16 この世で一番おいしいもの
とにかく一安心はしたが、部屋付きの侍女も来るだろうし、それらしく待機しておかなければ。
メインの寝室に奥様を案内する。
「なあ、ここってトーヤがいたって部屋?」
「いや、違う。俺が最初にいたのはこの上の階の一番いい部屋だ」
「って、これで一番いい部屋じゃねえのか、想像もつかねえ……」
ベルがため息をついて言うのに、
「客殿の中では一番いい部屋だったかも知れんが、こいつの部屋見たらそんなもんじゃねえと思ったな」
「そうなのかよ!」
侍女が奥様に言う。
「私もこっちの部屋に来るのは初めてだからね。でもいい部屋だったよね、あそこ」
「そりゃこの宮の
「想像もつかねえ……」
ベルが頭を抱えて悩む。
「まあ、なんにしても別の世界のことだ、ほっとけ」
「そりゃま、そうか」
ベルもあっさりと納得する。
「で、ここが奥様の部屋で、侍女の部屋はどこだ?」
「こっちだろう」
トーヤが続き部屋の扉を押して開ける。
「うわ、これが侍女の部屋かよ……」
奥様の部屋には及ばないが、ここだけでもベルからするとお屋敷と言える部屋である。
天蓋はないが丁寧な造りの寝台、家具や食料置き場、手洗い場までついていて、ここだけで庶民の家一軒分以上はある。
「奥様が何か用事があったらすぐに間に合うように、そんで色々揃ってんだよ」
「なるほど。じゃあこれ、おれ用じゃねえんだな」
「いるのがあったら食べていいよ」
シャンタルがまたあっさりと言う。
「食べるっていやあ、なんか腹減ってきたな」
言われてみれば朝からアロが借りていた家に来て、色々と話を詰めていたもので昼食は食べていない。
「朝も軽く食べただけだったしね、確かにお腹空いたよね」
シャンタルもそう言う。
緊張から解き放たれた安心感から余計にそう感じるのだろう。
「とりあえず、まだ誰が来ても大丈夫なように準備だけはしとけよ」
「分かったよ」
ベルがはあっとため息をつきながらストールを直す。
「ほれ、奥様も」
「うん」
シャンタルにも絹の被り物を何枚もかぶせる。もう手慣れたものだ。
客室の居間ではアランが1人で座っていた。誰かが来た時に知らせるためだ。
「奥様の部屋は見てきたぞ、次は俺らの部屋だ」
奥様と侍女を居間に残し、護衛2人が控室を見に行く。こちらは侍女の部屋よりもっと質素だが、家具などもいい物であると一目で分かる。
「すごい部屋だな。従者の部屋までこんなかよ」
「まあ宮殿だしな。それにお客様も王族だのなんだのお偉い人だ」
「言われてみればそうだな」
おそらく2番目か3番目にいいと思われる部屋は、扉の外に控室のように廊下のような細長い部屋があり、そこからもう一つの扉を通って初めて外に出られる。
その廊下の主寝室の隣にある侍女用の部屋はこの廊下に続いている。用がある時には廊下にも主の寝室にも行ける形だ。
護衛2人の部屋はいくつかある従者用から、居間を挟んで主寝室の反対側にある、こちらも廊下につながる部屋であった。
「別に他の部屋使ってもいいんだろうが、とりあえずこっちって言われたからな」
とりあえずさっと見て回ると、誰かが廊下の外から
「失礼いたします」
居間に入る前にまた鈴を鳴らす。中の人に失礼がないようにだろう。
「お食事をお持ちいたしました」
先ほどの薄い赤色の衣装の侍女が数名のまた違う色の衣装の、やや年若い侍女を連れて部屋に入ってきた。食事の乗ったワゴンを押している。
居間の食事用のテーブルの上に次々にごちそうが並べられていく。
ベルは、お上品な方はそんなことするはずがない、と自分に言い聞かせながら、つばを飲み込むのを我慢していた。
「どうぞごゆっくりお召し上がりください。それから、そちらのおケガをなさっておられる方にはどうぞこちらを」
そう言って、土鍋のような容器を置いた。
(これは……)
トーヤは同じような光景を見たことがある、そう思った。
侍女たちが下がり、仲間4人になってようやく、
「うまそー!」
と、ベルが身を震わせて感激をした。
ベルがどれから手を付けようかとウロウロしている横で、トーヤは迷うことなく一つの土鍋に手をかけ、フタを開けた。
中には優しいスープが入っていた。あの時、トーヤが目を覚まして初めて口にしたあのスープだ。
トーヤがじっとスープを見つめているのにベルが気づいた。
「それ、もしかして、あの?」
トーヤが黙ってうなずく。
「お~どれどれ……って、見た目はそんな変わったもんでもないな」
魚介のスープに米を柔らかく煮て入れてある。ほんのりと優しい香草の香り、懐かしい香りだ。
トーヤが手を付けずにじっと見ていると、ベルがスープをよそった容器を渡してくれた。
「ほれ。おれも食べよっと」
スプーンですくってゆっくりと口に入れる。
「うん、うまい。なんだろう、すごく優しい味してるな」
ニッコリと笑ってトーヤに言う。
トーヤもひとさじすくって口に入れる。あの時の味だ。
「うん、うまいな。でもなんでかな、あの時の方がもっとうまかったな」
何か足りないものがあるのだろう、きっと。
だからあの時はこの世で一番おいしいと思えたのだろう。
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