第71話 聖ジウサ・アリーナの邂逅 ①

 「……今からでもイニシュカに戻れんもんでしょうか?」


 情けなく肩を落としきって、エイダンはサンドラに頭を下げた。

 彼の傍らでは、イーファがぶすっと口を尖らせて立っている。


「日程上、無理ね。途中の補給拠点の街で下ろすか、ダズリンヒルまで連れて行くしかないわ」

「途中で下ろすんは、流石に……」


 エイダンは一度、イーファの横顔に目を向け、額を押さえて溜息をついた。


「なんで船に乗っとんの?」

「なんか……乗れちゃったんだもん。キアラン兄ちゃんから隠れようと思って、港の樽の中に入ってたら」


 船の倉庫に隠れているイーファが発見され、船内が大騒動になったのは、つい小一時間前の事である。


 既にイニシュカ島は遥か海の彼方。エイダンは慌てふためき、目を白黒させながらも、この船のあるじにして雇用主であるサンドラに、イーファの身元について説明を終えた。


「未成年のようだから、最低限の安全と食事の供給は、船主として保証するわ。でも、当面の保護責任者は貴方という事でいいわね?」

「はい、構わんです。……とにかく、ダズリンヒルまで連れて行かせて下さい。手紙だけ、最寄りの街で出してもええですか? 親御おやごさん達にしらせとかんと」


「キアラン兄ちゃんに言うん? 父ちゃんと母ちゃんにも?」

「当たり前じゃろ。みんな、無茶苦茶心配しとるんだけんな」


 急に泣きそうな顔になるイーファを見下ろし、いつになく厳しい口調でそう言ったものの、エイダンはすぐに、考え直した。

 この後家に帰されたら、イーファは間違いなく、散々に叱られるだろう。何度も同じ内容の説教を喰らうのは可哀想だし、説教を一度きりにするなら、それは実の家族からなされるのが一番だ。


「……ここまで来てしもうたもんは、仕方ないけん。お父さん達も、とてもダズリンヒルまで迎えには来られんしな。ほんまもんの都会を見たいんじゃったら、ちょっと見学するくらいはええよ。安全に気ぃつけて」


 ぱっと目を輝かせて、イーファが繰り返し首を縦に振る。


「うんうん! 気をつける!」

「ほんで、兄ちゃんと一緒に帰るよな? そのままダズリンヒルに置いてけぼりは、嫌じゃろ」

「……うん」


 多少不服そうな顔にはなったが、これにもイーファは同意した。首都に置き去りにされて、いきなり一人暮らしというのは現実的でないと、それくらいは流石に理解している。


「よし、ほんじゃあ、手紙にそう書いとく」


 一応、同行の許可を与えられたイーファは、「はーい」と元気の良い返事をして、部屋を出て行った。キアランの弁当を盗み食いして以来、何も食べていないらしいので、厨房に早めのランチを提供するよう頼んである。


 エイダンも船室を出て、ようやく一息ついたところ、部屋の外で聞き耳を立てていたシェーナが、ねぎらいの篭もった視線を投げてきた。


「お疲れ。悩ましいわね」

「うーん……。俺も都会で勉強させてもろうて、好きな事やって暮らしとる身だけん、イーファが夢を見るんも、あまり強くは止められんなあ」

「あたしなんて十五の時から『家出娘』だもの、もっと説教役に向いてないわ」


 シェーナは肩を竦め、傍で会話を聞いていたハオマが、軽く首を傾げる。


「サヌを奉じる者らは、まず故郷を離れ、血族や家財への未練を断つ事が、この大地全てへの献身の第一歩、と教え諭されますが」

「いや多分イーファは、サヌ教徒になろうっちゅうんじゃないじゃろうけど……」

「僕は故郷を離れているが、同時に家族も大事に思ってるぞ!」


 無意味に胸を張ったのは、フェリックスである。


「父からは、先日、家督かとくを弟に継がせる、という旨の手紙を貰ったがな」

「……大丈夫なの? それ。ファルコナーさん怒ってない?」

「弟によると、僕がいつまでも家に戻らないので、ちょっと怒っているらしいが、仕方ない。治癒術の修行が先決だ。君を待たせておく訳にはいかないじゃないか、シェーナ!」

「いや、待ってないけど……」


 エイダンは、何とも言いようがなく頭を掻いた。

 考えてみると、彼の仲間の治癒術士達は、大概自由過ぎるくらい自由に生きている。誰もイーファに、安全に生きる道を説いて聞かせられない。


「ええと、蒼薊闘技祭そうけいとうぎさいは六日間じゃったっけ」

「そう。十六チームが出場する、トーナメント制の大会ね」


 初日に、開会式と最初の二試合。途中の四日間は、一日三試合ずつ。最終日は決勝戦と表彰式。そういうプログラムのはずだ。


「六日かあ……。何もなけりゃあええが」


 とにかく次の街に寄る前に、オコナー家への、状況を説明する手紙を書き上げなくてはならない。エイダンは頭をひねりつつ、廊下を歩いて行った。



   ◇



 ――聖なる都、ダズリンヒル。


 遥かないにしえの時代。人類が初めて、銀の霧に包まれた神秘の島、シルヴァミストへと到達した時、船を着けたのがこの輝ける丘ダズリンヒルだったと言われる。

 その当時は入江と荒野だけだったダズリンヒルだが、現在は推定百万の人口を抱える、世界有数の巨大都市メトロポリスである。


 そんなダズリンヒルの只中に降り立ったエイダンは、ほとんど茫然自失の状態で、周囲を見渡していた。


 港に船が到着するなり、桟橋から放り込まれるような勢いで大型の馬車に乗せられたのだ。そのまま人でごった返す大通りを駆け抜けて、今はこの場、市街のど真ん中にいる。


 途方もなく幅の広い道路だというのに、どこへ目を向けても人間が歩いていた。しかも、イニシュカではあり得ないくらい、カラフルに着飾った人々だ。


 道路の両側も、色とりどりである。果てがないのかと思える程に延々と、煉瓦の建物が軒を連ね、その多くがどうやら商店らしい。服に宝石、花、菓子、書籍……エイダンには何なのか分からない、見た事のない物まで、あらゆる品々が売られていた。


