路地裏

@591

第1話

路地裏は良い。

無軌道に走る管や、得体の知れない計器類、複雑に絡む配線に、脈打つダクト、壁を覆い尽くす室外機などには思わず感嘆のため息がもれる。

吹き溜まりのゴミや、ビニール傘の残骸、打ち捨てられた自転車でさえも、永久に続く都市の裏側に閉じ込められた者達の残滓だなどと夢想すると、そこに何か物語りがある様に感じて胸が踊った。

路地裏は良い。

私はソレを写真に撮る様なこともしている。

あてもなく街を歩いては、ビルとビルの隙間に目をやり、琴線に触れる暗がりへ吸い込まれて行くのだ。


そして今日も、新たに見つけた柱状節理の様な雑居ビルの塊の裂け目を一つ一つ覗いていると、そこにまるで異界の入り口の様な路地を見つけた。

それほど大きくはない古いビルの隙間。

しかしその奥はさらにビルが乱立し複雑な路地を形成しており、先は見えない。


私は、未踏の秘境か、あるいは新たな遺跡を見つけたような感覚に冒険心をくすぐられ、今日の被写体はここ以外にあり得無いと確信した。


早速一歩足を踏み入れると、明らかに空気が冷たい。昼間と思えないような薄暗さだ。

不思議なことに、空き缶やチリ紙、雨でふやけた古雑誌等のゴミは全くない。それに、いやに静かだ。

ビルを挟んで向こう側は、小さいとはいえ繁華街だったが、雑踏も、車の音もあまり聞こえず、自分の布ズレの音の方がよほど大きい程だった。

本当にここへ踏み入ったのは自分だけなんじゃないか?などと思いながら、両肘が付く位の幅の路地を進み、2、3曲がった先でバスケットボールのハーフコート程度のスペースへ出た。


一瞬行き止まりかと思ったが、対角にもう一本道が伸びていた。

見上げるとたまに小窓があるくらいの飾り気の無い壁の先に、所々電線の走る四角く切り取られた空が見えた。

路地よりは少しだけ明るく、しかし硬いコンクリート壁に囲まれて、一層静かで冷たくも感じた。

この四角い青空を写真に収めようと首にかけたカメラを持ち上げた時、この小部屋のもう一本の出口側から、駆け足の音が聞こえる事に気づいた。


鬱蒼と立ち並ぶビルに反響し、正確にはわからないが、時折り立ち止まってはまた駆け出す音は、出口を見失い闇雲に走っているように思えた。


私は思わず身構えた。こんな所に入ってくるのは、ビルの関係者か…自分で言うのもなんだが、物好きな変わり者くらいだ。

それが駆け足となれば…何かに追われる者か?

いやしかし、ここは地元の者にとっては抜け道かもしれない。

だがそれにしてはこの迷路は綺麗すぎる。


迷路、都市の迷宮…

ここで私が何者かに襲われたとして、目撃者など居ないだろう。それどころか、私の亡骸は誰からも見つかること無く風化してゆく可能性すら有る。

私はいつか見た誰かの残滓の様に朽ちて、この迷路の道標となってしまうのだろうか。

逡巡しているうちに、足音は着実にこの小部屋へと近づいて来る。

湿ったようなペタペタとした足音、薄いゴム底の靴音、そこまで分かるほど近付いて来た時、ようやく踵を返そうと考えて初めて、自分の足がこわばっていることに気がついた。


別に化け物が来るって訳じゃない。子供が鬼ごっこでもしてるか、誰かが抜け道をさがして迷ったか、いずれにせよ、逃げるような事でも無いじゃないか、と自分に言い聞かせ、固唾を飲んで足音のする角をじっと見つめた。


来ている。もうすぐそこまで…


滞った空気の染み込んだような、冷たい色のコンクリートの角を見つめる。そこへついに、ペタッと指が張り付いたのが見えて、思わずワッと声が出そうになった。


その指が、角の向こうからゆっくりと、こちらを覗き込むのに頭と身体を引き寄せているのを感じた。


そして、指の後ろから怯えたような表情の頭が現れた。

4〜50代の男、目の下まで伸びたボサボサ髪を真ん中で分けている。

こけた頬に、陽の光とは無縁の顔色は、本当にこの路地裏に囚われて彷徨い続けているかの様に見えた。

浮浪者とも思えたが、首から下が現れると、その服装はわりと綺麗な作業服だった。


男もまた、こんな所で人に会った事に驚いた様子で、大きな目を丸くして固まって居たが、ハッと息を吸い込むと突如こちらに向かって来た。

私はギョッとして出し方を思い出したかの様に声を上げた。


「ちょっと、ちょっと待って、一体何だ?」 


そう言い終わる間に男は既に目の前にいて、私の両肩に手を掛けていた。

突然の事に振り払う事も出来ずにすくみ上がっていると。男が口を開いた。


「雨が降る前に、焦げ臭い匂いがした事は無いか?」


確かにそう聞こえた。


「何?なんだって?」


「アレは、雨を降らす薬品の臭いなんだ…本当は雲に粒子を当てて…だが風向きによってはそのまま流れてしまって…ほとんど感じないが人によっては感じる者もいる…お前は?お前はどうだ?」


