第171話 戦いの理由 10

「ふうむ、アール…の性格じゃこういう組織はやっぱり、居心地が悪いでしょうね?」


 意味ありげにローレルが言う。


「なんだ?俺が敵前逃亡でも問われて、軍に追い出されることでも期待していたのか?それとも嫌気がさして俺がここから去るとでも思ったか?」


「……はい、ちょっと期待してました」


「そうか……」


 遠くを見て少し残念そうなローレルの横顔を眺める。


「今はまだ、戦闘機から降りるつもりは無いよ。おそらくやめる時は突然なのだろうが……」


「そうですか……」


 それ以上は何も言わなかった。


「キミは、俺が戦争を始めたワケに気付いているよな?」


「え?はい……イギリスを守る為、でも『ドイツ人全てを嫌いにはなれない』『指折り数えている』そんな事を言うくらいだから、何よりもこの戦争を早く終わらせる為……ですよね?」


 このローレルを相手にヒントを与えすぎたと自分の迂闊うかつさに呆れてしまう。こんな大それた志しは、末端のひとりの兵士が言えることでは無いし、所詮は分不相応な妄言として笑われるだけだと、自分でもそう思ってはいる。それでも……。


「たったの10分、いや、1分でもいい……俺が敵機を墜とせば墜とすほど、確実にこの戦争が短くなると思った。誰かがトリガーに掛けた指を止める一瞬だけでも終わりを早めることが出来れば、救えるものがあると思った。まあ、これ以上に自惚れた打算も無いとは思ったが……」


「そうですね……。敵の数百万分の一の戦力を削れば、終わりも数百万分の一だけ早くなるなんて……」


「ああ、バカみたいに単純でガキみたいな発想だろう?」


「バカみたいに単純かぁ……」


 それを彼女は茶化したりしない。むしろしみじみと噛みしめたかと思うと、真面目な目でアトキンズを見つめた。


「私もそんなアールを笑い飛ばしたい……。でも、それは真理だと思います」


「し、真理?」


「はい。バカみたいに単純な引き算、それなら尚のこと数字は嘘をつきません。どんなに小さな力でも、石を投げれば必ず結果に影響を与えているものです。私は科学者ですから、それをイヤというほど知っています。それが、誰も気付かないような小さな誤差かもしれないけれど……」


 科学者としてのローレルの言葉は、何よりも信じるに値する労いに思えた。


「俺のした事は、間違いじゃないのか……?」


 小さくコクリと、ローレルがうなずいた。うなずいて、語りかけた。


「だからこそ、もう十分じゃないですか?アールがこれまでに壊してきた敵の戦闘機は、百じゃきかないでしょう?それだけ戦争を縮めることが出来たのだから……あとは他の人に任せてもいいんじゃないですか?」


 悪意が無いことは分かっている。


(ちょっと無理して『少佐』を省いているのは、『日常』を思い出させるためだな……)


 むしろこれは好意の現れで自分のことを心配してくれている、それも分かっていた。


「そうだな。俺は自分の限界をこう思っている……その理由がなんであれ、自分の戦闘機と向かい合って乗ることに少しでもためらいを感じたら、それが潮時なんだと……」


「でも、その時が来なかったら?」


「いや、必ず来るよ。俺にはその時に尻尾を巻いて逃げ出す自分の姿がなんとなく見えるんだよ。その時はさすがに、自分勝手な裏切り者と思われてもしょうがない……」


「裏切りなんて……というか、ええと……見える、て……?」


 確定的な予想を『見える』と言い換えることは珍しくもない、が、歯に絹着せぬ物言いをするアトキンズが使うとローレルも好奇心が先にたつ。『裏切り』なんて重い言葉もさて置く程にアトキンズがたまに見せる不自然で不合理な言動はいつもローレルの興味を引いた。


