16 せつなさと冷静さ

 ベルはなんとなく切なくなった。


(この人、すごくいい人に思えるけど、本当は何か考えがあってこうしてるんだよな、信じられないけど)


 ベルは表情だけは感謝の笑みを浮かべながら、心の中がキュッと締め付けられるような気がしていた。


「ですので、どうぞご遠慮なく。そうそう、神官たちともお話しくださると喜ぶと思います。遠い国のお話など、聞かせてやってください」

「はい、色々と約束事があり、何もかも話せるというものではありませんが、私どもで話せることでしたら」

「ああ、そうでしたね。あまりご負担にならぬ程度で、珍しいことなどお聞かせください」

「はい」


 そうして表面上は和やかに話を続ける。


「あの」


 突然、セルマが少し困ったような顔で口を開いた。


「少し申し上げにくいことがあり、お話しようかどうしようかと考えていたのですが、やはりお話しておくべきことと思いましたので、聞いていただけるでしょうか」


 丁寧に、ものすごく申し訳無さそうにそう話し出す。


「はい、なんでしょう。お伺いいたします」


 何を言い出そうとしているのかと、ベルは心の中で身構える。


「実は昨日の朝、キリエ様の部屋に奇妙な物が届けられました」

「奇妙な物、ですか?」

「ええ」


 セルマがまた暗い顔をして見せる。


「青い香炉なのです」

「青い香炉? あの、それのどこが奇妙なのでしょう? 何か色に決まりなどでも?」

「いえ、香炉自体は奇妙ではないのです。少し言葉を選び間違えたようですね」


 セルマがそう言って少し黙り、また続けた。


「その香炉に、火を燃すと人の体にあまりよくない物がくべられていたのです」

「え!」


 ベルが驚いて大きな声を上げる。


 前にピンクの花でキリエを攻撃していたことを知っている。それで無毒な見た目がよく似た花、というかその危険な花の元々の花とすり替えておいたのだ。それがまた同じことをされた、いや、したと言うのか、この人たちは。


 ベルは急いで奥様に小さく囁く。奥様も少し遅れて驚いたように頭を揺らす。


「あの、それで、キリエ様のお具合は?」

「はい、キリエ様の不調に侍女がすぐに侍医を呼び、侍医が香炉にくべられた物に気がついて撤去されましたので、今はもう落ち着いていらっしゃいます」

「ああ、そうなのですね、よかった……」


 ベルが素直にホッとしてそう言い、すぐに奥様にお伝えする。


「奥様もよかったとおっしゃっていらっしゃいます」

「ありがとうございます」


 セルマが丁寧に頭を下げ、神官長もそれに続くように頭を下げた。


「あの、お見舞いには?」

「ええ、侍女に様子を聞いて、大丈夫ならどうぞ」

「はい、また後ほどどなたかに伺ってみます」

「きっとキリエ様も喜ぶことでしょう」


 本当に表面的にはなんの瑕疵かしもない、完璧な宮の侍女としてのふるまいである。


「それで」


 ベルが話を続ける。


「その青い香炉というのは、どなたが届けたんでしょう?」

「それが分からないのです」


 悲しそうにセルマが首を振る。セルマこそがその香炉を届けたのだと知らぬ者が見ると、本気でその出来事を悲しみ、残念に思っている素振りだった。


「一体何のために」

「それも分かりません」

 

 セルマが今度は目をつぶり、力が入らないように左右に首を振る。


(完璧だな)


 ベルが恐れ入ったと思う、そのぐらいの演技であった。


(あの花も香炉も多分このおばはんなんだよなあ、そんでよくそんな顔できるよな)


 さっきまでは少し切なく思っていたベルであるが、こうなると話は違ってくる。負けてたまるか、そういう気持ちでかなり冷静にセルマを、そして神官長を見ることができるようになった。


「本当に悲しい残念な出来事です」


 ベルも目を閉じ、悲しげに首を振ってそう言う。


「一日も早く、そんなことをなさった方が見つかり、心を入れ替えていただけますようにお祈りいたします」


 軽く頭を下げる。


「それが」


 セルマが切なそうに言う。


「はい?」


 頭を上げたベルが見たのは、悲しげな目をベルに向ける取次役だ。


「あの、もしかすると、衛士が、ベル様たちに何かを伺いに行くかも知れません」

「え、なぜです?」


 目を見開き、驚いた顔をする。


「あの、白い花をキリエ様にお持ちになられましたか?」

「え、ああ、はい、持って伺いました」

「やはり」

「あの、あの花が何か?」

「いえ、あの花は空気をきれいにする、そのような働きがあるのですか?」

「ええ、そうですが」

「それが、少し気になる、と」


 実はそう言ったのはセルマである。空気に毒が含まれたと知り持ってきたのではないか、あの場でそう言った。


「気になる?」

「ええ、もしかすると、前もってピンクの花を届けて具合が悪くなられたキリエ様に、あの白い花を届けて味方である、そう思わせたいのではないか、との声が」

「ええっ!」


 そんなことを言う者があっても特にびっくりするようなベルではない。まだ幼いと言える年齢だが、それこそ世の機微はセルマの何倍も目にしてきている。


「なぜ、どなたがそんなことを……ありえません、そんなこと」


 ベルはうっすらと涙をにじませ(そのぐらいの演技はできる)悲しそうに首を振った。

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