第109話 騒乱過ぎ去りて ④
それからサングスターが語った話――ドナーティの証言は、概ねエイダンも予想していた事柄だった。
ドナーティは、かねてよりカリドゥス・カラカルと繋がりがあった。カリドゥスの指示で闘技祭の主催に取り入り、料理長として雇われる。そして闘技祭開催直前、ジウサ・アリーナとジウサ廟の二箇所の厨房内に、オーブンに偽装した
「彼は、以前からアジ・ダハーカとも接触していたのですか?」
珍しく憤りを滲ませた声音で、ハオマがサングスターに問う。
「貧民街を襲う事も全て承知の上で、彼らに協力したのでしょうか」
「計画の仔細は知らなかったと、一応そう語っている。特にアジ・ダハーカの目論見については、ほとんど何も知らず仕舞いだったと」
「信じていいのか? その話は」
腕を組んで疑問を呈したのは、ラメシュである。
「私の見立てではな。……ドナーティの背後には、組織も思想集団も、勿論
「かの、てろりすとの方からは、何か聞き出せたのでござろうか?」
「あのイドラス人は一体何者なのです?」
今度はホウゲツとマディが、同時に質問した。これにサングスターは、首を横に振って応じる。
「カリドゥスは一切の証言を拒否している。……だが、ドナーティが彼の正体について言及した」
皆が視線で先を促す中、サングスターは重い口を開いた。
「カリドゥス・カラカル……並びにマルク・ドナーティ。この二人は、『カプノスの悲劇』の生き残りだ」
「『カプノスの悲劇』……?」
聞き覚えのある言葉に、エイダンは自身の記憶を探る。
――晩餐会の夜に、サンドラが口にしていた言葉だ。シェーナが簡単に説明も添えてくれた。それは大イドラス帝国最後の皇帝が死亡した、二十年前の事件だったという。
「この国で、『カプノスの悲劇』を引き起こす訳にはいかない……ってサンドラさんが言うとった、あれ?」
「それね」
確認すると、シェーナから小声で相槌が返ってきた。
「『カプノスの悲劇』……僕も父から、ちらりとその言葉を聞いた事はありますが」
フェリックスが顎先を撫でる。
「両親はあまり説明したくない様子でした。学校の教師や、他の大人達も」
「そうだろとも」
今一度、サングスターはビビアンの方へと視線を送ってから、発言を続けた。
「イドラス共和国で起きたあの事件について、我が国では不文律ながら、事実上の
「一体、どういう事件だったんです? 昔のイドラスの皇帝が亡くなりんさったって……それはつまり、病気とかじゃあのうて」
「無論、違う。まず、あの事件の犠牲者は皇帝だけではない。最終的な死者は……数百名に
「は?」
「悲劇、などという言葉では、軽い。あれは……虐殺事件なのだよ」
我知らず、エイダンは顔を強張らせていた。
その目を正面からサングスターが見つめ返す。
「そうだな。君達には、伝えておこう。『カプノスの悲劇』のあらましを」
◇
大イドラス帝国最後の皇帝――名をフォンス十七世。
若くして即位した彼は、
それも無理のない話ではあった。フォンスが即位する時、既に帝国は斜陽期を通り越し、衰亡の危機に陥っていた。かつて栄華を誇った大イドラス帝国の、積もりに積もったツケを支払う事が彼の責務である。
準州各地で反乱が勃発し、帝国の版図は見る見るうちに縮小していく。困窮した貴族達は田畑や邸宅のみならず、爵位までも売り飛ばした。更に帝都では、帝位の廃止と民主化を訴える政治運動が激化しつつある。
そんな中で、フォンスはまずまず、誠実に務めを果たしたと言えるだろう。領土の九割を刈り取られ、粗方の独立宣言を認めたものの、父祖の地への侵略は食い止め、大規模な対外戦争の危機も軟着陸させた。
その上で皇帝は、帝位の廃止を宣言する。
イドラスの国民はこの無血革命を、皇帝の英断として讃え、フォンス十七世は有終の美を飾って隠居する運びとなった。
彼が隠遁の地に選んだのは、カプノス島。
歴代イドラス皇帝の避暑地とされていた
帝位を退いたフォンスは、僅かな近衛兵と侍従を伴ってこの島に移住する。退位当時、まだ三十代だったと言うが、彼の残りの人生は最早余生でしかなかった。
――そのはずだった。
ところが、フォンスが後を託した新生イドラス共和国の民主政治家達は、一枚岩ではいられなかった。
初代議長となる予定だった共和派のリーダーが、早世してしまったのである。
しかも後継問題がこじれ、共和派は五つの党へ分裂するに至った。主要な貴族と退位済みの皇帝を、全て処刑するべきだと主張する過激派から、議会に貴族院を残し、内政の安定化を急ごうとする貴衆融和派まで。
彼らは果てない政治闘争を始め、首都では流血騒動や暗殺事件もしばしば発生した。
廃位から十年余りが経っても国内情勢は落ち着かず、イドラスの国民は疲弊し、共和五党への失望感が漂う。
そして自然と持ち上がったのが、フォンス十七世の復帰待望論である。
首都の新聞に、先帝の政治手腕を再評価する論説が相次いで掲載されたのだ。
これに激怒したのが、共和五党の過激派の若者達だった。血気盛んな若者達の間では、有力貴族や先帝自身が世論を操っているという噂が囁かれた。
実際の所が、どうだったのかは分からない。とにかくこの陰謀論は、先帝と有力貴族らを断頭台に送れなかった彼らの悔恨に、十数年越しに火を点けた。
聖暦一〇〇三年。真夏の事だったという。
共和五党の超党派により、密かに集められた兵団が、カプノス島に突如上陸。先帝の宮殿に奇襲を仕掛けた。
宮殿の警備は手薄だった。フォンス十七世にとってこの事件は、まるきり寝耳に水の出来事だったようだ。少なくとも彼自身は、帝位復帰など目論んでいなかったという事だろう。
しかし、兵団は容赦をしなかった。
フォンスとその妻は勿論、侍女、執事、料理人、その子供達に至るまで、宮殿の住人は全員が捕らえられた。彼らは大広間に押し込められ――そこに、火が放たれた。
敷地は隙なく包囲され、逃げ出せた者はいなかったという。
焼かれたのは宮殿だけではない。兵団内では当時、皇帝一族の財宝がカプノス島に隠されていると噂されていた。
それは結局、流言飛語に過ぎなかったのだが、彼らは島の全域を焼き討ちし、家々から奪える限りの金品を奪った。
この時、一夜にして島民の半数以上が殺害されたと見られている。
『一体何が、彼らをそこまで残酷に駆り立てたのか?』
従軍した共和派の記者は、そのように書き残している。
『誰にも止められなかった。私も止めなかった。私は有罪だ』
この記者は、カプノス島で起きた虐殺事件についての克明な記録を新聞社に送り、直後に服毒死した。
事件は間もなく、イドラス共和国全土に知れ渡った。隣国の聖シルヴァミスト帝国をはじめ、世界中の国々にも。
共和五党は、国民の支持を失った。
のちに全党が解体。共和国の政治体制は、長い時間をかけて再編される事になる。
そして、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます