奴隷のお兄さんを買ったら、魔王の息子でした

春埜天

第1話 嘘って言いなさいよ

「ごめん。もっかい言って」


 スカーレット・ファルミニアは夕食の献立をたずねるように、端的に聞き返した。

 もちろん冗談はよしてくれと、含みをもたせるのも忘れずに。


「だから、俺は魔王の息子なんだ」


 対面に座るアシュレイは、指を絡ませた手の甲に顎をのせて、ニコリとほほ笑む。

 窓から入った西日がアシュレイの白銀の髪に反射した。肩口で一つに結わえた毛の塊が、猫の尻尾のように揺れる。

 現実逃避がしたくなるほど、アシュレイの言葉は聞き捨てられないものだった。


 実は俺、猫なんだ。と言われた方が、スカーレットにとっては何倍もマシだ。世の中には言ってはいけない冗談ジョークというものがある。


「悪ふざけはよしてくれる?」


 今度はハッキリと口にした。しかし、アシュレイはわざとらしく肩をすくめるだけだ。


「冗談を言う男に見られてたのか。心外だな」

「魔族の王子様が奴隷として売られていた、って言いたいの?」

「そうだよ」


 訝し気に目を細めたスカーレットの問いに対し、アシュレイは爽やかな笑顔で肯定する。


 彼は一週間前に、奴隷市で買った青年だ。奴隷の男を買ったと言えば、目的は労働や家事、夜の相手が一般的だろう。スカーレットが彼を買った理由も似たようなものだ。


 スカーレットの職業は『勇者』である。

 目的は魔王を討伐すること。民衆の憧れの的であり、聖職者の次に誉れ高い役目を、生まれ落ちた瞬間に神から授けられた。そして十六の誕生日を迎え、正式に王から『勇者』のジョブを任命されたスカーレットが、真っ先に立ち寄った場所が奴隷市だった。


 あくまで勇者という肩書きを持つスカーレットが、無法者アウトローのたまり場に向かった理由。それは単純だった。


(なんで『仲間』を奴隷市で買おうと思ったのよ……)


 炎タイプ、水タイプ、草タイプ、てっきり好きな仲間を選べると思いこんでいたスカーレットは、聖剣一つで王城を放り出された。


 もし敵陣で力尽きた時、仲間がいなければ野垂れ死に。そんな事態はごめんだ。『勇者』である以上、パーティーを組むことは必須事項なのだ。

 『仲間』を作るためには素質のある人間をわざわざ口説き落とす必要がある。が、めんどくさがりなスカーレットの頭には、遠回りの経路など微塵も浮かばなかった。


 そうだ奴隷市で仲間を買えばいいんだ。


 まるでピクニックに行くかのごとく軽い足取りでスラム街に足を踏み入れ、奴隷商に案内されるがまま、奥へ奥へと進む。そして檻の中で力なく体を横にする銀の青年を見つけた。それがスカーレットとアシュレイの出会いだった。


 魔族だとわからないほど衰弱していた彼を見て、スカーレットは自身が手を染めようとしていた行い人身売買が非人道的な行為だと気づいた。法で咎められてはいない商品を目の当たりにして、言いようのない怒りが湧いたのだ。

 そして、スカーレットは手持ちの金で買えるみすぼらしい男を買い取ることにした。言わずもがな、彼を宿屋に連れ帰り手厚い看病もした。彼が回復すれば自由にしてあげようとさえ思っていた。


 魔王の息子だとはまったく気づかずに――。


(私のバカバカバカバカ)


 スカーレットは元来ズボラな自身の性格を後悔したが、恨むべきはスカーレットのくじ運である。


 二百人はいたであろう奴隷の中から魔王の息子をピンポイントに選んでしまうなど、神が仕組んだ運命レベルの確率だ。スカーレットを勇者に選んだ神が、こんな巡り合わせを用意するはずもなく、ただただスカーレットの運の尽きとしか言いようがない。


「気づかなかったのは、無理もないよ。魔力が封印されてたんだし」


 アシュレイは首元を指さした。白い肌に似つかわしくない、銀の首輪が装着されている。

 彼が売られていた時からつけられている魔力制御装置。魔族を奴隷として使役する人間が作り出した道具アイテムだ。


「君のおかげで体も魔力も回復してきたよ。ありがとう」


 彼と生活を始めて五日。日に日に強まる魔力に、スカーレットが気づかなかったわけではない。制御装置をつけていても、漏れ出すほどの魔力を持つ彼が、只者ではないと理解していた。


 しかし、そんな懸念を放り投げたくなるほど、彼との生活は楽しかったのだ。

 『勇者』という重責を背負わされ、幼くして家族とも生き別れたスカーレットにとって、共に生活してくれるアシュレイはかけがえのない存在になっていた。

 そんな夢のような生活も終わりだ。


(きっと油断させたところで、勇者わたしを殺すつもりね)


 このタイミングで正体を明かした理由は一つしかない。

 魔力を回復した今、ひよっこ勇者が脅威になる前に殺す。


 スカーレットは再び頭を抱えた。目の前の男の真意を探ろうと視線を向けると、前髪の隙間からは博愛の象徴である神父のような慈愛に満ちた笑みが返ってくる。


 高位の魔族は少女を騙して食らってしまいました。幼い頃に読んだ本に書いてあった一文を思い出す。


「怖い顔して、どうしたの?」


 紅茶を淹れる表情で、アシュレイの腕がスカーレットに伸びてくる。

 命の危険を感じ、すばやくその手から逃れたスカーレットは、流れるような動作で壁に立てかけた剣を掴む。


 勇者歴は一週間のひよっこだが、彼女は十三の齢から士官学校で剣の腕を磨いてきた。町娘が恋にうつつを抜かしている間も、勇者として戦う技だけを身に刻んできたのである。

 相手は世界屈指の魔族だが、本調子ではないのだ。油断している今なら、首を落とすチャンスもあるだろう。

 故郷の家族と民を思えば、こんな最序盤で死ぬわけにはいかなかった。


「覚悟しなさい!!」


 煌めく刀身をアシュレイに振り下ろす。目の前からアシュレイが消滅した。しかし、肉を切った感触はない。

 刃がテーブルに触れる直前、ピタリと止まった。一回り大きな手が、剣を握るスカーレットの両手ごと包み込んでいたのだ。どれだけ力を入れようとも、上にも下にも動かない。


 スカートの耳に息がかかった。ひっと悲鳴をあげるが、逃げようとした腰を背後からがっしりと掴まれる。


「こら、狭いところで剣振り回したら危ないでしょ」


 幼子を諭すような声音に、スカーレットは


「……はい」


 と消え入りそうな返事をした。

 弱々しい返答でもアシュレイは満足したようだ。スカーレットを解放したアシュレイは剣を鞘に戻して、元通りに壁にかけた。


「俺たち金欠なんだよ。もし宿屋を破壊して、賠償金払わされたら困るでしょ」

「……ソウデスネ」


 アシュレイはスカーレットの小柄な体を脇の下から抱え上げる。腰が抜けたスカーレットは、引きずられて、されるがままに椅子に座らされた。


「さて、ご飯にしよう。最近、料理スキルが上がって作れるメニュー増えたんだ」


 アシュレイは魔法でエプロンを着用した。そして外れかけた首輪に気づくと、チョーカーを付け直すような気軽さではめなおす。


 すっかり主夫が板についたアシュレイが風の刃で豚肉を細切れにする背中を眺めながら、スカーレットは体を震わせることしかできなかった。

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