第22話 ライタスフォートの鼎談 ③

 シェーナとフェリックスは、少しの間怪訝な顔を見合わせたものの、すぐにフェリックスの方が、あたふたと鞄を開けた。


「地図! 地図がある!」


 地図帳を取り出し、ケントラン州全域を記したページを開く。

 毛筆で、何やら見慣れない文字が書き込まれている。コチがシルヴァミストの地理を学習するのに、使っていたものだろうか。


「ここから東南東に、真っ直ぐ九十キンケイドル(※一キンケイドル=約一キロメートル)……」


 そこには――何もなかった。

 単に、旧街道を示す細い点線が引かれているのみである。


「……ハオマ、貴方の言う場所、何もなさそうなんだけど」


 シェーナは定規代わりにした鉛筆を額に当てて、困惑した。


「一体何の数字なの? その距離」


 ハオマは椅子に腰掛けたまま、膝の上に蛇頭琴を乗せ、軽く親指で弦に触れてから、再び口を開いた。


「その場所に現在、モヌポルがいるのです。また、エイダン達も同様の地点にいるか……少なくとも、同じ案件に巻き込まれている可能性がごさいます」


「はっ? モヌポルが、なんで!?」

「ノルポン? 誰だ?」


 シェーナが目を瞠り、フェリックスは豪快に名前を間違える。


「一昨日、拙僧はノムズルーツを訪ねていたのですが」


 モヌポルと彼の家族の家は、『妖精狩り』の密猟者に破壊されてしまい、現在彼らは同じ森の中にある、従兄弟の家に同居している。

 壊された家の建て直しが着々と進んでいるので、ハオマはその手伝いに向かったのだそうだ。


 ところが、建て直し中の新居はひっそりとしていた。

 ハオマが不思議に思いつつ、ノーム達の名を呼ぶと、モヌポルの一人娘であるサメザレが、周囲の様子を伺いながら、そっと姿を現した。


「ハオマさん! あのね、わたしたちの家を誰かが調べに来たの!」


 サメザレはそう訴えた。

 彼女の話によると、ハオマが森にやって来る直前、人目をはばかるように数人の人間達が現れ、かつてレイジングゴーレムが暴れ回った跡地を、念入りに調査して行ったのだという。

 服装は一般の旅人風だったが、使う言葉と統制のとれた仕事ぶりから、正規軍の軍人ではないかと、モヌポルは疑った。


「シルヴァミスト正規軍が、ノムズルーツに……?」


 話の途中で、シェーナは眉間を寄せた。


 正規軍や役場の人間、つまりシルヴァミストの公務関係者は、基本的に妖精と、没交渉の立場を貫いている。百年以上昔、妖精による大乱があり、痛み分けに終わって以来、厳格に定められた伝統だそうだ。

 その正規軍が、民間の冒険者の仲介もなく、ノームの集落周辺に。モヌポルが怪しみ、サメザレが怯えるのも無理はない。


 モヌポルは、調査者達を追跡すると言って、一人、森を出て行ってしまった。


「モヌポルも大概、無茶な真似するわね……」

「その通りでございます。森を離れると、ノームは徐々に弱っていきますし」


 ハオマが困った様子で、溜息をついた。


「大丈夫なのかしら。ここから九十キンケイドルも離れた場所にいるって事は、ノムズルーツからも大分遠いでしょ」


「ところで、ハオマは何故、その妖精モムノムの現在地を知っているんだ? 君が会いに行った時、彼はもう、不審な調査者を追って森を発った後だったんだろう?」


 フェリックスが、何とか話に追いついて割って入る。


「我々サヌに祈る者共は、ノームと契約を交わすすべを知っております。我々は彼らの森の浄めを手伝い、また妖精と人との仲を取り持つ。見返りとして、ノームは放浪する我々に、飲み水や森の恵みを分け与えて下さるのです」


