旧友の面影

藤田

旧友の面影

『久しぶり!今日お前んち泊りに行っていい?笑』


忘れもしない。その日は台風第一号の予報だった。


つつみは中学時代の旧友の吉野からの数年ぶりの連絡に少し戸惑う気持ちもあったが、それを上回る再開への期待に胸を高鳴らせていた。


二つ返事で承諾する。


堤は高校生の時からマンションで一人暮らしをしていて吉野は高校生の時に一度だけ招いたことがある。数時間後に到着するとのことだったので当時の記憶を振り返りながら発泡酒やつまみを買い出しに家を出る。


一歩部屋から出るとまとわりつくような湿気に包まれた。空を見ると黒雲が勇ましく押し寄せてきていた。風も強い。


もうすぐ降り出しそうだな、と堤は思った。同時に、なんで奴はこんな日に泊りに来るのだろうという疑問に感じる。まさか妙な商談でも勧められやしないかと嫌な想像がよぎるが、奴に限ってそれはないだろうと思いなおす。疑いをかけてしまった罪滅ぼしに奮発して少し上等なジャーキーを買ってやることにした。









中学生の時の堤にとって吉野はあこがれだった。自分の意思をしっかりと持っていて常に堂々としていた吉野は教師やクラスメイトから目の敵にされることもしばしばあった。


そんな吉野には当時役者という夢があった。堤はその夢の果てに興味があった。そんな甘い世界ではないことは承知だが吉野ならやり遂げているのではないかという期待もある。


インターホンの音が鳴り足取り軽く開錠しに行く堤。


扉を開けると当時の面影を色濃く残した目と耳の大きいサル顔の吉野だった。


「おおー!変わんねーな吉野」


「はは、そっちこそ」


思わず互いに手を取り合う。吉野の手には細い縄できつく縛ったような赤い跡があり気になったがあえて聞こうともしなかった。


「ささ、中入って」


吉野は羽織っていたワイシャツを脱ぎそれを受け取った堤が玄関のクローゼットに掛ける。


木製のカジュアルな机に向き合って座る。吉野は腰を痛そうにしていた。「もう歳だな」なんて卑下している。買ってきた発泡酒とつまみを取り出す。飲み始めると互いにどんどん口が滑らかになっていった。もうすっかりお隣さんへの配慮もしなくなってきた頃、堤は質問を投げかけた。


「仕事は何をしているんだい」


「しがないサラリーマンだよ」


吉野は即答した。しかし堤の目は見ずに虚空を眺めている。雨戸が強風で音を立てて震える。


「そうか。じゃあ役者はあきらめたんだな」


アルコールに乗っ取られた堤の口からは普段は胸に秘めておく言葉も漏れだす。


「はは、役者。そんなことを言っていた時期もあったっけな。そんなのはガキの妄想に過ぎないよ」


吉野はうなだれてコップの中身を覗き込みながら言った。


「ガキの妄想ねえ…」


堤は筋違いだと理解しつつ落胆していた。


それはそうだ。人は変わる。しかし堤は心のどこかでこの友人だけはそういう凡庸な常識からはかけ離れた存在だと思い込んでいた。


しかしせっかくの再開、せっかくの晩酌である。堤は些細な失望など忘れ残り少ない今日という日を楽しむことにした。





翌日、目を覚ますと吉野はいなくなっていた。大方仕事に出たのだろう。起こしてくれてもよかったのにと嘆きつつ時計を確認し、あと長針が90度傾くまでに出発しなければ遅刻は固いことを把握する。


あわてて部屋をルンバの如くウロチョロしていると、定位置である電話台の引き出しに財布がないことに気が付く。


太鼓のように胸を打つ焦燥感に泣きたくなるのを我慢し、昨日の自分を恨みつつ思考をめぐらせる。


一つの可能性を思いつき体は硬直する。心臓だけがのんきに動いていた。可能性とは吉野が盗んだ可能性だ。もちろん彼を信じたいという気持ちもあるが人間が変わってしまっても仕方のないような時間がたってしまったというのは昨日痛感した。


警察に言おうかと迷う。が、その前に最後に一か所だけ確認していないところがあることを思い出した。昨日着ていた上着のポケットだ。淡い期待を寄せ玄関のクローゼットを開く。そして昨日の上着のポケットをまさぐると、そこには財布があった。中身もちゃんとあった。


