おかあさんもいっしょ

もとやまめぐ

第1話 夢か誠か始まりの日

「あれ?お母さん、私のサリアナの防具は?」

娘がまた寝惚けている。

「おはよー、どんな夢見てたの?朝ご飯食べてねー」

娘を高校へ送って私も仕事へ急がねば。

朝は戦場だ。

早く食べてくれないと片付けが終わらない。

私は自分の身支度を済ませ、リビングへ行くとまだ娘の姿がない。二度寝かな?

娘の部屋へ行くと、娘は目を見開いて口をパクパクさせている。

「どうしたの?」

「え?お母さん?…お母さんだよね!?も、戻ってきたのー!!?」

娘は少々混乱しているようだが、夢の話だろうか、小説にでも没頭していたのかもしれない。

「戻ってきたって?お母さんはずっとここにいるけど?」

「そうじゃなくて私が!え?夢なの?あれ夢なの?夢オチ!?マジかー!!」

頭を抱えて半分絶望しているように見える。よほど夢が楽しかったのだろう。防具とか言ってたけど冒険の旅にでも出ていたのかしら。良いなぁ、私もそんな夢見たい。

「とりあえず朝ご飯食べようよ」

促すと娘は、やっと重い腰を上げて制服に着替え始めた。


可愛い一人娘の彼女は高校1年生。中二病の塊だが、私も娘のことを言えるほど脱していないので、それはそれで構わないと思っている。

小説はシェア出来るし、好みの二次元男子の話で盛り上がって楽しい。

私にとっては、大学の同期や会社の同僚より、娘の方が良き友だ。

もうすぐ高校で初めての中間考査のはずだけど…まぁ、なんとかするだろう。


今日の発表用の資料を見直しながら娘が食べ終わるのを待っていると、なんだか頭がぐらっとした。視界が少し歪んで、また元に戻った。

疲れているのかもしれない。ここのところ研究が思うように進んでいないし、頭も痛くなるもんだ。

頭痛薬を飲んだところで、娘の支度が終わったらしく急いで洗い物を済ませて車へ向かった。

娘を学校の前で降ろし、手を振る。

「いってらっしゃい!また連絡するのよー!」

「はーい!お母さんも頑張ってねー!」

手を振り返して駆けていく。校内へ入ったことを確認して、私も職場へ向かった。


私は製薬会社で薬の研究をしている。

今日は研究所近くの大学で学会があり、企業ブースと口頭発表で出ることになっている。

研究所の東棟3階。ここに私が所属するユニットの居室がある。

着席してすぐにPCを立ち上げ、起動の待ち時間に身支度する。急いで打刻を済ませ、上司と軽く打ち合わせたらもう出発だ。

必要な荷物を部下と共に確認し、車に積み込む。今日は部下と一緒に参加するのだが、8つ年下の彼女は独身キャピキャピで何をするにも楽しそうな子なので、今日も一段とワクワクしているのが見て取れる。チームリーダーの1つや2つ任せたい社歴なのだが…どうも落ち着きと人脈が不足していて難しい。

「今日も楽しそうね。忘れ物はない?」

「ないです!バッチリですよ!!もうめっちゃ楽しみで昨日ワクワクしてあんまり眠れなかったです!」

遠足じゃないんだから、ちゃんと寝て万全の状態で臨んで欲しかったよ〜と嘆いても、彼女には届かない。その輝く瞳は大いに評価するが、何をするにも遠くを見過ぎて、準備不足の宙ぶらりんになるのが欠点だ。これでも新入社員の頃よりは打ち合わせも出来るようになったし、業績目標もまともな文章を書けるようになってきたのだ。着実に成長はしているから、どんなにスローペースでも見限らずに教育したいと思う。


会場である大学に着き、警備員さんに証明書を提出した。

大学内には臨時の案内看板が設置されており、学会の会場まで迷わず行くことができ……………ない部下が1人いるので手を引いて会場へ向かった。

我々は企業ブースなので、各大学の学生さんたちとは異なる場所に立つ。

ポスターを貼っていると、学術ユニットのメンバーやMRさん、人事部長たちも集まってきた。企業ブースは研究発表だけでなく、企業の宣伝も兼ねているからだ。ブースに訪れてくれた学生さんたちへパンフレットや粗品を配るので、それらの準備にも追われる。

