第78話 開会式にて ②
エイダン達の前に現れたのは、声から察せられたとおり、二十歳前後と見られる魔術士風の女だった。
大振りな灰色の三角帽子を被り、同じく灰色のマントを羽織っている。やや低い鼻の頭に眼鏡を乗せていて、厚いレンズの奥で、明るい茶色の瞳が、きょとんと室内を見回していた。
「んっ? ……あら、あれれっ……ここ、選手の控え室っちゃんね?」
「いえ、救護室……だけど」
部屋の手前にいたシェーナが、どうにか驚きから立ち直り、回答する。
「多分、選手控え室って、競技場挟んで反対側じゃないかな」
「ああ!?
三角帽子の魔術士は、
「見つけたぞ、不審者!」
取り囲もうとする警備兵達を前に、魔術士は慌てて両手を上げ、投降のポーズをとる。
「ごめんごめん、でも不審者じゃなかとよ、選手ったい! アビゲイル・スウィンバーン! チーム『サウスティモン』所属! ええっと、ポケットに選手証が……」
「選手ぅ!? 選手証は、会場内では目立つように身に付けておけと言ったじゃないか!」
「大体、何故廊下の窓なんかから侵入したんだ!?」
「道ば迷うて、入り口見つからんやったんよ!」
「だからって無茶苦茶するな!」
アビゲイルなる魔術士の言葉には、シルヴァミスト南部の訛りがあった。サウスティモンというのは、地名だろうか。
西部のイニシュカ島と、地方は異なるが、辺境の平民層独特の訛りを聞いて、エイダンはつい、親近感を覚えた。
「あの、警備の仕事お疲れさんです」
と、彼は警備兵と魔術士の間に割って入る。
「でもこの人は、迷うただけじゃと言うとんさりますし、あんまり怒らんといて下さい」
「……君は救護班員か? しかしな。皇帝陛下もご観覧の大会で、怪しい行動を起こされては」
「まあまあ、全員落ち着いて」
ハリエットもエイダンの横に立ち、助け舟を出した。
「はっ、プライス中尉――」
士官である彼女の参入に、警備兵達は武器を収め、自然と姿勢を正す。
「アビゲイルさんだったかしら。選手証を見せて頂ける?」
「よかよ、
マントの下のポケットをごそごそと探り、アビゲイルは一枚の記章を取り出す。聖ジウサの横顔が彫られたそれは、確かに選手を証明する物だった。
「ありがとうございます、確認しましたわ。ここは救護室、これ以上の騒動は
上官にそう
「助かったばい! ありがとう中尉さん、それに……君は、治癒術士? 西部の人っちゃんね?」
残ったアビゲイルは、胸を撫で下ろして礼を述べる。エイダンの使う西部訛りに興味を抱いたのか、帽子を斜めにずらして、こちらに目を向けた。
「はい、西部のもんです。ホルダー州イニシュカ村の治癒術士で……今は救護班員やっとります」
「わいたぁ、そげな遠い所から? うちらチーム『サウスティモン』は、モロウミア州の、サウスティモン村から出てきた者らばい」
エイダンを見つめる眼鏡の奥の両目が、笑みの形に細められる。基本は茶色だが、角度によって夕陽に似た光を反射する、不思議な色合いの瞳だった。
「うちらと同じように、遠方から来た人が頑張っとるんは、
右手が差し出されたので、エイダンも笑顔になり、握手に応じた。
「俺もです。選手さんなんじゃね?」
「うん。チームの
「
二人がそんな会話を交わしているところに、窓の外から、新たな音楽が湧き上がった。
金管楽器のファンファーレだ。そこに人々の歓声が重なり合う。どこかからか、水の流れる音まで近づいてきた。
「いよいよ、開会式か……!」
フェリックスがいそいそと窓際に向かう。エイダンもそれに倣い、窓の隅から顔を覗かせ、競技場を見回した。この場で一番背の低いホウゲツは、木箱の上に正座して、見物の体勢に入っている。
一旦ファンファーレが鳴りやんだかと思うと、続けて、更に荘厳な音楽が奏でられ始めた。
イニシュカ島で祭りの時に聴く、素朴なフィドルや縦笛の
近年、ラズエイア大陸で発祥し発展した、
「あの、水の音は何じゃろ? ……グラス川の水かいな?」
音楽に混じり、会場を取り巻いて流れる雨のような音に、エイダンは耳を澄ませる。
ここはダズリンヒル市街のほぼ中央部。街の真ん中を東西に貫くグラス川は、アリーナのすぐ南隣にある。
エイダンが発した疑問への回答は、数秒後には明らかになった。
聖ジウサ・アリーナの、階段状の観客席――その向こう側から、突如として、巨大な滝がせり上がってきたのだ。
「なぁっ!?」
エイダンは仰天して叫んだ。
地面から空に向けて上昇する水流を、『滝』と呼ぶのは妙だが、見た所は、まるきり逆さまの滝だ。しかも見渡すに、アリーナをぐるりと取り囲む、円形の滝であるらしい。
滝は天へと昇り続け、徐々に競技場の真上までも覆っていく。ドーム状の水の壁を形作ろうとしている様子だった。
「これは……水の魔術か?」
「大規模な結界術に見えるぞ」
マディとラメシュが、感心しきった声音で見解を述べる。
「ええ、水属性の治癒術による、保護結界だそうよ。アリーナの周辺に、大量の加護石が配置されてる。サンドラが手配したものね」
シェーナが、やや硬い声で母親の名を呼んだ。
そういえば、とエイダンは思い出す。サンドラ・キッシンジャーはこの会場の、保護結界構築を監督する立場にあると説明していた。今はきっと、外で魔術士達と共に働いているのだろう。
「んでも、こがぁなでっかい魔術……水源はグラス川から引っ張れるかもしれんけど、魔力の供給は足りるんじゃろか?」
「ああ、この会場を覆う結界の、ベースになる魔力の供給源はね。伝統的に、あそこの加護石なのよ」
と、シェーナはエイダンに、窓の外の一方向を指し示してみせた。
彼女の指先の向こうに見えるのは、アリーナの傍らに寄り添うようにそびえ立つ、石造りの尖塔である。
「聖ジウサ
「ていうか、あの塔がまるごと加護石」
「ええっ!?」
またも、エイダンは開いた口が塞がらなくなってしまう。そろそろ顎が外れるのではないかと、自分の身体が心配になった。
白磁のごとき石の塔。確かに、石は石だ。しかし、目算でもざっと五十ケイドル程の高さがある。あの塔の壁に使用された石材、全てが加護石――?
