9 結びつけた物

「なんのことでしょうか」


 セルマは身内みのうちの動揺を隠すように、厳しい顔でそう答える。


「そう構えることはありません」


 ルギは普段と同じ調子で続ける。


「香炉やそれに準ずるような焼き物を調べていたところ、一つだけ目録にあって実物がない香炉が見つかりました。それが黒い香炉だったのです」

「そうなのですか」


 大丈夫だ、あのからくりには気づかれていない。

 セルマはそう思って知らぬ顔をすることに決めた。


「ええ。そしてその黒い香炉を宝物庫から受け取って神具室に運び入れたのは、セルマ様、あなたでした」

「確かに宝物庫からいくつかの御物ぎょぶつをお下げ渡しいただき、それを神具室に運んだ覚えはございます。交代から半年ほど後のことだったと思いますが。ただ、その内容についてまでははっきりと覚えてはおりません。何しろもう何年も前のことですし」

「確かにかなり前になりますな」

「ええ」

「ですが、二度も関わることになった香炉、なんとなく覚えてはいらっしゃいませんか?


 ルギは調べて知っているのだとセルマは分かった。

 

 あの黒い香炉は先代の宝物庫から神具室へとお下げ渡しになり、数年後、今度は神具室から神殿へと譲渡されたことを。


(たとえ高価だとしても単なる香炉だと思っていたからだ)


 セルマはその時のことを思い出していた。




「その香炉を少し見せていただけませんか?」


 当時、神具係であったセルマはその日、たまたま当番で神具室へ神官長を案内していた。

 神殿の儀式に使うために、何かよい香炉があれば譲っていただきたい、そういう申し入れがあり、神官長が神具係を訪れた際に、一つの香炉に目を留めた。


「この黒い香炉でよろしいですか?」

「ええ」


 黒に銀色の波のような模様、ところどころが緑色に光るその香炉を神官長の前に置く。

 それは、まさにに先代シャンタルのご容貌を思い出させる美しい逸品であった。


「これはどのような来歴で?」

「はい。さる方から先代へと献上された物なのですが、交代の後で神具係へとお下げ渡しとなりました」

「なるほど先代の」


 神官長はそう言いながら、テーブルの上に置いた香炉を上から、横から、あちらからとじっくりと見聞し、


「これをお譲りいただけますでしょうか?」


 そう言った。


 セルマは目録を念の為に調べながら、


「おそらく大丈夫かと。特にこれといって譲渡せぬこととの但し書きもございませんし。ですが念の為に今一度、上に報告と確認をいたします」


 神官長にそう告げた。


 その後、言った通りに確認を取ったところ「よい」とのことだったので、正式な手続きを踏んで黒い香炉は神殿へと移動することとなった。


「ありがとうございます」


 箱に入れた香炉を神殿に届けたのもセルマであった。

 セルマは自分がやりかけた仕事は最後まできちんとやり通したい。途中で誰かに任せて、その後に思わぬ粗相があるようなことは避けたいからだ。

 

 あの黒い香炉がシャンタルの宝物庫からお下げ渡しになった時に受け取ったのも自分だ。

 尊いシャンタルの宝物を受け取る役目を任された、その重役に心が踊り、気持ちが舞い上がったものだ。そして、そういう自分を押し留め、浮かれて失敗をせぬように、そう戒めながら、あの黒く高貴に光る香炉をきちんと箱に収め、神具室へと運んだのだ。


 神殿の神官長の部屋へ運び、そっとテーブルの上に置いた。


「ありがとうございます。中を改めさせていただきます」


 神官長がテーブルの前にゆったりと座り、丁寧に梱包を解いて中身を確認した。


 黒い、見事な香炉がテーブルの上でつやつやと輝いている。


「美しいものですね」


 神官長がほおっとため息をつくようにそう言った。


「はい、本当に」


 先代、悲しい出来事で今は聖なる湖に眠る「黒のシャンタル」を彷彿とするような、黒と銀と緑。


 神官長はじっとその香炉を眺めていたが、視線をふいっとセルマに移すと、


「この香炉は魔法の香炉です」


 そう言った。


「え?」

 

 セルマは意味を理解しかね、そう言ったきり神官長をじっと見つめるしかできなかった。


「信じていませんね」

 

 神官長がにんまりと笑いながらセルマをじっとみつめた。


「いえ、あの」

 

 セルマは返答に困った。


「すぐというわけにはいきません。そうですね」


 神官長は机に移動すると引き出しから暦を取り出し、何かを色々と調べてからある日時を告げた。


「興味があるのならこの日のこの時刻にここにおいでなさい。見せてあげましょう」


 セルマはなお一層困り、


「あの、なぜ私に……」


 そう尋ねると、


「あなたは立派な方です。今回の仕事の折に人となりを見ていてこの方なら、そう思いました」


 そう言うともう一度じっとセルマを見つめ直し、


「あなたなら、この世界を救えるかも知れない」

「え?」


 戸惑うセルマにもう一度ほほえみ、


「では、本日はありがとうございます。確かに貴重なお品を受け取りました」


 そう言って、受け取りの書類にサインをし、セルマに手渡した。


「は、はい、確かに」


 セルマは急いで書類を受け取ると、跪いて正式の礼をした。


 立ち上がり念の為にもう一度書類を確認する。


「そのような方だからです。信頼できる方だから声をかけさせていただきました」


 もう一度小さく笑うと、そう言って神官長はセルマを見送った。

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