6 二つの言葉
ベルは、ぷりぷりと怒る姿を残ったもう一人の王宮衛士に見せつけるようにしながら奥様の元へ戻ると、
「もうすぐ飯来るって」
と、本人はその気がなくとも、中の国の言葉を理解できる者には上品に聞こえる言葉で伝える。
その様子を見て奥様がクスクスと笑った。
「なんだよ〜何笑ってんだよ〜」
「いや、だってね」
シャンタルはいつもの様子のベルが、本人が知らぬうちにまるでマユリアやラーラ様のような言葉を話していると思うとおかしくてしょうがない。
「もうすぐお食事が届くようですよ」
とか、
「何でしょう、何をそのようにお笑いになっていらっしゃるのでしょう」
そう言っているのだと勝手に翻訳してクスクスと笑っているのだった。
「あー、まあ、でもあれか、おまえがそうやって笑ってるってことは、大丈夫だってことかな。何しろ神様だもんな、ヤバいと思ったらほらあれ、託宣ってのがあるんだろ?」
「ああ、そうかもね」
そう言いながらまだクスクス笑っている。翻訳は続いているようだ。
ベルはその様子に少し考えるようにしていたが、
「まあ、なるようにしかならねえか。今はどうしようもないしな」
そう言って自分も表情を少し緩めた。
「失礼いたします」
そう言って王宮の侍女が食事を乗せたワゴンを押して入ってきた。
シャンタル宮の侍女は神に仕える侍女だが、こちらは王族や王宮の高貴な人々に仕える侍女である。そのせいか衣装が少しばかり違っている。
宮の侍女は紗のように薄い生地の上着、その下に白いブラウスのようなもの、それから赤い「袴」と呼ばれるスカートとズボンの中間のような衣装であるが、王宮侍女は形は似たようなものであるが、ツルッとしたつやのある生地の上着を着ている。下にブラウスがあるかどうかは透けて見えないが、着てはいないようにベルには見えた。
この侍女は上着の裾が赤茶のような縁取りがあるが、これも人によって色が違うのかも知れない。
それから、赤い「袴」は神に仕える侍女だけの服装なので、下も違う。ひだのあるサラッとした生地のスカートを履いている。足元まで全部覆い隠し、歩くと靴の先が少し見えるぐらいの長さがある。「袴」は足首あたりまでで、素足に履いているこれも侍女特有のサンダルとは違うようだ。
王宮侍女はしずしずとワゴンを押してベルのすぐ隣に運ぶと、頭を下げてそのまま退室しようとした。
「お待ちください」
これはシャンタル語、つまりベルが生まれ育ったアルディナのアルディナ語でもある言葉で、これは苦労をして覚えたお上品な口調を使ってベルが王宮侍女を呼び止めた。
「はい、なんでございましょう」
「これだけでしょうか?」
「これだけ、とは?」
「さきほど衛士の方にも申し上げましたが、奥様はここでは私以外の者の前でお食事だけではなく、お水すらお口になさることができません。衝立か何かを用意していただけないでしょうか」
「え……」
王宮侍女は戸惑った顔になる。
年齢は二十代半ばというところか。宮の侍女とは違い、もっとかっちりと髪をまとめてあり、髪に飾り物もつけてはいない。
「あの、このお部屋でお二人きりでお召し上がりいただけますので」
「いえ、それでは足りません」
ベルはすいっと立ち上がると、自分よりやや背の低い王宮侍女を、あまり見下げることがないように視線を合わせながら言葉を続けた。
「奥様は旦那様に誓いを立てていらっしゃいます。ご家族と、許しをいただいた私のような侍女以外にはご自分のお姿を見せぬと。そしてその誓いが破られた時には命を失っても構わない、と」
その言葉を聞いて王宮侍女が目を丸くし、体を固くする。
「ですから、もしも万が一、このお部屋でお食事をなさっていて、誰かがうっかり覗いてしまったら、その時には奥様は……」
少し言葉をためてから、
「ご自害なさいます」
王宮侍女が言葉もなく息を飲んだ。
「そのために衝立をご用意いただきたいのです」
「あ、あの、しばらくお待ちを」
王宮侍女が急いで部屋から飛び出していき、少ししてから衛士たちに衝立を3枚持ってこさせた。
それで奥様の周囲を囲い、やっとホッとしたようにベルが笑顔を見せた。
「ありがとうございます、これで安心していただけます」
そう言ってから丁寧に頭を下げる。
そう聞いて王宮の侍女と衛士たちもホッとしたように頭を下げて下がっていった。
「いっちまったぞ、やっと飯食える」
相変わらず中の国の言葉でベルがそう言って、うれしそうに食事の支度にかかった。
ワゴンを衝立のそばに引き寄せ、姿を隠したシャンタルに食器のフタを取って見せる。
「奥様、こちらは肉の焼いたもののようですわ、こちらは魚、野菜の焼いたものもございますよ、どれからお召し上がりになられます?」
「そうですね、では、そちらのお魚からいただきましょうか」
「ええ、今お取り分けいたします……さあ、どうぞ、召し上がれ」
「いただきます」
これは「奥様と侍女ごっこ」の時に使う、自国語でのお上品な言葉である。
そうして笑いながら二人でゆっくりと食事をとった。
部屋ではトーヤとアラン、そしてダルが心配をしているというのに、なんとなくゆとりのある二人であった。
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