「シェーナさん、ほんまに?」
「サンドラに聞いたところでは、そうね。伝説では、古代にあの
見習い魔術士達の最初の実習に使われ、最先端の発明である浄気機関車にも使用されている、『加護石』の技術。
しかし、この加護石に封じ込められた魔術は、通常、数ヶ月から数年で劣化し、霧散してしまう。
かの魔杖将ヴァンス・ダラが、レイディロウ城に仕掛けていた浄化魔術の加護石は、八十年近くに渡って城を
エイダンはその様から、小料理屋の伝統の味付けソースを連想した。ついでに、故郷の焼きダコが食べたくなった。
「……イニシュカの、タコ串屋さんで
「どういう例えよ!?」
シェーナが呆れた表情を浮かべる。ちょっと連想の飛躍が過ぎたらしい。
「つまり、今作られとるこの保護結界は……あの塔の加護石と、サンドラ・キッシンジャーさんの開発した加護石の、合わせ技っちゅう事になるんかな?」
「そういう事。グラス川を利用した水属性結界術を構築した上で、更に複合属性の
シェーナの言うとおり、ドーム状となった水の膜をつぶさに観察してみると、その
水だけではなく、風と地属性の力も張り巡らされている様子だ。
「はああ……」
すっかり完成し、アリーナを覆い尽くした結界を見上げ、エイダンはただ感服して唸りを漏らすしかない。
「ごうげな、どころじゃなぁわ……首都っちゅうのは……」
「あーね、すごか」
横合いからさらりとした相槌を打ったのは、まだ救護室から立ち去っていなかった、アビゲイルである。
「ばってん、古代ん技術は……時に危なかよ。安全には留意されとらんけん」
「安全?」
ミカエラが怪訝な顔で、アビゲイルの口にした単語を繰り返した。
「あれは、保護結界だぞ。結界なんだから安全だよ」
「うんにゃ、そげな話とは違うったい。魔術そのものの、構造上の
先刻まで、単なるうっかり者の辺境魔術士と思われていたアビゲイルが、急に眼鏡をずり上げ、真剣に解説を始めたので、救護班の面々は、呆気に取られて彼女を見つめる。
「ほれ、古くからある簡易な魔術てのは、呪術として作られた呪文を、治癒術に転換するような事も出来るっちゃんね?」
「ああ、うん」
思い当たる節のあったエイダンは、すぐに頷いた。
彼が最初に使えるようになった治癒術、『
魔術士は、単に多くの呪文を知っていれば優秀とされる訳ではない。
状況や対象、自分の魔力と実力に応じて、アレンジを利かせた術を使いこなせるかどうかで、その腕前の真価が決まるのだ。完成済みの魔術が封じられた加護石でも、知識と技術さえあれば、発動のさせ方を変える事が出来る。
ただし、強固で複雑な魔術ほど、応用は困難になっていくものだ。特に、魔道学の体系化と法整備が進んだ近年では、法で定められた以上の効力を発揮しないよう、あえて精霊との契約発動条件を厳密に縛った魔術や
「ばってん、あの
「……アビゲイルさん? 貴方、一体?」
ハリエットが静かに問い質す。
そこで、アビゲイルは自分を見つめる皆の視線に気づき、慌てて顔の前で両手を振った。
「あ、あれれ!? ごめんごめん、開会式に水差したとね? うち、魔術学校での専攻が、古代魔術研究たい。すぐ悪い癖が出る」
「学生さん? 研究生? 闘技祭の選手には、珍しいわね」
シェーナが小首を傾げる。
「サウスティモンの村には、まず魔術士があまりおらんけん。リーダーで冒険者のグレンが、田舎から一旗上げようて……」
そう言ってアビゲイルは、また何かに気づいた様子で、帽子の位置を正した。
「あっいけん、ええ加減控え室ば探しに行かな。チームの仲間が心配しとうっちゃろう」
「そうだった、案内するわ」
主催側のスタッフが開会式に
「じゃあ、うちら一回戦に出るけん。応援よろしゅうね」
と、アビゲイルは手を振って去って行った。
「東洋魔術に出会って、世界は広い、などと思ったものだが……シルヴァミストも十分広いな。色んな魔術士がいる」
フェリックスが、感心した風に述べる。
「古代魔術研究の学生が、闘技祭に参戦とは」
確かに、一体どういう経緯で参加が決まったのか、気になるところだ。
チーム・サウスティモンは、一回戦に出場すると言っていた。エイダンはもうじき始まる競技を想像して、窓の外を見つめる。
保護結界を構築し終えた開会式は、音楽も止み、来賓の挨拶へと移行していた。
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