第58話 トーラレイの暁 ②

 「そちらのお二方は……。当家の司書、マクギネス夫人の葬儀で、お会いしましたわね。娘さんと……確か、生徒さん」


 エイダンとロイシンに、レイチェルが会釈する。

 覚えられていたのか、とエイダンは、頭を下げつつ、内心で驚いた。ソフィア・マクギネスの葬儀は、もう六年も前の出来事だというのに。


 エイダンにしてみれば、貴族階級の人間と対面した数少ない機会だったので、彼女の姿は強く印象に残っているが、レイチェルにとってエイダンは、葬儀に参列した子供達の一人に過ぎなかったはずだ。一応、生徒代表として献花し、祈りを捧げはしたが。


「姉上――」


 ヒューがレイチェルに向けて語りかける。


「彼、エイダン・フォーリーと、そちらのハオマが、私の『呪い』の治療にあたってくれた治癒術士です。もう一人、タウンゼンドというイニシュカの治癒術士も……彼には呪いではなく、胃痛を診て貰ったのですが」

「ヒュー、貴方またお腹を壊したのね」

「……はい」


 ヒューがちょっと首を竦め、一方ハオマは、「拙僧はそこまで役立っておりません」と、無愛想にぼそぼそ言った。照れ臭がっているのだと思われる。


「ワナ・ル・ゼトレッツァ。イフト川のウンディーネ……」


 気を取り直して、ヒューはワナ・ルの方へ再び顔を向ける。


「我々リード家は、貴方を歓迎したい。妖精と人間は、相互不干渉を原則としてきた。かつて大勢のウンディーネが、イフト川上流に暮らしていた事も、彼女らがひっそりと新大陸に去って行った事も、人の社会でおおやけにはされていない。……しかし」


 そこでヒューは一度、レイチェルの方を振り返った。


「よろしいですか、姉上」

「ええ。……全て、貴方が手紙で提案したとおりに致しましょう。お父様、お母様とも、意見は一致しております」


 レイチェルが、ローブの裾を翻し、ヒューの隣まで歩を進める。

 そして、弟の言葉を引き継ぐ形で、彼女は口を開いた。


「リード家は、四代前のポール・リードから始まるウンディーネとのご縁について、これより全てを公表しますわ。ポールが交わした契約も。その結果、一族に降りかかった『呪い』……いえ、『加護』の事も」


 意外な宣言に、エイダン達は揃って言葉を失った。デイジーがヒューを、心配そうに見つめる。

 レイチェルは滔々と続けた。


「そしてその上で、この土地に住む全ての方々に、お力添えをお願いします。皆様の知恵と、力を貸して頂きたい。精霊の加護なしに、イフト川とラグ川の水を治め、人々の生活を維持する。そのための新しい技術を……この先何世代かけてでも、見つけ出したいのです」


 黙って話に耳を傾けるエイダンへと、レイチェルは顔を向ける。


「トーラレイにもイニシュカにも、出自を問わず通える学校が出来て、子供達がそこで学んでいます。優秀な魔術士となる若者も現れた。土地と民を守れるのは、今や貴族だけではございません。エイダン・フォーリーさん、貴方がわたくしの弟を、助けて下さったように。改めて、お礼を申し上げますわ」


 突如、その場の全員からの視線を浴びて、エイダンはまごついた。ヒューが軽く目配せを寄越すのに、どうにか笑顔を返してみせる。


「新しい技術によって、イフト川とラグ川の、安全が確保されたなら……その時わたくしどもは、一族を精霊の加護より解放します。ラグ川のウンディーネは、その方法をご存じだとか」


「メイ・マのことだね? うん、彼女は契約の解除方法を知ってるよぉ」


 ワナ・ルがゆったりと頷く。


「でも、いいの? よく分かんないけどぉ、精霊の加護の影響で、何だか困ってるんでしょ?やろうと思えば、今すぐに解除ってのも出来ると思うんだけどぉ……」


「『ふろふき』の症状を発現してしまった者への、対症療法ならある。エイダンが見出みいだした」


 答えたのはヒューである。

 レイチェルが、腕の中のニコラスを見つめてから、また視線を上向けた。


「ええ。わたくしの息子ニコラスが、どう成長するかはまだ分かりませんが……たとえ『加護』が発現したとしても、過剰に恐れたり焦ったりする必要はございません。皆が知識を身につけていれば、出来る事は様々にあります」


