第82話 商人として、父として 1

 1940年7月12日


 昨日の11日には40機前後のドイツ機がイギリス南部の港湾を襲ったが、イプスウィッチ中隊の出番は無く、警報が鳴ることも無かった。


 現代では当然となったが、迅速かつ正確に敵機を捕捉できるレーダーの恩恵は戦争に革命をもたらした。


 この時、革新的なレーダーは既に世界に認知され、各国の基地や軍艦にも搭載されていた。初期はレーダーの開発に遅れを取っていたイギリスだがハードウェアであるレーダーの開発と共にソフトウェアである監視システムの開発に注力し、大陸にまで食い込む探査距離130キロの中〜高高度レーダーと、探査距離40キロの低高度レーダーを組み合わせて東を睨む監視網を完成させる。


 狭い国土と海峡の防衛を目的としたイギリスのレーダー監視システムは、当時では最も実現性が高く、最も効果的なシステムとなった。これをダウディングシステムという。


 このシステムによって、必要な時に必要なだけの戦力を投入する事が出来る。ダウディングシステムは戦力に乏しかったイギリスにとっては神の配剤で得た千里眼と言って良いものだった。






 領空侵犯時のイギリスの出方を確認しながらもドイツは連日に渡って爆撃機を送り込んでくる。12日のこの日はイギリス海峡を航行していた艦船が狙われた。


 被害は小規模だったが、この攻撃で海軍と海運会社は想定されていた事ながらもやはり大騒ぎとなる。


 港の近くに会社を構えているマーティンソンの会社、『MSシップス』も例外ではない。エラは港の騒ぎを見て急いで戻ると社長室に駆け込んだ。


「お父さまっ!?」


 ノックも無しに飛び込んできたエラを父のグレイアムが右手を出して制止する。そして左手には電話の受話器が握られていた。


「ふむ……そうか、うむ…分かった」


 静かに受話器を置いたグレイアムは大きく息を吐いた。


「ふう……」


「お父さまっ、ウチの船はっ、乗組員は……っ?」


 慌てる娘にグレイアムが微笑んだ。


「大丈夫だよ、エラ。ウチの船は全て無事だ」


 その言葉にエラの張りつめていた身体から力を抜いてソファーに座り込んだ。


「は…ハアーーっ、良かった……」


「そうだな……ドーバーの方へは2隻行っていたが、攻撃は小規模で艦船への被害はあまり無かったそうだ。まあ、今回はな……何にしても乗員の無事が分かって良かった……」


「そうですか……港湾の事務局に行っても人がひしめき合っていて無線も電話もパンク状態だし…取りつく島もない有様で……」


 エラはダラリと力を抜いて天井を見上げていた。


「よかった……」


「ははは……まあ、緊急事態だったし、ノックを忘れても仕方がないな」


「あっいけない!私としたことが慌ててしまって……」


 ぴょこんと背筋を伸ばす娘をグレイアムは笑った。


「今も言っただろう?緊急事態なのだから気にするな。慌てるべき時にはそうするべきだ。お前の優先順位は間違っていないよ、エラ」


 こんな時、母のアメリーなら少しだけ目をキツくして『いつも冷静であれ』と静かに諭すだろう。はにかみながらエラは父の優しさにむしろ身が引き締まった。


「ありがとう……お父さま」


 エラに微笑んでグレイアムはすぐに表情を固くする。


「しかし……スタッフとはもう一度、ちゃんと話しておく必要があるな」


 エラも深く頷いた。


「ええ、そうですね」


「この仕事は、たまに輸送先の政府や税関、マフィアなどとモメたり、時には海賊に出くわしたりして多少の危険は付き物だが……相手が爆撃機となればワケが違う。このあいだまでは乗組員達もこの戦争を笑い飛ばしていたが、兵士でもないのに命を失ってからでは遅いからな……」


「はい、船乗りは剛腹な人達ばかりですけれど、輸送船では敵から逃げることも退けることも出来ないもの……彼等にはよくよく考えてもらわないといけませんわね?」


 今度はグレイアムが頷いた。


「そうだ。それにこれからは仕事も減っていくだろうし、国から受ける仕事は危険度が増していくばかりだろうからな……たとえ護衛が付いても海峡を経てのソビエトへの輸送などは最たるものだ。スタッフに無理強いは出来ない、したくもないからね……」


 エラはそんな父が誇らしかった。


「はい、従業員と、その家族の未来を守らなくてはいけませんよね?」


「そうだな。もっとも…その為には時として、無茶な注文を請けなければならないこともあるが……」


「ふふ…ええ、知ってます……それに、そんな時お父さまは顔には出さなくても不愉快そうにされているから……」


 父は観念したように苦笑いをする。


「分かったわかった。まったく……ウチのご婦人たちにはかたなしだな」


「いいえお父さま。そんなの、力を使わなくても分かりますわ」


 得意気なエラを見つめてグレイアムは微笑んだ。


「そうか……」


「そうです。それに家族の間でそんな顔色を見るようなことはしませんわ。必要もありません……」


 親のひいき目だって?だったら5割を引いたって私の娘は聡明で美人で、大切なものを全て兼ね備えた素晴らしい女性に育ってくれた……そんな澄まし顔のエラが自分の娘であることを実感する度、グレイアムは嬉しくなった。

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