15 手の触れる場所

「大丈夫なのですか?」


 キリエが心配そうに眉を寄せて聞く。


「何がだ?」

「いえ、そのような物をそうして近くに抱えて」

「ああ、大したもんじゃねえしな。それにこいつには罪はねえんだから優しくしてやった方がいいだろ? かわいいピンクのお姉ちゃんは、いい男がしっかり抱きしめて外に連れ出してやるさ」

「何を言っているのです」


 トーヤのふざけた言葉にキリエが小さく吹き出した。


「笑えるぐらいなら大丈夫だな」


 トーヤもホッとしたようにそう言う。


「体の具合だけじゃなく、なんとなく頭もボーッとしてるはずだぜ。それも一緒に晴れてくだろう。もっとも、関係なくもうボケてきてる、ってのならそこまでは知らねえけどな」

「さあ、どうでしょうねえ。自分ではまだまだしっかりしているつもりですが、どうも最近は何となく色々なことを考えるのが億劫おっくうになってきていますから」

「それはあんたが必要以上のことを抱えて考えてるからだろ?」


 トーヤが指摘する。


「こいつみたいになーんも考えてなかったら、考えるのがめんどくさい、なんてこともねえしな」

「なんだと!」


 火桶に毒の花の香りの香をくべていたベルが、トーヤを振り向いて言い返す。


「あんまりたくさんくべるなって言ってるだろが、匂いがきつくなり過ぎても不自然だ」

「あ、そうか」


 急いで少し取り除こうとして、


「あちっ!」

 

 やけどしそうになる。


「何やってんだよ」


 トーヤがベルの手を取って見て、やけどがないと確認すると、


「な? なーんも考えてないだろ?」


 そう言ったのでキリエがくすくすと笑った。


「ほれ、どいてみろ、様子見てやるから」


 ふくれっ面になっているベルを横にどけ、トーヤが火桶を覗くと、直接炭に触れることなく、冷えた灰を少しかけて調節する。


「な、こうすりゃいいだろうが」

「ほんとだ」


 トーヤのやり方を感心するようにベルが素直に頷く。

 その様子を見てまたキリエが微笑ましそうに笑った。


「仲がいいですね」

「いいぃーっ、こんなおっさ、いで!」


 もちろん言い終わるまでに張り倒された。


「まあこんなもんだろ」


 トーヤは横を向いたままでベルを張り倒し、知らん顔で火桶の中を確かめている。

 ベルは不服そうな顔でトーヤを睨む。


「安心いたしました」

「ん、何がだ?」

「ずっと気にかけておりました、どうしているのだろうと」

「そうか」


 トーヤはあえて感情を交えずに答える。


「まあな、こんな感じでなんとかやってた」

「そうですか」


 キリエもあえて感情を交えずに答えた。


 何がどうだった、と今は話すわけにはいかない。キリエは知らなかったのだ、貴婦人の中身が、まさか八年前にこの国を去った男であったとは。そういうことなのだ。


「今日はエリス様にわざわざ来ていただいて、それだけでなんだか元気になれた気がいたしました」

「そうか、そりゃよかった。そうそう、そんでな」


 ベルに頷いて見せると、「侍女」が「奥様」の言いつけ通り、見舞いの品を差し出した。


「これ、さっきの侍女の人に渡しとくから飲ませてもらってください。体の毒を外に出すお茶です。そんでこっちの木の実や干した果実は、今度のことで減った体の中の栄養補給」


 ほいっという感じに紙袋の中を見せてくる。


「どうもありがとうございます」

 

 キリエが微笑ましそうにベルを見る。とても優しい笑みであった。


「あ、そうそう、さっきの白い花だけど、あれ、空気をきれいにしてくれるんで、大事にしてやってください。水やり、ちゃんとしてやったら、結構長くがんばってくれます」

「そうなのですか、どうもありがとう」

「いやいや」

「おかげで命拾いいたしました」

「いや、それは違うな」

「え?」


 キリエの言葉を「奥様」が否定する。


「あんたの命までもらおうとは思ってねえよ、相手は。なんかするの間だけ邪魔なあんたに引っ込んどいてもらいたかっただけだ」

「その間だけ?」

「ああ、この花は大体そういう時に使われるんだ。もっと弱らせてやろうとか、それで命取ってやろうと考えるなら、まずこれは使わねえ」


 キリエは黙ったままトーヤを見る。


「相手も大体分かってんだろ?」

「…………」


 キリエが沈黙で答える。


「そんで、何食ってそうなったか心当たりあるか? そうなる前になんか特別なもん食ったか?」

「いえ、特には。おそらくは他の者たちと同じだと思います」

「ってことは、料理になんか入れてたんじゃなさそうだな」

「そう思います。もしもそうなら他の者も具合が悪くなったはずです」

「ってことは、食器とか盆とか、なんか手が触れるとこだな」

「そんなことができるのですか?」

「できるさ。たとえば手で持つ部分があるだろ? そこ触った後、その手でパンちぎって食ってみろ、口に入るだろうが」

「確かに……」


 あの日、そのような状況があっただろうと考え、思い浮かんだ。


「ありました」

「どんな感じだ?」

「あの日はとろみのあるシチューが出ました。スプーンですくうのに手を添えて、最後にはパンでその椀の中をさらえて食べています」

「そうか、そんじゃ間違いないな。で、あんたの食器に触れそうなやつ、心当たりあるんだろ?」


 元食事係のある侍女の顔がキリエの頭の中に浮かんでいた。

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