 そして、彼らが馬車を降りた地点の真正面には、不思議な青みを帯びた白色はくしょくの、石造りの尖塔が、高々とそびえ立っている。


 聖ジウサびょうだ。


 遠目には白磁のようにも見える、滑らかな外観は、シルヴァミスト北東部沿岸の山から切り出される、独特の石材を使用しているためのものだという。

 近づいて観察すれば、塔の壁には、古代の英雄や精霊王達の活躍をえがいた、物語風のレリーフが刻まれていて、その合間には、繊細な青アザミのモチーフが花弁を開かせていた。


 昔、本の挿絵で見たそれよりも、遥かに荘厳な建築だ。

 エイダンは声もなく、しばし尖塔の門前で立ち尽くした。


「……エイダン兄さん」


 エイダンのローブの裾を掴んだイーファが、恐る恐る、といった調子で呼びかける。


「うん?」

「こっ、ここで仕事するん?」

「いんや、多分塔の中じゃなぁよ……その奥のあれじゃろう、会場は」


 エイダンは、白い尖塔の向こう側を指差した。

 円形の建物が見える。こちらは砂色の石材から造られていた。塔に比べると高さはないが、間近となるこの位置からでは、全貌が把握できないくらいに広大だ。 


「あっ……あっちで……?」

「そうだ、あれがジウサ・アリーナ。蒼薊闘技祭そうけいとうぎさいの会場だよ」


 笑い混じりの声が、すぐ傍から飛んできて、エイダンは慌ててそちらに顔を向けた。

 そこに立っていたのは、見知った二人組である。一人は、引き締まった長身に長弓を背負った、南ラズエイア大陸風の女冒険者。今一人は、鼠色ねずみいろがかった民族衣装を着込み、のっぺりした顔に丸眼鏡をかけた、東洋人の男。


「マディさん、ホウゲツさん!」


「おお、エイダン殿ではないか! 息災で何より!」

「はるばる、よく来てくれたな。船旅は大変だっただろう」


 相変わらずの落ち着いた物腰で、マディはエイダンの手を取り、肩を叩く。それから彼女は、微かに顔を曇らせた。


「この一件に、君達を巻き込むつもりはなかったんだが……」

「一件って、マディ達がテロリストと遭遇した事件?」


 シェーナが問う。


「そうだ。どうも私は、あの時会った列車強盗の行方が気になってな。ホウゲツに協力して貰いながら調べを進めていたんだ。そうしたら、闘技祭救護班の治癒術士が逮捕された事件に行き着いて……色々あって、救護班と潜入捜査官を兼ねて雇われてしまった」

「って事は、その列車強盗、闘技祭で事件を起こそうとした連中と繋がりがあるのね?」


 口を引き結んで真剣に頷いたマディは、ポケットから折り畳んだ紙を一枚取り出して、広げてみせた。


「この街に滞在するなら、一応皆も、この顔を覚えておいてくれ。ホウゲツが描いた似顔絵だから、正確だ。首都に潜伏している可能性が高い」


 エイダンは、掲げられた紙の絵をまじまじと見つめる。


 無造作に括った長い髪。切れ長の目で、全体に整ってはいるが、温度を感じさせない風貌の男。右頬に、火傷痕と思われる古傷がある。


「この人が――」

「名を、カリドゥス・カラカル。イドラス共和国出身だ。要人暗殺に誘拐、強盗、禁忌呪術使用などの容疑で、イドラス国内では三年前から指名手配されている」

「イドラスを追われた末に、海外……つまり、ここシルヴァミストに逃亡したのでござろうな。そして、この国の地下組織と接触。再び『てろりすと』とやらとして活動を開始した」


 マディの隣で、ホウゲツも顔をしかめ、眼鏡の位置を正した。


それがしも異国の民なれど、シルヴァミストには恩ある身。罪もない人々への乱暴狼藉らんぼうろうぜきは、天下のどこであろうとも、許し難い所業にござる」


「ホウゲツがいてくれるというのは、心強いな。以前聞いた話では、君はカリカリとかいうテロリストの攻撃に、対抗出来る治癒術を使えるんだろう?」


 と、口を挟んだのはフェリックスだ。


 フェリックスとホウゲツは、一度対面して以来、えらく意気投合し、あの後も手紙のやり取りをしていたらしい。他人の名前を正確に覚えるのが苦手なフェリックスだが、他人と仲良くなるのは得意なのである。


「いやあ、とはいえ、腕っ節の方はさっぱりなので、それがし自身が襲われたらひとたまりもござらんがな。デュッフフ!」


 ホウゲツの、今一つ笑いどころの分からない笑い話も、相変わらずの様子だった。


「皆、顔合わせは済んだ? アリーナに入ってちょうだい。今後の手順を説明するから」


 サンドラがよく通る声を上げ、治癒術士一行は、彼女に続いてぞろぞろと、聖ジウサ・アリーナの入口を目指した。

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