煙談

黒米

第1話 2つのポールの右と左

Affordance

読み:アフォーダンス


環境が動物に対して与える意味のこと。


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明日美はいつものように、その喫煙所に立ち寄る。狭い間隔に灰皿を挟んで並べられた2つのポール。明日美はいつも、ポールに腰をもたれてタバコを吸う。時々、全身黒ずくめの青年とスポーツ新聞の似合うヨレヨレのブルゾンを着たおじいさんが占領しているのだが、今日は幸い2つのうち一つが空いている。向かって左には先客がおり、若い女性が腰かけていた。社会に対して吹きかけるような勢いある煙は、その若さを彷彿とさせる。右のポールに腰掛け、バッグの内ポケットに封印されたタバコを取り出す。

約20時間ぶりの出番に、鼻息荒く火を付けてもらうのを待つタバコたち。我先にと前列に来るタバコを手に取る。

どこかのアイドルプロデューサーは新曲のセンターを決める際、集合時、1番先頭に来るアイドルを選ぶのをテレビで見たことがある。そのことを思い出していた。

嫌というほど彩度の高いピンクの小さなライターで火を付けようとする。英語の「Big」とニアピンの名前に腹が立つ。ややこしい。

なかなか火が付かない。風の向きを読み、手で風除けを作りながら格闘するも、死にかけのライターからは最後の灯火と言ってお世辞にもならないほど炎が灯るだけで、明日美の選んだ次世代センターを滾らせるには不十分過ぎる。

駅前のコンビニにライターを買いに行こうとポールから腰を上げたとき、黒の半透明のターボライターがふいに差し出された。


「お姉さん、火どぞ」


少し笑みを浮かべて彼女なりに柔らかく装っているらしいが、つんけんとした声色と、「どぞ」と言葉遣いからどこか親切さがイマイチ失われていた。


「ど、どうも…」


東京に来てから、街で赤の他人に声をかけられる時はまるでいいことがなかった明日美は、警戒しつつ、ゴツくて安っぽいライターで火を付ける。いつものライターが小さくフリント式であるが故に、その大きさはより大きく感じられたのだ。


「ありがとうございます…」


警戒心のまだ解けない明日美。


「お姉さん、この前もこの時間に来てたよね」

「え、ええ。なぜ知っているの?」


明日美はそう答える。不思議と嫌な気分はない。相手が自分よりも歳下であろう女性から言われたからなのか。


「前見たからね。一度じゃないよ。回数は覚えてないけどね。」

「そう」


明日美は今年の春に引っ越してから、仕事の日はほぼ毎晩この喫煙所に通っているが、周りの人の顔なんか見てはいないし、東京の街では他人の顔を見ないことがマナーであるような気がしていた。この女の子に話しかけられた今だからこそ、街中でこうもまじまじと他人の横顔を見ることが出来ている。

それから特に話すこともなく、10分にも満たない時間が過ぎた。すると右の少女はその小さな尻を上げ、タバコの火を消し、

「じゃ、また」

と言って明日美が乗ってきた地下鉄の駅に向かって行った。

明日美は目を合わせないように頭で会釈したが、それを認識したのかどうか分からないほどにあっさりと少女はその場から居なくなっていた。

彼女の吸っていたフレーバー付きのメンソールの香りが嫌に服に染み付いた気がした。

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