第二章 第六節 つながる時

 1 セルマのこと

 ミーヤはセルマの執務室から出ると、そのままキリエの執務室へ向かい、そこでさきほどあったことをキリエに話した。


「そうですか」


 キリエはそれだけ言うと黙ってしまった。

 ミーヤも黙って次の言葉を待つ。


 しばらくキリエはそのまま何かを考えていたが、ふと思い出したようにミーヤを見て、


「時間はあるのですか?」


 そう聞いてきた。


「この後、特に何か用事はあるのですか?」

「いえ、特にはございませんが」


 本当はトーヤの部屋の鍵を確認に行きたかった。昨日、アーダと2人でこの部屋に呼ばれ、中の国のご一行が部屋を移動するということは分かっていたが、どこに移動するかは聞いていない。もしかすると、どこに移動したかを書き記したものを置いてあるかも知れない、それが気にかかっていた。


「では、少しお茶でも飲んでいきなさい。そこにお座りなさい」


 キリエはそう言うと、ミーヤの返事を待たずに今日の侍女頭付きの侍女を呼び、お茶の用意を申し付けた。


 まもなく温かな湯気を立てたお茶を入れた陶器のカップと、昨日、客殿で出されたものと同じ菓子が乗った菓子皿が目の前に並んだ。

 ミーヤはなんとなく気持ちがゆるみ、菓子を見つめてほろっと笑った。


「どうかしましたか?」


 ミーヤの向かいの席に座り、キリエが聞いた。


「いえ、昨日、お礼を申し上げに客殿に参りました折に、同じお菓子をいただいたもので、つい」

「そうでしたか」


 キリエが柔らかく笑った。


「なんでしょう、宮でお茶菓子というとこれが出るように思います。いえ、美味しいですし、好きなのでいいのですが、変わらないというところが少しおかしいような、ホッとするような気がいたしました」

「そうですね、おまえの言うこと、少し分かるような気がします」


 宮はこの数年ですっかり変わってしまった。その中で変わらぬものがあるということが、なんとなくホッとした気持ちにさせてくれる、キリエもそう分かってくれたようだった。


 あまり愉快ではない話は一度横へ置いておき、キリエとミーヤは他愛たあいもない話をしながらお茶の時間を楽しんだ。


「それでは、リルは今4人目がお腹にいるのですか」

「ええ、そうなんです」

「それはまあ、大変なことですね」


 キリエが楽しそうに笑った。


「ええ、なんだかたくましくなってしまって」

「そういう変わり方はいいですね」

「はい、本当に」

「まさかあのリルがねえ……本当に、人というものは予想もしない変わり方をするものです」


 そう言って、キリエがなんだかさびしそうな顔をした気がした。


「あの、キリエ様」


 ミーヤが思い切って尋ねる。


「セルマ様という方は、以前はどのような方だったのでしょう? あの、出過ぎたことかと思いましたが、少し気になりましたもので」


 ミーヤの言葉にキリエがさらにさびしそうな顔になる。


「いえ、私も誰かに聞いてもらいたいと思っていたのかも知れません、セルマのことを」


 キリエがとつとつとミーヤに語り始めた。


「セルマは、本当に生真面目な子です。今もそれは変わることはないのですが、今は何をああも焦っているのかが分かりません」

「焦って、ですか?」

「ええ、そうとしか」


 ミーヤの目には、セルマはただひたすらキリエへの対抗意識をみなぎらせているとしか見えぬのに、キリエはそんなセルマのことまで、こうして気にかけているのかと思った。


「私に対してどのような目を向けようと、それは別に構わないのです。私はそう遠くない時期に北の離宮へ入る身です。本当ならとっくにそうしてに道を譲り、相談役にでもなっておればよかったのでしょうが、おまえも知っての通り、色々あって時期をいっしてしまいました」


 目を伏せてそう言う。


 おそらく、キリエの本音なのだろう。順当にいくならば、おそらく八年前にはすでにそういう話になってもおかしくはなかったのだ。だが、あの出来事がそうはさせてくれなかった。


「私は」


 ミーヤがキリエに声をかける。


「キリエ様が今も侍女頭でいらしてくださって、幸いだと思っております。少なくとも、あの時のことがなければ、もしかしたらキリエ様のことを厳しいだけの怖い方、と思って終わっていたかも知れません」

「はっきりと言いますね」


 そう言いながらキリエが楽しそうに笑った。


 そう、そのような笑顔をみせてくださる方などと、思うこともなかったかも知れない。


「ええ、本当のことですし」

 

 ミーヤが付け加えた一言に、キリエはさらに笑う。


「まあ、そのような侍女頭であったこと、あることは自分でもよく分かっております。そうすることこそが侍女頭である、と思ってもおりましたしね」


 そう言ってからセルマのことに話を戻す。


「ええ、生真面目な子でした。他人にも厳しかったけれど、それ以上に自分に厳しい。あまりに何もかもに厳しいもので、一度、もう少し気を抜いてやるようにと言ったことがあるのですが、ひどく驚いた顔をしていました」

「それは、そうかも知れません」


 ミーヤがクスリと笑ってそう言う。


「キリエ様に気を引き締めろと言われた者は数え切れぬほどでしょうが、気を抜くようにと言われた方は、それこそお一人なのでは?」


 ミーヤの言葉にキリエが声を上げて楽しそうに笑った。

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