第三章 第四節 逆風

 1 容疑者

「まあ、その草原からこっち来たってのは分かったよ」


 ベルがそう言う。


「でもそんじゃ、今は分からねえってことなのか?」

「そうだね。それにもしも入れても、そういう大事なことは箱の中だから、入っても無理だと思うよ」

「そうなのかあ」


 ベルが残念そうに言ってから、


「そんじゃ当代に入った時はどうだった?」

「あの時?」

「うん」

「あの時はね、黙って入ったじゃない? それにあんなかわいい子にあまりそういうことしてあげるのはかわいそうだと思ったから、必要なことだけ伝えて、他は見てない」

「へえ、そんなこともできんのか、器用だな」

「器用って」


 シャンタルがベルの言葉に笑う。


「まあ、そのぐらいのことはできるかな」

「そのぐらいのことってさ、えらいことだぞ? そんじゃ、兄貴ん時はどうだった?」


 ガタン!


 ベルの言葉に思わずアランが立ち上がる。


「アランの時はね、うん」

 

 少し気の毒そうに、


「練習だったからねえ」


 意味ありげな視線をアランに向ける。


「って、おまえな、俺ん時もそのぐらいの遠慮しろよ!」

「いや、まあ、アランはよく知ってるし、それに男同士だしさ」

「男同士ってな! あ……」


 アランはシャンタルが男同士と言ったことに異議を申し立てようとしたが、このところは男扱いしてベルから引き離そうとばかりしていたもので、そこから先の言葉を言えず、グッと飲み込むしかなくなった。


「うん、色々と勉強になったよ、ありがとう」


 男性女性と言うより精霊にしか見えない美しい人に、ニッコリと意味ありげな視線を向けられ、アランがそのまま椅子に落ちるように座り、本日も終了となった。


「兄貴も箱持ってりゃよかったのにな」


 ベルが気の毒そうにそう言って、隣でへたり込むアランの背中をぽんぽんと優しく叩いた。


 トーヤたちが危機感を感じているのかいないのか分からないような、そしてとても大事な今まで聞いたことがないようなシャンタルの話を聞いている間、物事は思わぬ方向に動いていた。


「何かの間違いです! 私は、そのようなことに覚えはありません」

「私もです」


 まだ若い、緑の衣装の侍女2名が、目に涙を浮かべてそう訴えていた。


「ですが、このような物がキリエ様のお部屋に届いていたのは間違いがありません」


 先の2名より年長の侍女が差し出したのは、一基の香炉であった。


「この香に、人を不調にさせる成分が含まれているらしいのです。そしてその香と香炉の係が、この2名でした」


 差し出された香炉をじっと見つめるのは、今や侍女頭であるキリエと同じか、それ以上の権力を持つ取次役、セルマである。


「ライナ」

 

 香炉を差し出した侍女にセルマが尋ねる。


「本当にこの2人が、その香の入った香炉をキリエ殿に届けたのですか? 何かの間違いではありませんか?」

「いえ、残念ながら」


 ライナと呼ばれたセルマと同年代の侍女が、申し訳無さそうにそう答えた。


「モアラ、シリル、本当ですか?」


 セルマが形式上は一般の侍女と同じように呼び捨てにしながら、できるだけ萎縮させぬよう、優しい響きを入れるような口調で2名の侍女を呼ぶ。


 この2名は先日の配属で、入ったばかりでありながら特別扱いで神具係に配属された、あの伯爵家のご令嬢であった。


「その香炉は確かにキリエ様のお部屋に届けました。ですが、中にそのような香が入っているなど、全く存じあげませんでした」


 年長のモアラが震えながら答えた。


「届けるのは届けたのですね?」

「は、はい」


 今度はシリルがやはり震える声でそう答える。


「ライナ。やはりこの2名がそのようなことをする理由がないと思うのですが」

「はい、それは私もそう思います。ですが、届けたのは間違いなくこの2名でございます。話を聞かぬというわけにはいかぬかと」


 言いにくそうにライナがそう言うと、


「確かにおまえの申すことにも理があります」

「おそれいります」

 

 黙ってライナがセルマに頭を下げた。


「下がりなさい、後は私が話を聞きます」

「はい」


 ライナは大人しく部屋から出ていった。


「モアラ様、シリル様」


 ライナがいなくなると、セルマは2人を侍女ではなく伯爵令嬢として扱う。


「ご不安でございましたでしょう。ですが、このセルマはお二人がそのようなことをなさる方ではないとよく存じております。ご安心ください」

「セルマ様」


 モアラとシリルが安心の涙を浮かべる。


「ですが、お二人をそのような立場に追いやった者があるとすれば、その調べはせぬわけにはいきません。一体何があったのか、教えていただけますか?」

「はい、はい……」


 二人が涙ながらに話し出す。


「昨夜、仕事を終えまして二人で部屋へ戻り、もう休んでおりましたところ、扉が叩かれ、一人の侍女の方が入っていらっしゃいました」

「侍女が?」

「はい。少しばかり年重の方ではなかったかと思います」

「はい、私もそう思いました」

「その方が、キリエ様の部屋の香炉が壊れたので、明日の朝、青い香炉をお届けするように、そうおっしゃったので、今朝、申し付けられた通りにお届けいたしました」

「はい、モアラ様のおっしゃる通りです。お相手がキリエ様であることから、失礼があってはいけないと二人でお届けしました」


 二人が一生懸命セルマに説明をする。

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