第173話 狂国の魔女 2

 リスベットは急に考え込むように握った手を口に当てた。そんな妻の様子を見てパウルが言った。


「もしかして君は、マンハイムのあの子のことを思い出しているんじゃないか?」


「え?ええ…実はそう……。それにあの娘なら…………」


 確証は無くても色んな事を併せて考えるとひとりの魔女が鮮やかに思い浮かんだ。アーサラの目にもリスベットが一つ一つを確かめながら確信を得ようとしているように見えた。


「あらあら……やっぱり、どうやらリズには強い心当たりがあるようねえ?それで、そのマンハイムの娘って、誰のこと?」


 注目される中で、リスベットは浅く深呼吸をしてから話を始めた。


「……あのとは、まだ戦争が始まる前…オランダとベルギーの辺りで遊んだあと、ふらりと下りたマンハイムで知り合ったのよ。名前は、マーリオン・エッゲリング……」


 そして語りながら持っていたワイングラスのステムを指先で回した。


「長いクヴァストにパウルを乗せて荷物を引きずって、そんな長旅スタイルで夜の11時頃に街の上を飛んでいるとね、こちらを見つけた同族は必ず声を掛けてくれる……」


「そうね」


 リスベットがその時を振り返って、誇りと嬉しさを含んだ微笑みを見せると、すぐにアーサラが相づちを打つ。そして一緒に全員が頷いた。


「そして、大体はこう言ってくれる……『ウチで少し休んでいきませんか?』」


 そう言って、誰かに捧げるようにワイングラスを持ち上げると、セアラは背筋を伸ばして嬉しそうにふるると震えた。


「そうっそれ大事!いいよねぇ旅……嬉しい出逢いがいっぱいあって。私だったら家族が熟睡していても必ず旅人さんを誘っちゃうもの……。そして全員叩き起こす!」


 グッとこぶしを差し出すセアラをフレヤは鼻で笑った。


「ナニ言ってんのよ、仕事で遅くなったってアナタはウチに泊まっちゃうじゃないの。夜の散歩を最後にしたのがいつだったのか、言ってごらんなさい?」


「え?と…………」


 腕を組み天井を見上げたかと思うとセアラは首を傾げた。


「そっかー、私が旅人さんに出逢えないのはそういことかー……」


 フレヤはちょっと肩を下げて、やれやれと息を吐く……。


「ハイハイ……セアラ、アナタには後でいっぱい付き合ってあげるから……今は母さんに話をさせてあげてちょうだい?」


「お?いえ別に……今のはワザとボケたわけじゃ…………」


「あら、そうなの?」


「はい、性格です!」


「やっぱりワザとじゃないの……」


 セアラはピシャリと自分の頬に手を当てた。


「いえ、習性です」


「あ…………そう」


 フレヤがこれ以上の相づちを諦めるとセアラもそれに倣う。


「オホホンッ…すいません叔母さま、お話の続きをどうぞ……」


「え?ええ……そうね、まあ、私達にはそんな慣習があるから、セアラが言う通りどこへ旅をしても、どこか知らない土地でも安心して楽しめるのよね……」


「う、うんうん……」


 セアラはグッと堪えて頷くだけで我慢した。


「そうして、マンハイムの空で一番最初に声を掛けてくれたのが、マーリオンだったのよ……」


 リスベットは穏やかに微笑んだ。


「彼女は『どうぞ気兼ね無く……』そう言って家にも誘ってくれてね、もちろん、誘われたらそれを受けるのが礼儀だから彼女の家に行くわけだけれど……私達は家にお邪魔させてもらってすぐに、彼女が『気兼ね無く……』と、そう言った理由がすぐに分かったの……」


 そう言ってなぜかもの憂げな顔をするリスベットを不思議に思ったが、フレヤは『気兼ね無く』と言われた理由にすぐに思い当たった。


「彼女は一人暮らしだったんじゃないの?なら、まだ結婚はしていないのか……ところで、そのマーリオンは歳はいくつなの?」


「ああ、彼女は23歳。それと、たしかに彼女は一人暮らしだったのだけど、連れて行かれた家は一人暮らしにはそぐわないような大きな家だったのよ……」


「?、まるで昨日までの私みたいね……でもまさか、ウチみたいな事をしているなんてことは……?」


 リスベットは首を振った……。


「……ないわよ」


 悲しげに首を振ったリスベットにアーサラは気が付いた。


「もしかして、亡くなったの?」


 そう聞かれて、リスベットは一旦言葉を飲み込む……。


「ん……ええ、そう。聞いたのは去年だから……母親が亡くなったのは2年前ね」


「そう、可哀想に……。それじゃあ事故か何かで?私達は病気とはほとんど無縁だし……。それに父親はどうしたの?」


「父親は先の欧州大戦で戦死したらしいわ。母親がマーリオンを身ごもっていたことに気がついたのは、父親が出兵した後だったようね……」


「そんな……」


 不運な運命に全員が悲哀を飲み込んだ。



 ※『欧州大戦』というのは、今で言うところの『第一次世界大戦』のことです。

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