第108話 騒乱過ぎ去りて ③

 翌日、日も沈んだ頃になってエイダンは、治療院の応接間に呼ばれた。

 何名かの従者を伴って、サングスターが訪れたらしい。


「こんな夜に見舞い? 都会の人は宵っ張りじゃなあ」


 早寝早起きが基本である漁師のキアランは、少しばかり呆れている。

 彼はブリジットとロイシンと共に、エイダンのローブを届けに来てくれたのだ。

 正規軍魔道部門の最高顧問が見舞いに来ると聞いて、まさか病衣やパジャマのまま会う訳にはいかないと、ブリジットは大急ぎで、あちこちがほつれていたエイダンの小豆色のローブをつくろい直した。

 下ろしたて同然の仕上がりにエイダンは感謝したが、ブリジットは不満らしく、


「勲章を受ける前に、ちゃんと新しい礼服を仕立てるんよ」


 と、無慈悲な事を言う。

 こんな大都会の仕立て屋など、入店しただけで呼吸が止まりそうだ。


「出歩けるようんなって一番に行くのが、仕立て屋?」

「じゃけえ、村におるうちに新調しんさいと、ばーちゃんは言うたいーね」

「はぁい」


 祖母の言い分は全くのところ正しかったため、エイダンはしゅんと肩を落として観念した。傍で話を聞いていたロイシンが、くすくすと笑う。


「ほんじゃ、イーファちゃんに留守番させとるし、わたしらは宿に戻るけど……エイダン、体調は大丈夫?」

「座っとるくらいじゃったら、もう世話せあないよ。あんがとうなロイシン」


 笑い返すと、ロイシンはほっとした様子で続けた。


「元気になったら、一緒に仕立て屋に行って……それからね、ラメシュさん達が、何だかお菓子を食べに行こうて言うてくれとるんだけど。冷たくて甘いんじゃって」

「冷たくて甘い? ああ、それはあれじゃ。アイス――クラブ――ちゃうな、アイス・クリーム?」

「はぁ、そんなんがあるんか」


 キアランが、単語を聞いても今一つピンと来ない様子で首を傾げる。


「どがぁなもんじゃ?」

「俺も結局食えとらん。ホウゲツさんやラメシュさんと、一緒に食おうと言うとったんよ。よし、退院したらみんなで買いに行こう」


 そんな思わぬ計画がまとまったのちに、ローブを羽織り、新品の杖を携えたエイダンは、応接間へと見送られた。



   ◇



 応接間前には、救護班の面々が勢揃いしていた。馴染みの顔ぶれに安堵を覚えたエイダンは、一人、扉の前に立つ見知らぬ人物に注目する。濃紺の正装を隙なく着こなした、教師のような印象の女性だ。


「夜間の訪問となり、非礼をお詫び致します、フォーリー様。人目を忍ぶ必要がございまして」


 と、彼女は丁寧に頭を下げ、応接間の扉を開けた。

 入ってすぐの所で一行を出迎えたのは、サングスターである。上質なローブ姿、厳格さを示す眉間の皺。あの日、彼も修羅場と化した聖ジウサ・アリーナにいたはずだが、大きな怪我は負っていないようだし、疲弊している風にも見えない。


「こんばんは。元気まめなぁで良かったです」


 ついそんな言葉をかけると、「マメ?」と怪訝な顔を返された。


「あ、ええと……ゴケンショウで……?」


 慣れない言葉で言い直して、そこでエイダンは、部屋の奥から歩み寄るもう一人に気づく。


「ほう。そなたがエイダン・フォーリーか」


 静かな足取りでエイダンの目の前に立ったのは、ブルネットの巻き髪が美しい、気品に満ちた少女である。年齢はイーファと同じくらいだろうか。

 どちらさん、と質問しかけて、エイダンは口を噤んだ。彼女の顔には覚えがある。ただし、動いている所を見たのは初めてだ。

 以前目にしたのは……そう、肖像画の中でだ。何かの本だったか、数ヶ月遅れで村にやって来る新聞だったかに載っていた。絵の中では、もう少し幼い雰囲気だったように思うが。


「へ――陛下!?」


 真っ先にマディが上擦った声を上げ、その場に片膝をついた。彼女は元軍人だ。形式上とはいえ、正規軍の最高司令官にあたる人物の顔は当然に記憶していたのだろう。

 それを見て、シェーナとフェリックスも目の前の少女の正体に気づいたらしい。


「陛下……?」

「皇帝陛下!?」


 二人がかしこまるのに倣って、エイダンも慌てて膝を折る。シルヴァミスト出身ではないハオマ、ホウゲツ、ラメシュも、各々の母国のやり方でこうべを垂れ、タマライまでも『伏せ』の姿勢を取った。


「……何じゃ、もうバレてしもうたぞ。サングスター先生」


 と、皇帝レヴィ二世は不満げに、ドレスの腰に両手を当てる。


「当然でございます。辺境の子供ならばともかく。さて陛下、国民に対してそのように膨れっ面を見せるのは、皇帝として不適切な振る舞いでしょう」

「分かっておる、致し方のない事じゃ」


 サングスターに諭されると、皇帝は大人びた溜息を一つ吐いてから背筋を伸ばした。


「余の――いや、わたくしの我が侭を聞いて貰って、すまぬな。式典の場ではどうしても、通り一遍の挨拶になってしまうというもの。皇帝としてではなく、このみやこに住む一人の人間として、街を救ってくれたそなたらに、会っておきたかった」


