第145話 南国のバラ 4

 これはまだ、始まりに過ぎないのかもしれない。ドス黒い嵐はあっという間に通り過ぎて、後にはいろんなモノが積み重なった瓦礫の山と、街中に拡がる焼けた臭いが残っていた。


 その中に混ざった嗅いだことのない異臭は爆薬の臭いに違いない。


「街に…死の臭いがするよ、フレヤさん……」


「そうね…………」


 警報も解除され、ふたりはメイポールに帰って来たが、店の前に立ちながら方々で鳴らす緊急車輌の非常ベルの音を聞いていた。


 被害のあった中心部は大変な騒ぎになっているのだろう。それを遠くに感じながら自分で刻みつけた忌まわしい記憶に胸が悪くなった。


「セアラ……」


 フレヤは優しく、庇うようにセアラを捕まえて強く抱きしめた。


「おね…フレヤさん………」


 強くて優しい……セアラもその感触にフレヤを抱きしめる。そして互いが居ることを確かめ合って心からの安堵を分け合った。


「そろそろ帰りましょう……あまり心配させると、叔母さまにまた怒られちゃう…………」


「そうだね……」


「ああ、そうそう……あなたが私を見つけた……例の『力』の話も聞かせてもらわないと…………」


「…………うん」


 そばに居てくれたのがセアラで、フレヤで本当に良かった。いつかはやって来る運命だけれど、幸福な別れ以外は認めない……それは、幼い頃から変わらずに揺るがない、ふたりの決意でもあった。






 8月13日


 血のかよったくすみの無い淡い紅色べにいろ。すらりと長く流麗な人差し指がレコードプレーヤーのアームを導いて、わずかに波うって回るレコードの端にスッと針を着地させる。


 南国のバラ……。


 その曲は聴く耳に、山里の夜明けの様な静けさを浸みこませることから始まる。


 星空は闇から藍色へ、暗紫色から更に紅味を帯びて、世界が色づき始める頃には咲き誇るバラの花弁がようやくの光を弾いて、自分の佳麗さに胸を張る。


 その清廉な姿を見せられて、嫌味を抱く者などいるはずもないだろう。


 そして、聞く者はわずか9分弱の曲中にそれぞれのドラマを想い描く。






 市民に犠牲者が出た昨日の爆撃からほぼ一日、いまだに街は悲壮感と怒りに満ちている。


 陸軍の救出活動は夜通し、いまだに続いていて終わりが見えない。空軍は基地の復旧を急ぎながら更なる空爆に警戒を強めていた。


 滑走路の復旧は最も優先され既に作業を終えていた。それでも、今回はターミナルや格納庫、つまりは作業小屋も少なからず被害を受けて、機体の修理は駐機したままの野外で行われている。


 砲兵にも戦死者が出ている。激しい空中戦で5機が撃墜され、2人のパイロットが亡くなった。


 共に戦った仲間の死と、守るべき市民が殺されたことによる怒りと復讐心。兵士達はそろそろ戦場の空気に悪酔いし始めていた。特に血気盛んな若いパイロットほどこの毒気に弱くて、酔い方も酷い。


 そんな若い連中が集うと、話はどうしてもドイツに対する感情のぶつけ合いになり、鼻息荒く仇も分からないくせに復讐するべしと盛り上がっていた。


 仲間の死を悼み、それで士気が上がるのは良いことかもしれないが、


「おい、お前ら……!」


 フレッドはそんな彼らをたしなめずにはいられなかった。


「仲間を殺された痛みを簡単な復讐心にすり替えるな!ちゃんと悲しんでちゃんと見送ってやれ、そして死んだヤツの身になって反省しろ。なぜヤツらが死んだのか、なぜ避けられなかったのかを考えろ。他人事じゃないんだぞ!?」


「フレッド少佐…しかし!」


 仲間と鼓舞し合ってヤル気を高めていたら怒られた。そりゃあ、彼らが少し不満を抱いてフレッドを見ても仕方がない。


「まあ、昨日の大佐の言葉を借りるなら……俺たちが戦闘機に乗っている理由を忘れるな。俺達パイロットが一人いなくなれば爆撃機を一機墜としそこねると思えよ……」


「!」


「乗る者がいなくなれば戦闘機なんてただの持ち腐れになっちまう。気分良く死んで英雄になるより、生き残って勝利の喜びを分かち合うことを考えろ……持てる力を尽くしても、それでも運が足りなかったらしょうがない、本望ってものだろう?」


 復讐よりも、もっと大切なことの為に戦ってほしい。そんなフレッドの願いに反論できる者はいなかった。






 誰もいない店でひとりきり、何気なく選んだ椅子にゆったりと腰を掛けて好きな曲に耳を傾ける……。


 タテ肘を突いて、時折り入り口のドアを見るでもなく見ては、また目を伏せて音に身をまかせる。


 今日のメイポールにはフレヤひとりの姿しかなかった。


 ひとりきりでもいつものように彼女は自然で、侘びしさも寂びしさも楽しそうに噛みしめている。それでも不意に、何かを悼む様に少しだけ眉をひそめる。


 きっとフレヤにとっては何か特別な時間、誰にでもある誰とも共有できない時間と空間。


 それでもちょこちょこと、そして僅かに彼女の表情は変化する。まるで他の人には見えない誰かと話しをしているように……。


 昨日の今日、誰も来ないはずの今日という日にところが、そうとは知らない誰かの手でメイポールのドアが押された。

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