第124話 滔々と流れる暗然とした天の河

 イプスウィッチに戻ったA中隊の機体は、すぐに燃料車から空っぽの腹に燃料が流し込まれる。しかしそれは、ただの帰還後の通常作業であり、再出撃の為では無い。


 もちろん不測の事態ともなればすぐに飛び出していくが、取り敢えずはここにいるパイロットは基地内待機の指示に留まっている。彼等はターミナルに増設された控え室か、滑走路か、その脇に既設されていた控え室でまんじりともせずにブレニムとB中隊の帰りを待っていた。


「どうにも落ち着かないなー……」


 オルドリーニが呟いた。彼等A中隊はやはり、ちょっと手狭なお馴染みの滑走路脇の控え室に陣取って、不本意な退屈を食いつぶしている。


「はぁー、何しろ戦場が遠すぎるー……」


 ぼやくオルドリーニにフレッド・アーキンが読んでいた本から視線を外した。本を読むのは彼なりの集中法のようだ。


「まったく……お前はまだ30分も待機していないだろうが。俺は初めからここに座り続けているが?そんなに動きたいならお湯でも持って来てくれ、ティーアーンのお湯が切れそうだ……」


 すくっとオルドリーニが立ち上がりポンと胸を叩いた。


「了解です、アーキン少佐!すぐにお持ちします!」


 勢いよく飛び出して行ったオルドリーニを全員が見送り、そしてコールマンが言う。


「手の届かない戦場か……とって返したところで間に合わないしな。確かにもどかしい、か……」


 戦争の流れが変わり、必要に迫られてスピットファイアMk5に予備のタンクが付けられるのはもう少し後の話になる。今はまだ、300km遠方の戦いには手が届かないでいた。






 第一目標を撃破して蜂の巣を突いたせいで、残り二つの目標の迎撃は予想を超えて苛烈なものになった。その結果、ブレニムの編隊は見事に任務を果たしたが、西への帰路につけたのは4機となってしまう。


 まずは対空砲の設置されていないルートを選び、そのまま低空で国境付近の高射砲を避け、そこからは高度を上げてひたすら西へ飛んだ。そしてスピットファイアとの合流地点であるアムステルダムの西の沖を目指す。


 それぞれは少なからず機体を損傷していながらも機速の上がらない一機を庇って気遣いながら飛び続けていた。


「くっそ、補助翼がまともに動かねえっ!エンジンを煽ったら主翼がもげて翼だけ飛んでいっちまいそうだしな!ま、もっとも…煽ったところでエンジンのヤツも機嫌が悪そうだなあ、オイっ!」


 パイロットは左の翼を睨んで叫んだ。胴体のそこかしこは弾痕だらけ、左の翼は負荷を掛けると明らかに右翼よりも歪む上に常に小刻みに震えている。残ったブレニムの中でこの機の損傷は飛行に関わる最も深刻なものだった。


「気合いでもたせて下さいよ中尉!コッチは風防も無くなってクソ寒いけど我慢しますから……」


 風防の欠損した上部銃座では身を低く畳んで容赦の無い強風と寒さに耐えていた。もしもゴーグルが無かったら目も開けていられない状態である。


「これで敵機に追撃でもされようものならひとたまりもないぞ……」


 思わず口をついて出る不安に他の二人が硬く笑うと、共に健在の隊長機からは檄が入る。


「『スレッシュ』そのブレニムを大事に扱えよ……国に戻るにしろ地獄に落ちるにしろ、お前たちの凱旋機になるんだからな!」


「……俺はまだ地獄になんて行きませんよ、大尉!たしかにコイツはもう、ぶっ壊れて棺桶になる寸前ですがねえ……」


 そう言って後ろから隊長機を眺めると、原型の無くなった垂直尾翼が見える。


「大尉、いつからブレニムには垂直尾翼が無くなったんでしたっけ?」


「なんだ、知らなかったのか?コイツはこの『ベロー』だけの特別仕様だからな。まあ、そっちほど悪趣味じゃないが……?」


 そんな嫌味にスレッシュのパイロットは肩を弾ませて笑った。


「く…ハハハ……それを言われるとツラい。ちょっとカスタムしすぎちまいました…………もう、これ以上は勘弁ってところです」


「なら、あと少しシッカリと操縦桿を握っていろ、そうすれば…………」


 鼓舞するつもりのセリフが不意に沈黙に変わった。イヤな空気をラジオ越しにスレッシュが味わう。


「ベロー……?」


 すると無線の問いかけに少し緊張した声色が返ってくる。


「……スレッシュはそのままの進路を維持しろ。スピードが上がらなければ高度を落としながらでも速度を稼げ……」


「っ!、敵機ですかっ?!」


 空対空レーダーは全てのブレニムに搭載されていたわけではない。


「貴機は足手まといだ、速やかに戦闘空域から離れてスピットファイアの中隊と合流しろ。いいな?」


「?!……え?大尉……??」


 3機の僚機はスレッシュの撤退を助ける為にドイツの迎撃機を迎え討とうとしている。本来なら極力戦闘は避けて限界まで逃げるべきなのだ。


 しかし仲間を見捨てる選択肢が無い以上、戦える彼等は敵機を迎え討ち、傷ついたスレッシュは一刻も早く安全圏まで逃れる事が彼等の為であり、礼儀でもある。


「りょ、了解です、大尉……幸運

を」


 スレッシュがそう返信した頃には3機のブレニムは既に転進して南西に向かっていた。

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