ほっと胸を撫で下ろす。体から力が抜けていくのを感じた。焦りで狭くなっていた視野が広がったおかげか、異変に気付いた。クローゼットに昨日吉田が着ていたワイシャツが掛かったままだったのだ。そこで、昨日実は吉野からワイシャツを預かった時から気になっていたことがあるのを思い出した。


ワイシャツのタグが付きっぱなしだったのだ。タグといっても、値札を止めておく用のナイロン製の白くて細いやつ。普通、取るだろう。とくに堤の記憶の中の吉野は几帳面で整理整頓が好きな男だったので意外に思った。つくづく人は変わるものだと思った。


時計を見ると出発の時間まで五分あった。忘れないうちにとっておいてやろうと思った。


タグのわっかに二本の人差し指を入れ込み思い切り引っ張る。しかし、思いのほか頑丈な作りだったものでちぎれることはなかった。こういう乱暴でガサツな自分の性格は変わらないなあと堤は思った。横着せずはさみで切るしかないか。吉野ならはさみで切るだろうな。


痛みを感じて指を見るとタグが食い込んだ跡が残り赤い線ができていた。


雷のような衝撃とともに昨日の光景がフラッシュバックする。昨日、吉野の手にはちょうど今の堤のような赤い跡が残っていた。


…吉野も手でタグをちぎろうとしたのか?でも結局ちぎらなかった。頑丈とはいえはさみを使えば簡単に切れるはずなのに。というかこのワイシャツはやけにきれいだ。新しい。においも新品特有のにおいが残っている。一度も洗濯してないのかもしれない。それほど急いでいたのか。堤の家を訪ねるためにわざわざ買ったのだろうか。もっといえばなんで昨日突然泊まりに来たんだろ。目的は?


旧友吉野は本当に変わってしまったのか?


時計は無慈悲にも進み続ける。堤は会社に体調不良のため休む旨を伝えた。






隣町の公園では照り付ける台風一過の日差しを段ボールでしのぐ小汚いホームレスが見世物が陳列されるみたいに並んでいた。この公園はホームレスの巣窟になっていることで有名で堤は普段なら寄り付かない。吉野のような美意識の高い(無論、過去の記憶の中の彼でしかないのだが)人間は寄り付かないだろう。


しかし、堤の目に映る平日の昼前から公園のベンチに腰かけている成人男性は間違いなく吉野だった。彼は新聞紙を広げて頭にかぶり、ひじを足に乗せうなだれている。


堤はホームレスの一人に声をかけてみた。


「すみません。あそこのベンチの彼はよく見かけますか?」


「んにゃあ、あんたあのあんちゃんの知り合いかい」


ホームレスはコピー用紙を丸めたみたいにクシャクシャな顔の目を見開いた。


「ええ、そんなところです」


「よく見るも何も、一か月前くらいから公園ここに住んでるよ」


「はあ、そうなんですか」


「意地張らずにこっち来いって言ってんのに頑なにベンチで寝るんだよ。あんたからも言っといてやってよ、腰痛めるぞって」


何かの本で読んだことがある。ホームレスになってもプライドを捨てられない人は地べたで寝たがらないと。


「あの、彼は今何をやってるかとか聞いてますか」


「ああ、確か小さな劇団に所属してるとか言ってたような」


劇団…役者あきらめたなんて嘘だったのか。


彼は、何も変わっちゃあいなかった。夢も性格も。誇り高く、プライドの高い彼は誰にも今の状況を知られたくないのだろう。昨日突然きた彼からのlineを思い出して堤の涙腺は決壊した。吉野にどれだけの葛藤があったことか。不安だったに違いない。台風だ、安全な家の中から音に怯えることしかなかった堤には身一つ屋外で台風が迫ってくる恐怖など想像もできない。


あと数か月もすればすっかり冬になる。堤は悩んだが、彼に恥をかかせるわけにはいかないと考え至った。


帰宅し、吉野が手に入れることができなったはさみでタグを切りせめてもの虚勢の新品のワイシャツを洗濯した。


『昨日は楽しかったよ。またいつでも泊りに来い』

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旧友の面影 藤田 @Nexas-teru

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