第31話 友に添えて

「「募金お願いしまーす!」」


 高三の夏休み。


 僕と厨川は午後二時半の駅前で募金活動に勤しんでいた。


 とはいえ光明が差しているわけではない。金さえ集まれば美侑の病気が治るわけではないのだ。


 重篤化した石硬症は恐ろしいほどに凶暴で無慈悲でどうしようもない。


 学校に通って進学のために勉強して、折を見て美侑の見舞いに赴く。それだけだと安心できなかった僕は、こうして募金活動も始めたのだ。


 まあ結局、募金活動を始めても安心の『あ』の字もないんだけどな。


「あ、おい、佐伯!」


「……おっと。悪いな、厨川」


「ちょっと休んだ方がいいぞ、お前」


 グラッと立ち眩みがしてふらついたようだ。自覚はできなかったが、厨川が僕の身体を支えている構図を鑑みると認めざるを得ない。それに厨川の心配をないがしろにするわけにはいかない。


 だが。


「いや、美侑が石硬症と戦っているのに、僕が休むわけにはいかないだろ。ちょっと立ち眩みしただけで大げさだぞ、厨川」


「そんなわけあるか。もう茶化せないレベルで目に隈できてんぞ。顔色もあからさまに悪いし、最近寝てないだろ」


「いーやわりとぐっすり寝てるぞ。厨川にしては珍しいな。予測を外すなんて」


 本当は追及通り寝ていない。


 今日は三十分ほど仮眠を取っただけだ。それだけ無理をしないと僕には時間がない。


 必死にもがけば美侑を蝕む病を治す手立てだって見つかるはずだ。見つけなきゃいけないんだ。


 残り時間も限られている。できることはすべてしたい。でないとおそらく後悔で気が狂ってしまうからだ。


「募金お願いしまーす!」


 一声一声、エネルギーだけをひたすら消費していく。


 厨川は怪訝そうな視線をこちらに送る。


「学校でチラッと見えたんだよな。佐伯が医学書読んでるの」


「……何のことだよ」


「お前がとぼけたいんならそれでもいいけどよ。医者の息子で全国一の天才からありがたいお言葉をくれてやる」


 微妙に怒気を孕んだ瞳が僕を射抜く。


「素人がいくら医学書や論文を読もうと病気のことなんて一ミリもわかんねえぞ」


「厨川!」


 僕は両手に持っていた募金箱を地に落とし、そのまま厨川の胸倉を力任せに掴んだ。


「僕のやってることが無駄だって言いたいのか?」


「けっこうストレートに言ったつもりだったんだけど、確認しないとわかんねえぐらい頭やられちまってんのか?」


「お前なぁ!」


 近くにあったフェンスに厨川を叩きつける。


 ガシャン、という音が周囲の人間の注意を引いた。


「なんだ喧嘩か?」


「止めた方がいいのか?」


 野次馬は集まれど、問題に直接関わろうとする人は誰ひとりとしていなかった。


 僕は一回り身長の高い厨川を見上げる形で睨む。


 一方で厨川も負けじと睨み返す。


「佐伯は何も見えちゃいねえ! 今のお前は燈田さんを助けたいんじゃねえ。燈田さんと同じように苦しみたいだけだろうが!」


「何わかったような口きいてんだ! 厨川や医者たちが何もしてくれないから僕が病気について勉強しなきゃいけねえんだよ!」


「一介の高校生が医者を馬鹿にすんな!」


「だったらお前が治せよ! お前は厨川なんだろ? すべて解決できんだろ? だったらさっさと美侑の病気を治してくれよ!」


「そんなことできるわけねえだろうが!」


「だったらせめて……愚かな僕の足を引っ張らないでくれ……」


 悲しいわけでも憤怒に流されたわけでもない。


 ただ、僕の感情の一部が懇願という表現方法に帰着しただけ。


 血の味がするほど唇を噛みしめ、厨川を睨み続ける。


「どうせ厨川も募金なんてしたくない。美侑のことなんて忘れてしまいたいって思ってるんだろ?」


「そんなくだらねえこと思ってたらここにはいねえよ」


「口ではどうとでも言えるさ。現にネコなんて最近見舞いにすら行ってないじゃないか。見捨てたんだよ、あいつは」


「ぃなの親は厳しいんだよ。受験勉強に追われてんだ。なあ、佐伯。言い方に気を付けろ。二度はない」


「はいはい。またそれだ。結局、友達なんて言っといて、いざ面倒事に巻き込まれそうになったら簡単に見限るんだ。まるでトカゲの尻尾切り。厨川が裏切るのも時間の問題――」




 ――ドンッ。




 僕は厨川に突き飛ばされた。


 圧倒的な力に押し飛ばされ、地面に強く頭を打った。


「ってぇ。何するんだ!」


「これ以上オレをムカつかせるな」


「あ?」


「喋んなっつってんだよ!」


 ガダン、と厨川は募金箱を思いっきり地面に叩きつけた。


 あまりの剣幕に僕は思わず怯む。


「燈田さんが退学してから佐伯の様子がおかしくなったのはみんな気づいてた。恋人であるお前にのしかかるストレスの大きさが計り知れないのも察しがつく。ただただ彼女が弱っていくのを間近で見続けることしかできない奴の心が無事なわけねえだろうがよ。なあ、佐伯。正直、オレは燈田さんと同じぐらいお前のことも心配なんだよ。このままじゃいつかぶっ壊れて、ふと消えてしまいそうな気がしてよお」


 尻もちをついた体勢で、僕はじっと厨川の言葉を待つ。


「苦しむことが結果につながるんじゃねえ。努力が結果につながるんだよ。そこんとこはき違えんじゃねえ」


 それだけ吐き捨てて、厨川は自分の分の募金箱を拾い上げ、そのまま帰っていった。


 街の喧騒はいつものように、僕を避けるように通り過ぎていく。


 しばらく呆けて動けないでいる僕の近くには、募金箱から飛び出た、なけなしの小銭だけが散らばっていた。

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