13 氷の棘

「素晴らしいお方だったのですね……」


 小さなシャンタルが見るからに力を落としたように、そうつぶやく。


「シャンタルはどなたも素晴らしいお方ですよ」


 ラーラ様が優しくそう言って、小さな主の手をそっと握る。


「ラーラ様……」

「先代は素晴らしいお方でした。ですがこのシャンタルも素晴らしいお方です」

「でも、わたくしは託宣ができません」


 黒い瞳が愛らしいまつげに悲しげに隠される。


「わたくしは民のために何もできませんでした」

「いいえ、何をおっしゃるのですか。シャンタルがいらしてくださること、それがこの宮の、この国の、そしてこの世界の何よりの力なのです。そんな悲しいことをおっしゃらないでください」


 シャンタルが揺れる瞳でラーラ様をじっと見上げた。


「ええ、ラーラ様のおっしゃる通りですよ」


 マユリアも美しい瞳をまっすぐに小さな主に向ける。


「シャンタルがお生まれになってくださったこと、こうしてここにいらしてくださること、それがもう素晴らしいことなのです。そしてシャンタル、あなた様はそれをまた次に、次代様にお伝えするために存在していらっしゃるのですよ」

「マユリア……」


 その表情から、声から、そして小さく縮めている小さな肩から、この方が、当代シャンタルが、託宣ができぬことでどれほど苦しんでいたのかを皆は知った。


「シャンタル」


 ミーヤがソファから降りるとラーラ様の向かって左の床に膝をつき、うやうやしく申し上げた。

 

「私は小さく無力な侍女です。ですが、あなた様の存在が、その力を持たぬ私にどれほどの力を与えて下さるのか。それをあらためて申し上げさせてくださいませ」


 ミーヤは深く頭を下げ、


「私は、私たちは、この国のすべての民は、あなた様の加護の元、ここにこうして生きているのです。その感謝の気持ちをどうぞ、どうぞお信じください」

「私もです」


 アーダも続いて床に膝をついて申し上げた。


「私がお仕えしている尊い主に申し上げます。お生まれになってくださってありがとうございます。ここにいてくださってありがとうございます」

「私からも」


 ダルがそれに続く。


「私はしがない漁師の息子です。今もまだ一人前の漁師になったとは言い難い中途半端な存在です。ですが、どうしたことか、月虹兵などという恐れ多いお役目をいただき、ここにこうしていられるのも、シャンタルがいらしてくださるからです。ありがとうございます。私の妻も子も、両親も、村の者たちも、皆、同じ気持ちです。本当にありがとうございます」


 シャンタリオの民たちが、慈悲の女神をその身に宿す小さな女神に向ける尊敬と感謝の気持ち、それが素直に伝わって、小さなシャンタルの瞳から、みるみる涙があふれてきた。


「みんな、ありがとう」


 この小さな女神は、あの日、話した者たちはもう忘れてしまっただろう軽い噂話、小さくとも鋭く尖った氷のとげのようなその言葉に、小さな心をずっと苦しめ続けていた。

 今の温かい言葉、初めて直接聞いた自分の民たちの言葉の温かさ、それがその冷たく輝く棘を溶かして、涙にして目からあふれさせてくれた。


 小さなシャンタルが、シクシクとその小さな手で顔を覆って泣き出した。


「シャンタル……」


 ラーラ様が、「母」が「娘」のその小さな体をそっと、だが力を込めて抱きしめた。


「ずっと、ずっとお苦しみだったのですね……おかわいそうに」

「シャンタル……」


 マユリアも背中に優しく手を添えた。


「申し訳ありません。もっと早くに気持ちをお伝えするべきでした。こんなに苦しんでいらっしゃったのに。本当にごめんなさい」


 美しい「姉」が「妹」をそっと背中から抱きしめる。


「いえ、いいえ、マユリア、ラーラ様、大丈夫です」


 まだこぼれる涙を受けながら、それでも小さなシャンタルはしっかりと答えた。


「もう、大丈夫です、ありがとうございます。ありがとう、みんな」


 両手を放し、涙で潤んだ瞳で、それでもにっこりと笑って見せる。


「大丈夫です、ですから聞かせてください。先代のお話を。不思議なその方のお話を」

「シャンタル……」


 マユリアが大丈夫かと様子を伺うようにその瞳をじっと見つめる。そして、本当の心から先代のことを知りたがっているのだと納得し、美しい笑顔を小さな「妹」に見せた。


「ええ、分かりました。お話を続けましょう、先代の、『黒のシャンタル』のお話を」

「黒のシャンタル?」

「ええ、先代はそのご容貌から民たちにそう呼ばれていたのですよ」

「黒のシャンタル……」


 小さなシャンタルが空の星を見上げるような表情でそうつぶやいた。


 エリス様たち中の国から来た者たちはその様子をじっと見守る。

 この国の者ではないものには分からぬ、二千年の歴史に連なる、この国の神と民との深いつながりを。


 中の国の侍女が自分の主をそっと見つめる。

 衝立の中、さらに絹のベールでしっかりと封じられたその中で、その美しい人が何を思ってその様子を見ているのか、誰にもそれは分からない。

 「黒のシャンタル」その人、本人がどのような気持ちで「家族たち」を見つめているのかは。

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