4 黒い香炉の行方
「トーヤ……」
ベルは、もうトーヤの名を呼ぶしか言えることがなかった。
トーヤが言っていること、全部理解できた。
頭では理解できた。
だが、もしもそんなことになったらシャンタルが傷つくのではないか、シャンタルが泣くんじゃないか、シャンタルが生きる気力をなくしてしまうんじゃないか、そうとばかり思ってしまう。
それに自分もシャンタルの家族と離れたくない、あの人たちと一緒にいたい。
心がどうしてもそう叫ぶのをやめてくれないのだ。
「トーヤ……」
「なんだよ」
「トーヤ……」
「だからなんなんだよ」
「トーヤ!」
ベルはそれだけ言うとトーヤの胸に飛び込んで静かに泣き出した。
声を出さず、いつものようにわんわんとではなく、自然にこぼれてくる涙を堪えきれず、トーヤにしがみつくしかできない、そんな風に。
「おまえ、そんな泣き方もできんだな」
トーヤがそう言って、笑いながらベルの頭をクシャッと一つ握った。
「……奥様の、侍女だからな」
小さな声でやっとのようにそう返す。
それを聞いてトーヤもアランも笑った。
「どんな時でも減らず口結構だ」
「やっぱバカだよな、おまえな」
「るせえな……」
小さな声でそうも言い返す。
「あのな」
ガバっと顔を上げてトーヤの顔を見、ベルが続ける。
「おれ、もしもあの人らが逃げてくれるってのなら、いつまででもあの島で世話しながら待ってる。だから、できるだけ逃げるようにしてくれ」
「無茶言うよな~」
トーヤがケラケラ笑ってそう言う。
「まあ、やるだけやってみるさ。でもだめでもな、精一杯やったのが分かったらシャンタルだって分かってくれるさ。そん時はおまえ、俺らが一仕事終えて戻るまで、シャンタルと2人であの島で待ってろ。さすがにあいつをここにずっと置いてはおけねえだろうしな。そのために兄貴も借りるぞ」
「うん分かった」
「ちょい待ち!」
アランが血相を変えて異議を唱える。
「あの島でベルとシャンタル2人きりか? そりゃヤバいだろ!」
「何がだよ」
「年頃の男と女だぞ! 変なことになったらどうすんだよ!」
「そうなったらなったで結構なことじゃねえかよ」
「はあああああ!」
アランが信じられないという顔でトーヤを見る。
「そうなったらな、そん時はシャンタルも女神様が抜けて一人前の男になったってこった」
「って、ベルは!」
「ベルだってそうだろうが、一人前の女になったてこった」
「はあ!」
「諦めろ」
トーヤが笑っていると、
「だからなあ兄貴、妙なこと考えんなよ、おれとシャンタルはダチなんだからな。んなはず、あるわけねえだろ?」
ここのところずっとそう言われ続けていたせいで、ベルがげんなりした顔で言う。
「おまえな……」
アランはベルに何か言おうと思うが、今の妹に何を言っても何も分かってはいないだろうと、ため息を一つついて諦めることにした。
「もういい……」
「で、だなトーヤ」
ベルはそんな兄を無視して続ける。
「じゃあ、どっちにしてもおれとシャンタルはあの島に行くってことになるんだろ?」
「今のままだったらな」
「エリス様はどうすんだ?」
「ああ?」
「予定じゃ、ラーラ様とマユリアが奥様と侍女になって船に乗るっつーてたよな。そのまままた奥様と侍女であっち行くのか?」
「いや、それは無理だろう。護衛もなく奥様と侍女が戻るってのも変だ」
「だよなあ」
「だからまあ、他の役割を考えるぞ。おまえもない頭絞って考えとけ」
「いでっ!」
そう言っていつものように一つベルの頭をはたいた。
「とにかくルギがセルマをなんとかしてくれるのを待つ。全てはそれからだ」
トーヤがそう言ってまたベルの頭を一つ撫でた。
その頃、ルギは自分の執務机の上に両肘をつき、じっと考え込んでいた。
例の元々は黒であった青い香炉、あの後の調べて神具室から神殿へと譲渡されていたことも分かった。そしてその黒い香炉が神殿になかったことも。
(つまり、セルマの手から神官長の手に渡り、そこで黒から青に色を変えたんだろう)
神官長は博学である。あの押しの弱さで神官長の地位にまで上り詰めたのも、その知識の深さゆえ、いや、それだけが理由だと言ってもよかったらしい。
ちょうど神官長の交代があった頃、次の神官長に相応しいと思われる有力な人物が二人いた。どちらもあまりに影響力があり過ぎて、真正面から神官長の地位を争うことになったなら、神殿の中が真っ二つに割れてしまい大変なことになるだろうと思われた。
そこで知識が豊富で他の神官からの信頼もあるが、押しが弱く、野心も少なく、
何年かのうちには二人の争いが決着するだろう。その時に交代する前提で神官長に選ばれたのだ。神官長自身もそのつもりで引き受けていた。
ところが、そうなった後、その有力者二人が、次々に病に倒れて亡くなった。それでそのまま、ひっそりと神官長がその座におり続けることとなったらしい。
「実際、それで何も問題がなかった。神殿はシャンタル宮の影のような存在だったからな。誰がなっても同じだと皆が思っていたんだろう」
ルギが聞く者もいないのにそうつぶやいた。
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