 長い睫毛を伏せ、皇帝はひざまずいたエイダンを見下ろす。


「特に、エイダン・フォーリーの顔はこの目で見ておかねば、と」

「は……」


 何故だかその口調が、前々から知っている相手に向けるもののように思えて、エイダンは戸惑った。無論、皇帝に自分の名前が知られているはずはない。首都に知り合いすらいないのだ。

 しかも何だろうかこの、微妙に居心地の悪い眼差しは。女友達の家に何の気なしに遊びに行って、両親に思わぬ歓待を受けたような気分だった。


「ふむ。得心が行った」


 レヴィ二世は満足した様子で謎めいた言葉を吐き、その場の皆を見渡してから、応接間の奥のソファに戻る。


「改めて礼を言わせて貰うぞ、治癒術士ヒーラー諸君よ。……さて、これより顧問のサングスターから話があるのじゃが、この場に私がおる事は内密にしておきたい。ゆえに、ここではどうか『ビビアン』と呼んでくれ」

「ビビアン……様?」

「それが生まれた時の名であるからな」


 聖シルヴァミスト帝国の皇帝は、生来の名前とは別に即位名を名乗る。即位名は異性の名とするのが伝統になっているらしく、レヴィという名もそうだ。レヴィ二世の二代前にあたる男性皇帝の名は、メアリといった。その伝統の由来までは、エイダンには分からない。


「では――授与式の日取りについてだが」


 サングスターもまたソファに座り、皆に着席を促しながらそう切り出した。



   ◇



 「えっ。ホウゲツさん、アシハラに帰りんさるん?」

「さよう」


 授与式の日程を相談している最中に、ホウゲツから帰国の予定を打ち明けられ、エイダンは目を瞠った。


「腕に負った傷の治療も、も順調にござるが、やはり一度祖国に帰り、魔力の適合する土地で治療に専念した方が良い――と、主任治癒術士ヒーラーに告げられ申した。祖国からの留学仲間達も、同じ意見でござってな」

「そがぁかね……寂しゅうなるな」

「ラメシュ殿とタマライ殿も、テンドゥ帝国に帰国なさる予定でござったな?」

「そうだ」

「ぐるる」


 ホウゲツの確認を、あっさりと肯定するラメシュとタマライである。エイダンはまた「ええっ」と驚いた。


「北ラズエイア大陸全土の脅威だったアジ・ダハーカが、死んだってニュースが広まれば、多分テンドゥをはじめ、ラズエイア中央地域の情勢は大きく動くぜ。国境の治安が荒れる事もあり得る。そんなら、オレは一族を守らなきゃならねえ」


 タマライの顎の毛並みを軽くいて、ラメシュは説く。


「今回は……タマライも危ない目に遭わせちまったし、エイダン、お前を助けるべき場でもおくれをとった。正直、力不足を痛感したもんでな。帰国したら、料理カリーの基礎からもう一度、鍛錬を積み直すつもりだ」

「いんや、そんなん言い出したら俺も、なっとらん所ばかりじゃったけど」

「お前はよくやったよ。だから勲章を貰うんだろ。けど、もう勝手に死にかけたりすんなよ」

「はあ」


 急にストレートなねぎらいの言葉をかけられ、むず痒いものを覚えたエイダンは、誤魔化しがてら後ろ髪を掻いた。


「東洋地域への船旅は大仕事だ。旅支度の手間を考えれば、授与式は早めに済ませた方が良いな。フォーリーの退院許可が出次第……」

「はい、そんでええです」


 ホウゲツ達との別れを惜しむのは一先ず後回しにして、エイダンはサングスターの提案に同意する。


「よろしい」


 サングスターが頷き、相談事はすんなりと終わったかに見えた。

 しかしそこで不意に、レヴィ二世――いや、ビビアンが発言する。


「先生。彼らにはもう一件、聞いて貰いたい話があるのだったな?」


 皆がビビアンの方に注目し、それからサングスターへと首を向けた。

 視線を集めたサングスターは、眉間に指を押し当てた。いささか悩ましげな様子だ。


「……承知しております。しかしやはり、陛下の御前でこの話をするのは」

「ここに皇帝はおらぬ。そう申したではないか」

「十三歳の……未成年の前でするにも不適切な話題かと。恐ろしい犯罪の話題ですので」

「構わぬ。これほどの事件、いくら耳を塞ごうとも、遠からず不本意な形で知る事になろう。先生もそれを分かっておいでのはず」


 サングスターが深々と溜息をつく。

 先生、と呼んでいるからには、ビビアンにとってサングスターは教師なのだろう。魔術か学問か、貴族の作法か。師事しているのはその辺りと思われたが、なかなか苦労の多そうなポジションだ、とエイダンは、この国随一の名家の総領に同情した。


 サングスターはなおも短い逡巡を見せたが、やがて、慎重に言葉を紡ぎ始める。


「マルク・ドナーティ……ドナーティ料理長だ。君達をアリーナの厨房に監禁したという。彼が、大方の経緯を証言した。その内容に嘘や矛盾がないかどうか、現場にいた者に確認して欲しい」

「……!」


 軽く息を呑んでから、エイダンは「はい」と端的に応答した。

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