「……それって、先が予想できる…て意味ですよね?それとも何というか、ヴィジョンとしてアタマに浮かぶのかな?」


「え、何?ヴィジョン……?俺、何か変な事を言ったか?」


「あ、いいえ、全然……ただあのー、少佐はいつも、自分の事は特にありのままの言葉で話すじゃないですか?だから私は、いつも少佐の言葉には嘘も間違いもないと、そう…信頼……しています」


 ちょっと気恥ずかしそうに目をそらす。


「だからその、本当に夢を見るようにそんな場面を見ているのかと…………。いやー最近『あの二人』とお知り合いになったせいなのか……ちょっと変なカルチャー…いやいや、ファンタジーショックにヤられちゃって……」


 おっと、ローレルにしては珍しく弱気な顔だ……。『大胆』は付かなくてもいつも『不敵』なのに……そうアトキンズは感じる。


「ああ、と……つまり、俺がどっかの預言者みたいに未来を見ているとでも……?」


「んん……、でも前に話してくれたじゃないですか、例えば機銃の射線が見える…とか、機体の目が届かない場所が見える、とか……」


「ははは……それで俺にはそんな力があるんじゃないかって?無い無いっ、そんなものはあくまでも感覚的…な………?」


「ちょっと、何で急に考え込んじゃうんですか、アール?」


 しかし、アトキンズはふと、フレヤの事を思い出す。彼が理解出来ない力を問うた時、彼女は生まれた時から馴染んでいると、それが特別な能力なのかなど分からない……そんなふうに言っていた。


 するとどうだろう。自分ではただの感だと思っていた事が他の人に理解できる範囲に収まるモノなのか?もしかしたらそう決めつけていただけかもと首が勝手に傾いた。


「ふむ、あらためて聞かれるとよく分からなくなってしまってな……。それに、いや、話を変えるワケじゃないが、もしかしたら人は、自分を理解して認識することまで他人を頼っているような……イヤイヤ、なんかよく分からん、忘れてくれ……」


「ああ、他人を知ることで自分を知る、大事ですよね?どんなモノでも比べることが出来ないと良し悪しの判断も出来ません。だから人はたくさんの他人と知り合えばたくさんの自分を知ることが出来るし、なりたい自分を見つけることが出来るんじゃないかな……」


 アトキンズは迷わずに話すいつものローレルに戻って目を細めていた。


「人の振り見て……てやつか?」


「めぐり逢いって不思議ですよね?そういえば東洋の宗教家は、俗世と縁を切る事で『サトリ』という真理を得ようとしていたそうです。でも私は、人とはやはり、たくさんの人と出逢って、溢れる知識と感情に触れて、その中で見つけた宝物のような種を自分が育てていくことで、世界を隅々まで見通せるような人に成れるような気がします……」


「ああ、そうかもな、キミが言うのだからそうなのだろう。それに、キミはもうそんな人になっている気がするよ」


 すると両手を振って大袈裟に否定する。


「とんでもない!そんな気がするだけで…とてもなれるとは思っていませんよ。きっと私じゃダメなのじゃないかな……きっとアールの方がそれに相応しい……」


 そして、そこにある天球を見上げる。


「!?、おいおい、そりゃかいかぶりもいいところだ。俺なんか多分、この戦争が終わっても飛行機に乗り続けて……そのまま年老いていくだけさ…………」


 しかしスッと腑に落ちるものがある。多分それは、誰もが感じて朧げには見ていても越えられない迷霧の向こうにある理想の地……。


「話を逸らせてしまったな。とにかく、俺はもう少し厄介な自分の我儘に付き合ってみようと思う。それがいつまで続くか分からないが、空に嫌われる前に逃げ出すつもりだ……」


「やめる時の理由がそれですか?マイペースですね、本当に……。しょうがないなあ、もう…………」


 ……それでも諦めない者は目を凝らして進んで行くが、何故だか近づくほどに霧は濃くなって視界を遮り方向を見失わせてしまう。その中でも迷わずに進んで行くためには、変わらない心と、何にも眩まない目が必要だ、この二人のように……。

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