「何の事かさっぱり…それより少し離れてくれよ」


そう返事をすると、男は何かに気づいたような顔をして、すまない、と言って意外にあっさりと手を離した。


「…なぁオジサン、よく分からないけど、抜けてきた病院に帰るか、ウチに帰って、先ずは水でものんでゆっくり休めよ。水だぞ?間違っても酒を飲むなよ」


どうやら襲い掛かって来る事は無さそうな事、痩せ細った腕や身体、凶器を持ってる訳でも無さそうな事などがわかり少し余裕が出た私は、おかしな事を言う男を少しからかい始めた


「私は酔ってなどいない」


「酔ってる奴はそう言うもんさ、だいたいさっきの話は何なんだよ。もしアンタの言う通りだとして、一体何故、薬品で雨を降らせる必要があるっていうんだ」


一瞬間を置いて、何か決心したように男が話し始めた。


「信じられないかも知れないが、今世界にはこの国しか無い。他は全部、延々と砂漠が続くばかりだ。

この国は運良く雨雲が通過する場所に有って、ソイツを逃さない為に、上空に来たら、薬品で雨を降らせるんだ。私はその機関で働いていたんだ」


「そうか、どうやら事は深刻みたいだな…酒じゃなく、もっとタチの悪いもんだったか」


「嘘じゃないんだ」


「だったら大変だ、国外旅行はどうなるんだ?ニュースは?」


「ニュースなんぞいくらでも作れるさ。アンタは国外に出た事があるのか?」


「ないけど…」


「ソイツは良かったな。アレは記憶の植え付けだ。飛行機や船、乗り物の中で全員眠らせて、ニセの記憶を植え付けるんだ。もちろん脳にダメージは有る。危険な処置だ」


「…みたいだな。アンタもされて、ソウなっちまったって訳かい」


「そう、私は毎日だ」


「…ハハ…そりゃまずいな。何でまた毎日そんな事を?毎日国外旅行かい?」


「私の場合違う。そんな事をしてる機関だ。大勢の人間が働いている。人が増える程に情報の隠蔽は難しくなる。そこで、機関で働く人間はその殆どが、記憶の植え付けをされているんだ…」


「毎日?何を植え付けるのさ」


「家に帰り、家族と過ごす日常をだ」


「ソイツはまた…」


「私は毎日家に帰り…妻と2人の子が…アレは…昨日だって…そんな…まだ信じられない…」


正直、酔っ払いの戯言程度に、流す様に話を聞いていたが、突如頭を抱え始めた男を見て少しだけ心配になった。


「オイ…大丈夫か?」


嘘を言っている様には見えないが、それは当たり前かも知れない。妄想に取り憑かれた人間は、自分が妄想に取り憑かれてると気付かない。つまり彼は、自分が嘘をついているとは思っていない訳だ。


「私は気づいてしまったんだ。機関の職員のほとんどは、実は家に帰っておらず、それどころか社会と隔絶されて、危険な記憶の植え付けを毎日受けて…偽物の日常から目覚めては、仕事を繰り返しているだけだと…」


男の迫真の…というか、彼は真実をかたっているつもりなのだろうその表情も合わさって、荒唐無稽な話しであったが妙な説得力を感じた。

そのうちに段々と、不気味な話をする男と路地裏で2人きり、と言う状況を思い出し、これ以上関わるのも良くないと考え始める。

まだぶつぶつとよく分からない説明をしている男の話を遮って


「お互いに大変だけど頑張ろう」


などと適当に声をかけて、さっさと立ち去ろうと背を向け、男の来た方へ向かった。


ついて来たらどうしようかと思ったが、男は別に追いかけては来ず「なぁ、本当なんだ…」などと怯えた様子で言いながら、少し名残惜しげに片手を上げて、こちらを見るだけだった。


目の端で背後の男を気にしながら、四角いスペースから出ようという時、一瞬、影が走った。

ちょうど流れる雲が太陽を覆った時の様に。


ふっと上を見上げると、長く薄暗い路地にいたせいか、空が眩しい。

目を細めると、確かに逆光の中に何かが落ちて来る。

まさか?人影?


っと思った次の瞬間、ソレがスペースの中心に降り立った。

落下の衝撃音はそれ程せずに、エアーコンプレッサーの空気を勢いよく抜いたような音が2、3重なって聞こえた。

突然の落下物に、顔の前に手をやりつぶった目をゆっくり開けると、立ち込めた砂埃の向こうに人影が見える。

それがゆっくりと晴れると、驚愕の表情を浮かべて壁ぎわで腰を抜かした男と、それを見下ろしながら立っている女がいた。

黒のエナメル調のレーサースーツの様なツナギ、両手両脚には何か外骨格の様な機械を装着している。


「待って…待ってくれ!すぐに戻る!戻るから助けてくれ!」


男は酷く怯えた様子で女に向かって懇願していた。


「ダメだ。一度でも植え付けに失敗した者への対処は、一つしか用意されていない。」


女は淡々と答えると、腰から拳銃を抜いて男へ向け、まだ何か言おうと男が息を吸いこみ、それが言葉と一緒に吐き出される前に、躊躇なく発砲した。


本物の銃声など聞いた事は無かったが、女の発砲したソレはコンクリート壁に一切反響しない、鋭い風切り音と、枕を叩く音を同時に鳴らした様な静かな音だった。

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