14 手
そうして思わぬ楽しい時間を過ごしたものの、病人のお見舞いにあまり長居はできないため、その後すぐに部屋を出ることとなった。
「またお見舞いに来ますね」
ベルがそう言ってひらひらと手を振り、ベールで隠された奥様の手を取って部屋から出る。
「また」
キリエの返事に奥様もベールから手を出し、同じようにひらひらと手を振ってみせるのが、またキリエに笑みを浮かばせた。
出ていく二人を見送り、
「大きくなられても中はあの頃と同じ、とてもお可愛らしくていらっしゃる。あのまま、素直なままでいらっしゃるのは、トーヤと、ベルとアランのおかげなのでしょうね。感謝いたします」
そう言って、見えない誰かに丁寧に頭を下げた。
奥様が侍女と共に侍女頭の見舞いに訪れている頃、ルークことトーヤもミーヤと共に奥宮近くの廊下にいた。歩く訓練の振りをして、宮の中を探っている。
途中ですれ違う侍女や衛士たちは、最近ではもう見慣れた風景、仮面の男が侍女のベルや、世話係のアーダ、ミーヤ、時にアランに付き添われて歩く訓練をする姿に何も思うことはない。 そうしてどこを歩いていても違和感がないように、そのために少し足を引きずったり、つらそうにしたり、休んだりしながら歩く訓練の振りを続けている。
今日もミーヤに付き添われた仮面の男が、そうしてひょこひょこ歩きながら、いつもよりは奥宮に近い場所まで足を伸ばしていても、誰も気に留める者もない。
「大丈夫ですか、少し休まれたらいかがでしょう」
ミーヤの声に仮面の男が黙って首を左右に振る。喉をやられて声も出ない設定だ。その姿を見ても、もちろん誰も不思議に思うことはない。人間とは繰り返されることには慣れるものなのだ。
「そうですか。でも無理をなさらないでくださいね。もう少ししたら少しお休みなさってください」
心配そうに声をかけるミーヤに、同僚の侍女たちの中にはそちらにこそ心配そうな顔をする者もあるが、やはりみな、もう慣れてしまって同じように少し見ては通り過ぎるだけだ。
トーヤが見ているのは、どこにどれだけの配置の衛士がいるか、どのぐらいの時間にどの程度の人通りがあるか、交代の時刻はどのあたりか、いつもいる者の顔ぶれは、あちこちに置かれている物の移動、清掃やその他の下働きの者たちが思わぬ動きをすることはないか、そんなことだ。
思えば八年前も散歩や暇つぶしと称してミーヤとフェイ、それからルギと一緒に宮の中を練り歩いていた。
見たところ、当時とそう変わることはないように思えた。
ただ、奥宮への出入り、そこが前とは少し違うように感じられる。
これはやはり、以前はキリエの元、一本化していた動きが、セルマという取次役ができ、頭が二つあるようになったためであろう。
その点では、少し読みにくい部分があるとは思ったが、やはり宮の中は基本、
廊下の片隅で少し休み、ミーヤにだけ聞こえるように話をする。
「思った通り、この宮の中は穴だらけだ。もしも俺が衛士だったら、もっと警備を厳しくすんだけどな。まあ、それが俺たちにとっては幸いとも言えるだろうが」
ミーヤは聞こえたことに返事をしない。ルークは話さない設定だからだ。
「大丈夫ですか、無理をなさったのではないですか?」
そう尋ねることで「聞いている」という顔をして見せる。
二人がそうして廊下で、ルークは壁により掛かるようにし、ミーヤはそれをそばで気遣うようにして見守りながら立っていると、今まではここで会ったことがない人物の姿が廊下の向こうからやってくるのが見えた。
ルギだ。
外から戻ってきたようで、前の宮の階段がつながっている廊下から、奥宮へ向かって歩いてくるのが見えた。
ルギは二人の姿を認めると、進行方向を変えて近づいてきた。
「歩く訓練か?」
軽く会釈をしてからミーヤにそう聞く。
「はい。今日は少し遠くまで歩かれてお疲れのご様子ですので、少し休んでおります」
「そうか」
そう言って「ルーク」に向き直ると、
「焦る気持ちは分かるが、無理をしてかえって健康を損ねることはよくないだろう」
そう声をかけてきた。
「ルーク」はうつむきがちに軽く会釈をする。できるだけ目を見られないように、不自然にならないように、そうして感謝の意を伝えたつもりだ。
「よかったら私が手をお貸ししてもいいが」
そう言ってルギが大きな手を伸ばしてくれたが、それも「ルーク」は少し右手を上げて気持ちだけ受け取る、という意思を現した。
「そうか」
そう言って、ルギの目がふと一点に止まった。
「今日は戦士の手をしておられるな」
トーヤは心の中に冷水を浴びせられた心持ちになった。
「戦士の手?」
ミーヤが何も思わぬように、不思議そうにルギに聞く。
心の中では、きっと何かまずいことが起きているのだ、そう警告音が鳴るが、何もない風に装うこと、それが自分が今できることだと咄嗟に思った。
「ああ。先日部屋でお会いした時は、もっと違う印象だった」
そう言って表情を変えぬまま、ルギは「ルーク」の手をじっと見る。
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