 更に彼女は、一呼吸置いてから、再び言葉を紡いだ。


「当家の司書……いいえ、イニシュカの教師だったマクギネス夫人は、こんな言葉を遺しましたわ――」


「『知識は貴方に』……」

「……『無限の自由を与える』」


 レイチェルの言いかけた言葉の続きを、ヒューとエイダンが同時に、そらんじた。

 ロイシンが、驚いた様子で二人を見比べる。彼女も当然、マクギネス校長をしのんで校門に設置された、石碑の文章は知っていた。


「良い言葉です」


 レイチェルは微笑を浮かべた。


「良い方々とお知り合いになれたようですね、ヒュー。一人旅に出ると聞いた時には心配したけれど、立派になりましたわ」

「いえ……結局最後は、こうして姉上に頼ってしまいました」


「わたくしは、頼って下さった事が嬉しいのです。意地っ張りなところのある貴方が。だからこそ、代官代行として参ったのです」


「まぁ、そういう事ならぁ……あたしは、イフト川でゆっくり出来れば、それでいいよぉ……人間も嫌いじゃないからね……」

「シャッシャ、ヴェネレじゃ、人と妖精の交流や取引は、よくある事です」


 頬杖をつくワナ・ルの後ろから、ジゴドラが舌を覗かせて笑う。


「こっちでも、ノームの連中は人間と上手くやってんだろ?」


 アイザスィースがハオマの方に首を傾げてみせた。


「概ねは」


 と、ハオマは短く答える。


 その時、エイダンの隣に立ち、難しい表情で考え込んでいたシェーナが、レイチェルに向けて顔を上げた。


「リード様。シルヴァミストでは、公務関係者は妖精と公的な関わりを持てません。ご先祖がかつて、妖精と契約したと知られれば、中央政府から咎められてしまうかも……」

「心得ておりますわ」


 さらりと、レイチェルは応じた。


「しかし、アンバーセットなど、妖精の領域が近い都市では、時流にそぐわぬ法規の、緩和を求める声も大きいのです。その方面への根回しに関しては、抜かりなくてよ」


 今度は少しばかり不敵な微笑を、彼女は浮かべる。


「どの道、今の時代に、秘め事をいつまでも隠し通せるものではございません。包み隠さず公表し、堂々と赦しを請いましょう。それに、わたくしどもの先祖、ポール・リードは、妖精と契約したのちに、働きぶりを認められて、公的な立場を得たのです。当時も今も、法を犯してはおりません。……勝算はございますわ」


「それでも、爵位を剥奪されるならば……リード家は、それまでだったという事に過ぎない」


 ヒューが固い表情で呟いてから、ふっと眉間の皺を緩め、傍らのデイジーを見た。


「……ただの『ヒュー坊』になるのも、それはそれで良いかもしれないな」

「ヒュー……坊」


 デイジーが目を丸くし、それから徐々に、耳の端を赤らめる。


「それやったら、一緒にお店でもやろかあ」


 はにかみ混じりの彼女の一言に、その場に集まった全員が、思わずといった風に笑った。


「改めて――トーラレイ男爵、代行レイチェル・リードは、皆様に申し上げます」


 レイチェルは踵を返し、従者と街の人々に向けて、朗々と述べる。


「トーラレイは、階級の垣根も、種族間のしがらみも超えて、皆が手を取り合える地を目指します。どうぞ、そのためのお力をお貸しくださいませ」


 膝を折り、深く頭を下げる彼女に、従者達が慌てて倣った。

 集まってきた街の人々も、ざわつきながらも帽子を取り、敬意を示す。


「デイジー」


 ヒューが、僅かに声を震わせて、傍らに呼びかけた。


「どしたん?」

「その……店を始めるのも良いんだが……き、君と暮らせるなら何だって良いのだけど……全てが上手く行った暁には、君を、だっ、男爵家夫人として、迎えに上がりたい。考えては貰えないだろうか?」


 デイジーはしばらくぽかんとして、それから、狼狽のあまりふらついた。ヒューが彼女の手首を取って、身を支える。


 エイダンは驚愕に口をあんぐりと開けたが、両隣を見ると、シェーナとロイシンは、満足げに二人を称えるかのような表情を浮かべている。


 ――二人の事を、知っていたのだろうか? いつの間に? 直接問い質したとも思えないが。


「ヒュー、言うとくけど、うちは……商人やで? 素敵なドレスなんか一着も持っとらんし、言葉も、フォークの使い方も、貴族様とはちゃうねん。とっても嬉しいけど、あんたに恥を掻かせるくらいなら……」

「恥なもんか! 姉上のさっきの宣言を聞いただろう? 階級にとらわれて、宣言にもとる真似をする方が、リード家の恥だ!」


 ヒューは握ったままのデイジーの手首を、恭しく掲げると、カチコチになりながらもその場にひざまずく。そして、手の甲に口づけようと顔を近づけ――


 ――次の瞬間、彼の全身から、ぶしゅーっと煙が噴き出した。


「あああ! 治癒術の効果が切れた!!」


 エイダンが大慌てで煙を掻き分け、ヒューに駆け寄る。


「なっ、なんでこざるか!?」

「浄気機関の不具合か!?」

「いや、蒸気が人から……!」


 厩舎前でやり取りを見守っていた、ホウゲツ、エドワーズ、マディが、仰天してこちらにやって来た。


「あぁ、これぇ? 精霊の加護のせいで、困ってる事って」

「そう。困り具合は、ご覧のとおりだ」


 ガラス細工のような目を見開くワナ・ルに、イマジナリー・リードが頷く。


 咄嗟に錫杖を手に取ったものの、どの治癒術をかけたものか分からずに、シェーナはその場で立ち尽くして呟いた。


「道筋は見えたけど、その道の先は長いって感じかしら」

「おお。君が言うと、何だかロマンチックな冒険譚の締めのように聞こえるな」

「……そう?」


 手を打って感動するフェリックスに、シェーナは首を傾げざるを得ない。

 そんな二人のそばを、あたふたと通り過ぎたエイダンは、レイチェルの前に立った。


「あのう、すぐヒューさん治しますけん、風呂を沸かせて下さい! 男爵様……お風呂貸して下さい!」

「は?」


 エイダンの治癒術を知らない人間にとっては、訳の分からない要請に、流石のレイチェルも固まる。


 結局、ハオマが治癒楽曲でヒューを落ち着かせるまでに、数分程の時間を要したのだった。

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