私は発表の時間が近づいたところでブースを離れた。方向音痴のキャピ部下の手を引きながら。

会場には既に聴衆が集まっており、妙な緊張感が漂っている。プロジェクターと手持ちのPCの相性確認をし、問題なく作動したのでいよいよ発表スタートだ。


…………

発表中も、研究所に戻った直後も、部下との打ち合わせ中も、何度も視界が歪む。今日は調子が悪いらしい。

そしてその度に、今朝の娘の言葉が蘇ってきた。

『…サリアナの防具は?』

何故だろう。聞き覚えがあるような…。

「あの、垣岡さん?大丈夫ですか?」

声にハッとして上向くと、部下が私の顔を覗き込んでいた。

「あぁ、ごめんなさい。だいじょう…ぶ、でもないか。次の会議終わったら早退しても大丈夫そう?」



…って早く帰ろうとしても、この時間だもんなぁ。

車に乗り込むと、時計は18:30を示している。娘も部活が終わる頃だ。今から向かうとメッセージを送る。了解のスタンプが返ってきた。

学校の前に着くと、すぐに娘はやってきた。

「ごめーん、待った?」

「大丈夫だよ!お腹空いたー!」

急いで帰って、朝仕込んでおいた夕飯を仕上げつつ、洗濯機を回し、朝の洗濯物を片付ける。

2人で夕飯を食べていると、夫からメッセージが入る。

「まーたクレーム対応で遅くなるってさー」

「最近多いねー。きっとお父さん、帰ってきたら開口一番に愚痴るんだろうなー…私その前に部屋入ろっ♪」

えー、お母さんだけが聞くの嫌だよーと言うと、だってテスト前だからお勉強しなきゃいけませんもの♡と、嘘八百な言葉を返してお風呂へ走っていった。

食器を洗ってタオルを交換して洗濯機へ入れる。娘は鼻歌を歌いながら入浴中なようだ。

「おかーさーん!洗顔ネット取ってー!」

「はーい。ねぇ、上がったらちょっとスライド見てくんない?」

「分かったー!…あ、お父さんが帰ってなかったらね!」

じゃ、急いで上がってきてください(笑)と言い残して、リビングでPCと資料を広げる。

ブルーライトカットのメガネを装備して編集していると、娘がサッパリした顔をして戻ってきた。

「うはー!やっぱお風呂は我が家だよねぇ!」

「なに言ってんの。どこにも遠征してないでしょ(笑)」

え、あー…あれ本当に夢だったのかなぁ?

娘は今朝の夢を思い出しているようだ。夢の内容をこんなに長時間記憶できるのも羨ましい話だ。その記憶力をぜひとも勉強に活かして頂きたいところではあるが、人はそんなに都合よく出来ていない。

お風呂上がりのお茶を飲みながら、娘は私の隣に座った。

レイアウト、カラー、文字の量、動き方など、娘のセンスには脱帽する。娘に指摘された通りに修正すると、本当に見やすくなるから有難い。

お礼にオペラ鑑賞へ行く約束をして、娘の夜食を準備し、娘と共に部屋へ上がった。

娘の部屋に入ると、また視界が歪んだ。

「お母さん今日はちょっと調子が…」

言いかけて私は目を疑った。

目の前にいる娘はパジャマではなく、冒険ファンタジーのゲームに出てきそうな姿をしていた。

「お、お母さん…?」

娘が目をぱちくりさせながら私を見ている。私の横にあった姿見に目を向けると、私まで何かのファンタジー系装備をしていた。

なんだこれ。どうなってんの?意識はっきり系の夢か?いつ寝たんだ私。起きろ。まだ夫も帰ってないし、リビングには資料が散乱したままだぞ。

娘は目が点になっている。恐らく私も同じだろう。

そのとき、姿見の中の私が歪んだ。

見ると、鏡の向こうには見慣れぬ石畳と石造りの街並みが広がっていた。

娘はハッとして指差す。

「今朝までいたとこだよ!お母さん!」

その瞬間、娘の部屋だった場所はあの石造りの街に変わってしまった。姿見も見当たらない。

「アマネさーん!こんなとこにいたんですねー!!」

ちょっと幼く見える少年が、娘の名を呼び手を振りながらこちらへ走ってくる。小学校高学年から中学生くらいかな。

そんな呑気なことを考えていると、少年は私の方をキッと睨んだ。

「私は大人です!もう16歳ですよ!失礼な!」

色々突っ込みたい。

心を読まれた、そしてこの世界では16歳は大人、娘のことを知っている。しかも親しげ。どういうことだよ全て説明してくれ、なんだよこれ。

「怒らないでリン!私のお母さんよ。」

そこの少年はリンと言うのか。

とりあえず睨むのはやめなさい。せっかくのジャニーズ系が台無しよ。

また視界が歪む。待って、私だけ元の世界に戻るのはやめて。娘をこんなとこに置いていけない。


治まった。


すると1人の恰幅の良い男性がこちらへ近付いてきた。

「おや、お久しゅうございます。カズハさんではありませんか。」

私の名を呼んだ男性、見覚えがある…

途端、意識がクリアになってきた。

「ベロニカさん…?」

口をついて出てきた名前。彼の名だ。

そう、覚えがある。私は昔、ここに来た。娘と同じ、高校生のときに。

そして同時に思い出す。ここに来たら、やらなければならないことがあるはずだと。

「ベロニカさん、もしかして今また…」

口が震える。しかし聞かなければならない。

「えぇ、そうなんです。カズハさんが封印してくださった劔、何者かによって解かれました。」

行かなければならない。なぜならあの劔を放置すると、我々が先ほどまで過ごした世界を巻き込むからだ。こちらとあちらの世界が入り混じってしまう。こんなのと交えて理解できる人間は、今はもうオタクくらいしかいないだろう。………それなら理解者は多いのかもしれない。いや違うそうじゃない。

どんなジャンルにも住み分けは必要だ。

考えていると、娘が私の腕を掴んだ。

ハッとしてそちらを向くと、娘の目が輝いていた。

「お母さん!来たことあるんだね?知ってるのね!?」

すがりつく娘に驚きつつ頷くと、娘は少し安堵の表情を見せた。

「お母さんと2人なら何でもできるね!!」

いや待て、そんな呑気な。

娘を連れてこの世界を回るなんて、前回よりハードル高いじゃないの。

「私は反対ですよ!アマネさん!私とともに向かうと約束したではありませんか!!」

嘘だろ少年。君も行くのかい。


空は夕暮れ。ベロニカさんのお言葉に甘えて、今夜は泊めてもらうことにした。

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