただけだ。誘拐した方がこの子のためってのも信じるし、協力も、その方がいいなら、する」
なに言ってんだよと自分でも思った。
犯罪に協力するなんて、俺まで犯罪者じゃないか。
でも。
俺はソファの上で眠るゆちあを見た。
なぜかその穏やかな寝顔を守ってやらなければと思ってしまう。
『おとーさん』なんて呼ばれているからだろうか。
愛実の必死な訴えも、やっぱり嘘とは思えない。
つまり、品行方正な愛実が誘拐しなければならないほどの切迫した事情があるということだ。
それに、平凡な俺が犯罪者になったところで誰も困らない。
いざとなれば俺がすべての罪をかぶればいい。
天才の愛実をかばえばいい。
凡人の人生一つを犠牲にするだけで天才の人生が守れるなんて、最高じゃないか。
天才が人生を犠牲にして凡人を守るよりかは、確実に。
「ありがとう、智仁」
安心したように頬を緩めた愛実は、目尻からこぼれている涙を拭いながら続けた。
「やっぱ智仁は、昔となにも変わらないね」
「変わったよ!」
俺は無意識に怒鳴ってしまった。
愛実が言った『変わらないね』という言葉に、心が反応したのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます