酔っぱらい課長の話

山田貴文

酔っぱらい課長の話

 前に勤めていた会社での話。 それはまだぼくが社会人になって間もない頃のこと。

 当時の課長、つまりぼくの上司はバケモノだった。図体がゴリラのようにでかく、何かしゃべると、その野太い声はフロア中に響き渡った。何より閉口したのは無類の酒好きで、毎日のように飲みに連れて行かれたことである。

 楽しい酒ならいい。だが、全く楽しくなかった。居酒屋では延々ととつまらないお説教。オヤジは技術上がりで、生粋の営業ではない。こういう人間に限って「営業とは.」と講釈をたれたがる。山本七平氏の本に職業軍人ではない、民間から徴兵された兵隊に限って「軍人とは」と威張りたがるという話があったが、それと同じ。

 説教の中身も今思うと本当にくだらなくて、簡単に言えば「お客ともっと酒を飲め」というものだった。ぼくはその後、営業を十数年やったが、接待だけで商談が取れるほど世の中甘くない。オヤジの言うことが正しければ、世間のトップセールスは全員アル中のはずじゃないか。

 二件目のバーでは、ひたすらカラオケ。これもボックスで気のあった仲間とやるのは楽しいが、バーで見知らぬおっさんたちの演歌を聞かされるのは地獄だ。しかも、三時間とか四時間も。またここでもオヤジはわがままで、俺の曲を他の客より先に入れろと言い出しては、ぼくを困らせた。

 オヤジは時々お婆ちゃんと呼びたくなるママとチークダンスを踊ったりもした。ぼくも無理矢理やらされた。まさに悪夢のような体験だった。

 午前三時から五時の間になって、オヤジはようやく「帰るぞ」と言い出す。それは、ぼくにタクシーを呼べと言っているのだ。バブル絶頂期の頃である。タクシーチケットは無限に使えたが、とにかく車がつかまらなかった。携帯もない頃である。公衆電話で突き指しそうなほどプッシュボタンを押し続けた。

 ようやく車が来てもそれで終わりではない。悪いことにオヤジとぼくの家は方向が同じなのだ。タクシーの中でコンビニで買った生ぬるい缶ビールを飲まされながら、また意味のない説教が延々と続いた。

 しばらくそんな日が続き、心身共にぼくはボロボロになっていった。ちょうどそんな時期、オヤジが行く管理者研修のアンケート依頼がきた。部下から見た上司、つまりオヤジの要改善点を書けというものだった。

 匿名記入だったので、これ幸いとぼくは書きまくった。飲みにつれて行かれ過ぎて健康面、経済面で多大な苦痛を味わっていると。

 オヤジは研修から帰ってくると、すぐにぼくを呼びつけた。

「悪かった。ちょっと飲み過ぎだな」

と、あやまられてしまった。フリーコメントの文体から、ぼくが書いたとバレバレだったのだ。

「俺もいろいろあらためるから、ちょっと話し合おう」

 結局、その晩も飲みに連れて行かれた。

 ぼくたちオヤジの部下連中にはどうしてもわからないことがあった。それは、オヤジがどうやって栄養をとっているのかということだ。

 飲み屋ではビールと麦茶みたいに濃いウイスキー水割りをうわばみのように飲んでいたが、つまみはほとんど口にしない。昼飯も部下や同僚と行かないし、あまり食べている形跡がないのである。

 議論の結果、どうもオヤジは普通の人間と異なり、アルコールを分解してエネルギーにできるらしいという結論に達した。 ぼくたちは「酵母菌オヤジ」というあだ名をつけたが、今考えると逆である。酵母菌は糖を分解してアルコールを生成するのだから。

 当時の居酒屋には今のような酒のバリエーションがなかった。「ビール」、「日本酒」、「ウイスキー」で終わり。銘柄の指定なぞない。

 しかもビールは瓶ビールが基本。今でもそうだが、サラリーマンの悪習で、ちょっとでもグラスの量が減ると同席者がビールをつぎ足す。これは確実にビールをまずくする。

 ビールの後のウイスキー水割り。今ではほとんど見かけないが、日本中の定番であった黒いボトルがどの店にもあった。水で割ったそれはお世辞にも美味と言いがたかった。誰かがうまいというのを聞いたことがない。僕自身、あの頃は酔うために無理矢理飲んでいた記憶がある。

 つまり、オヤジも酒の味が好きで、あそこまで飲むとはちょっと考えにくいのだ。だが、生きるためにアルコールを分解する必要があるのだと考えるとしっくりいく。

 しばらくすると、オヤジは日当たりのいい窓辺でプハー、プハーと大きな息をするようになった。そしてなぜか緑色のスーツばかりをよく着てきた。それを見た誰かが言った。

「ついに光合成を始めたぞ」

 名前がクロレラオヤジに変わった。


 時は流れた。十数年ぶりに再びオヤジを見る機会があった。ぼくはとうの昔に転職していたが、前いた会社の人が集う立食パーティに呼ばれたのだ。

 利害関係のない今、人望の有無は如実に現れた。誰もオヤジのところへ近寄ろうとしない。白髪の目立つ彼は、ひとりポツンと立っていた。濃い水割りを飲みながら。

 皆に好かれていた隣の課の元課長は、昔の仲間に囲まれにぎやかに飲んでいた。パーティ中、ぼくもずっとその中にいた。結局、酵母菌でクロレラだったオヤジには挨拶すらしなかった。


 パーティの帰り。現在オヤジと同じ部署にいる人と方向が同じだった。電車の中で、自然と話題はオヤジのことになる。

「あいかわらず、濃い水割り飲んでいましたねえ」

 ぼくがそう言うと、彼はエッという顔をした。

「知らないんですか?」

「・・・・・・」

「あれはウーロン茶です」

 オヤジは数年前に肝臓を患い、大手術をしたらしい。

 彼は言った。

「あの人は、もう二度とお酒を飲めないんですよ」

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酔っぱらい課長の話 山田貴文 @Moonlightsy358

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