 ハオマは蛇頭琴の弦を、また一つはじく。


「拙僧は、モヌポルと盟友の契約を交わしました。そのため、彼が呼びさえすれば、遠く離れた地にいようとも、その居場所を知る事が出来るのです」


 先程からハオマが触れている蛇頭琴の弦に、シェーナ達には聴き取れない何らかの振動音が伝えられてきて、それを彼は感知しているらしかった。


「ははあ……何とも詩的で、心躍る友情だなあ。古代の妖精伝説をうたった叙事詩のようだ!」


 フェリックスは感動しているが、恐らく、彼が連想しているロマンチックな妖精物語の主役達よりもう少し、モヌポルは荒っぽい人物と言えるだろう。


「モヌポルが追跡している人々は、サメザレ嬢も目撃しております。彼女が、調査隊の指揮官と思われる人物の、似顔絵を渡してくれまして」


 普段、蛇頭琴を包んでいる毛織物から、ハオマは大振りの葉を取り出した。ヤマゴボウの果汁で、似顔絵が描かれている。


「……サメザレちゃん、絵上手いわね」


 髪をきっちりと整え、眼鏡を掛けた、神経質そうな男。若干、婦人向け雑誌の、ロマンス小説の挿絵のようなタッチである点が気になるが、やたらと達者なデッサンだ。


「この似顔絵を持って、蚤の市通りの商人達に聞き込みをしたところ……エイダンを連行したのは彼だという、複数の証言が得られました」


 ハオマの言葉に、シェーナは混乱しかけて口を開く。


「ど――どういう事、それって? ここから九十キンケイドル離れた場所に、エイダンを連行した軍人と、彼を追跡中のモヌポルがいて、コチももしかしたらそこに……?」


 地図上の、何もない旧街道沿いの荒野に、フェリックスは丸印を付けた。


「ここに何があるっていうんだ」

「そこは、ライタスフォートだな。何とも懐かしい」


 フェリックスの後ろから、突然首を突っ込んできた者が発言した。シェーナは危うく、椅子ごと引っくり返りそうになる。


「なんっ……ベックフォードさん!?」

「うおわ!?」


 フェリックスも、背後を振り返って仰天した。

 つい数日前にスミスベルスで別れた、治癒術士部隊のまとめ役。エアランド州の冒険者、マデリーン・ベックフォードがそこに立っている。


「ああ、不躾な真似をしてすまない。不案内な街で、見知った顔を見つけたものでな、つい近づいてしまった。守秘義務のある仕事の話だったのか?」

「そ、そういう訳でもないけど……ベックフォードさんこそ、仕事でアンバーセットまで? この間大仕事が終わったばかりなのに」


 誤魔化しがてら、シェーナが話を振ると、ベックフォードは急に、腰に両手を当て、不満げな表情になった。


「実に呆れた話なんだがな。諸君らがスミスベルスを出発して間もなく、ここアンバーセットの役場から、伝書蝶でんしょちょうで呼び出された。ある人物の人相書きを作成するので、該当の人物と顔を合わせた可能性が高い私に、照合して欲しいと」


 『伝書蝶』とは、魔道具マジックアイテムの一種で、通信道具である。


 地属性と風属性の、遁走用結界術を封じた特殊な折り紙、『伝書蝶』にメッセージを書き、『伝書蝶花でんしょちょうか』の蜜で封をする。すると、送り先――蜜によって指定された伝書蝶花の鉢植えまで、蝶のように折り紙が舞い飛んで行く、という仕組みだ。


 国土の端から端までを半日で飛翔する、優れた魔道具マジックアイテムだが、非常に貴重なので、伝書蝶花が置かれているのは、主要な街の役場と港、正規軍施設、あとは余程裕福な貿易商の事務所くらいだろう。

 また、重量オーバーを起こしやすいため、肝心の伝書蝶のメッセージ部分はごく小さく、送れる文章量が限られる。


「ところがだ。先程アンバーセットの役場に到着したところ、人相書きを作ろうとしていた事件が解決してしまったので、私はお役御免だと言うんだ。全く……私は蝶と違って、そう容易く舞い飛べないのだぞ?」


 せっかく仕事を無理矢理に切り上げてアンバーセットまで来たのだから、美味いものでも食べて帰る、と憤慨しつつ語るベックフォードを前に、シェーナは奇妙な予感に駆られていた。


 ――ベックフォードが知る人物を、アンバーセットの街の役場が捜査していて、しかも彼女が街に到着する直前、『事件が解決』した?

 だとすれば、彼女が照合させられようとしていた人物とは……


 ハオマとフェリックスを見ると、彼らも複雑な表情をしている。


「……ベックフォードさん。ちょっと話したい事があるんだけど」


 彼女は、堅物だが信頼出来る。エイダンとコチの仕事ぶりも知っている。

 シェーナはこれまでの話を、全て打ち明ける事にした。



   ◇



 「ふむ……街なかの魔物騒動と、連行されたエイダン・フォーリー。ノムズルーツの不審な立ち入り調査。そして私には、一方的な事件解決の報せ、か」


 シェーナの話を聞き終えたベックフォードは、難しい顔で腕を組む。


「私が照合する予定だった人相書きが、コチ嬢のものではないかと?」

「……かもしれない」


 曖昧に頷くシェーナに、もう一度「ふむ」と返して、ベックフォードはテーブルの上の地図へと視線を移す。


「今、フェリックスが印を付けたこの場所には、ライタスフォートという昔の砦がある。放棄されてから百年近く経っているが、非常に堅牢でな。当時最先端……現在でもそうそう造り上げられない、大規模な結界構築設備付きだ」


 今も、軍の野外演習の際に軒先を借りる事はよくあるはずだ、とベックフォードは、懐かしげな眼差しを遠くに向けた。


「ベックフォードさん、ひょっとして、元軍人?」

「そうだ。数年前に、一悶着起こして除隊となったが」


 道理で、とシェーナは納得した。彼女のきびきびとした身のこなしは、正規軍で鍛えられたものなのだ。


「ときに、ハオマ。この……葉に描かれた男が、エイダンを連行したのか?」


 ベックフォードが、サメザレの描いた似顔絵を拾い上げる。


「そのように推測しております。拙僧には視認しかねますが」

「ううむ……」

「――知り合いなの?」


 葉に顔を近づけ、鼻筋に皺を寄せてまじまじと見つめるベックフォードに、シェーナは訊いた。


「きらびやかに描かれ過ぎているので、確証が持てないのだが……知人かもしれない」


 やがてベックフォードは、似顔絵をテーブルの上に戻し、「よし」と、決意の表情で顔を上げる。


「直接、行ってみないか? ライタスフォートへ。私は現地まで案内出来るし、昔のコネクションもある。エイダンとコチのために、何か出来るかもしれない。彼らは、共にスミスベルスの人々を助けた仲間だ」

「ベックフォードさん――」

「マデリーンと、いや、マディと呼んでくれ。友人はそう呼ぶ」


 シェーナはマディと固く握手を交わし、それから、エイダンの長杖を手に取った。


 早速、旅支度を始めなければならない。

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