第111話 血族と同族 

 第二次世界大戦は突然始まったわけではない。1939年にドイツがポーランドに侵攻を始める数年前には、イギリスは開戦を予想してあらゆる対抗政策を行なっている。


 国民の安全対策も当然計画されていたが、その中でも重要視されていたのは小中学生の学童疎開である。


 その計画が打ち出されたのはなんと1924年、第一次世界大戦の記憶がまだ生々しい頃だ。1931年には組織化が始まり、1938年には準備されてきた具体的な計画書が議会を通過した。


 そして1939年9月1日、ドイツによるポーランド侵攻が始まったまさにその日から学童の疎開が開始され、希望者のみではあったが、たったの3日間で300万人以上の子供達を大都市から疎開地へ避難させてみせた。


 この疎開には親は同伴できず子供だけが疎開地の里親に預けられたが考えてみて欲しい。政府は疎開した子供達が不利益をこうむらないように必要な期間を費やし組織を作り体制化し、数百万軒という十分な数の里親を用意した上でポーランド侵攻のその日に子供達を避難させた。


 避難にかかる費用は国が負担し、疎開中の子供達の生活費などを負担出来ない貧しい家庭には疎開期間の費用全額を政府が支払うという徹底ぶりであった。しかも5年間という非常に具体的な疎開期間が想定されていた。


 この先見性と行動力。そして権力というものの使い方を心得ているあたりは大いに見習うべきだろう。






 ローレルが戦争というモノの洗礼を受けたあの日以来、ドイツの攻撃は益々苛烈なものになっていった。攻撃対象は貨物船から港湾や沿岸地域の軍需工場に変更され、今までの小競り合いから肉を削って抵抗力を奪う段階へと作戦を変えてきた。


 攻撃機の数は日増しに増えるばかりで1日に2度の攻撃も珍しくない。それでもイギリス空軍は根を上げることもなく、損害を出しながらもドイツ空軍と対等以上に渡り合っていた。


 そしてイギリス空軍と同様に根を上げそうにない店がイプスウィッチにはあった。客足もまばらになってとても商売にはならないというのに、メイポールの主人はいつも通りに店を開けている。はたしてそれが商売人としての戦いなのか、それともただの楽観なのかは分からないが。


 それでも、こんなご時世だろうがとにかくパブが開いていれば客はやって来る、扉を開ける者がいる。それをクールに出迎えるのがこのパブのオーナー、フレヤ・ノルシュトレームである。


「あらセンセー……いらっしゃい」


 その日メイポールにやって来たのは久しぶりの登場となるレオノーラ・プラウズだった。


「ようやく、約束を果たせましたね……」


 ニコリと笑った彼女、レオノーラはこの街のシニアスクールで教師をしている。どちらかと言えば教職者というよりは教役者の雰囲気を持つ彼女は家庭を持つ主婦でもある。そんな彼女も間違いなく美形で、尚且つ底が知れないと言うか、只者ならぬオーラを漂わせているのは、彼女もフレヤと同じ魔女だからかもしれない。


「フレヤ……あなたがまだ、お店を開けていると聞いてね……」


 客のいない店を流し見ながら彼女はカウンターのフレヤに向かって真っ直ぐに歩いてくる。


「んー…エラでしょ?あの子もそれどころじゃないでしょうに……ホント、マメよねえ?」


「タレイヤは『強さと気高さ』を矜持としているのだもの。『掌中の珠』を磨き、愛でて大切にするのでしょう……」


「それは皆んなそうだけど…エラはちょくちょく連絡もしてくるしね、ありがたいと言えばそうなんだけど……ところで何飲むセンセー?せっかく来てくれたのだもの、ごちそうするわ」


 何でも注文してくれと言わんばかりに後ろの棚に視線を促した。腰の高さから天井まで、幅は差し渡し…10メートルは間違いない。その棚の全てには酒のボトルが収まっているが、7割のボトルには酒は入っていない。


「でもごめん、ここのところビールは入ってこなくなってね……」


 酒の無くなった空のボトルにはこのパブの長い歴史が詰まっている。ワザと残している古いボトルはその証明でありトロフィーでもあるのだ。


「いいえ、お酒なんてとても……そうですね、それではコーヒーをいただきましょうか」


「……そう、コーヒーでいいのね?」


「ええ……」


 ふたりだけの静かなパブでフレヤは心を込めてコーヒーをドリップする。


「そういえば外のお天気はどうだった?」


 そんなことをいきなり聞かれてレオノーラは何気なく見えない外に顔を向けた。


「え?……今は薄曇り…………」


 そして流し見るカウンターのフレヤを見て声を上げた。


「フレヤ!こっそりとお酒を入れようとしないっ」


 よそ見をさせたその隙に、カップにリキュールのボトルを傾けようとしていた。


「ええー?ちょっと入れると美味しいのよ?きっとひと口含んだ時に『あら!』てなるわよ?」


「要りません。本当に油断も隙もありませんね!」


「じゃあ、ほんの少しだけ…たらしてみる……?」


「入れません!なにが『じゃあ』なのですか?」


 フレヤがつまらなそうに口を尖らせるとプラウズが呆れて頬を緩めた。

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