第80話 私は負けません 1

 『始まった……』


 基地の誰もがそう思い、覚悟と一緒に固唾を飲んだ。気力十分のパイロットでも…いや、パイロットだからこそイヤな身震いと武者震いが伴った。






 ドーバー近海上空


 少数の機影が空を背景に絡み合っていた。


「クソっ!雷撃機を撃ち漏らした!どん亀のくせに……っ」


「リース!上からBfが狙ってるぞ、回避しろ!!」


「うえ?!どこだっ………うおっ背中に喰らったっっ!!ヤロウ……っ!」


「無理するなリース、大丈夫なのかっ?!」


「当たり前だ!アイツは俺が落とすっ!!」


 この日の午後、偵察のあったドーバー近海で、小規模ながら艦船を狙ったドイツの攻撃があった。


 イプスウィッチにも警報が鳴り機上待機が15分ほど続き、しかし出撃は無く警戒は解除される。


 パイロット達の落ち着きようは今朝の警報の時と比べるとルーキーとベテランくらいの温度差があった。顔つきは引き締まり淡々と警報と命令に対応する。どうやら久しぶりに聞いた今朝の警報とレイヴンズクロフトのスピーチでパイロット達は目が覚めたようだった。戦闘機を駆るパイロットとして……






「いたいた、見つけましたよ少佐!」


 食堂でボケっと時間を食いつぶしていたアトキンズをローレルが発見した。常時待機を命じられている兵士達は外出するためにも許可が必要になった。だから基地内を探せばアトキンズだってどこかに居る。


「よお、戻ってたのか?」


「あたりまえですよ、もう……いくら近いとは言っても大変なんですから!変な約束をするんじゃなかった」


 宿舎との往復にローレルはちょっとおかんむりである。


「毎度まいど逃げるように宿舎に戻ることになって、何だか気まずいし……」


「でも大切なことだ。それに、そんな目で君を見るヤツはいないだろう?」


「そう…なんですよね……」


 目線を落としてローレルはテーブルをさすった。


「それどころか、皆んな急かすんですよ。それに、見送られる時に皆んなジッと私の顔を見るんです…まるで、目に焼き付けているみたいに……」


「そうか……でもそれは、勘弁してやってくれ。それは君がみんなに好かれている証でもあるしな?」


「だったらなおさら後ろめたいです。それに寂しい……」


「ああ、まったくだな……」


 それは戦争に対する恨み言でもあった。


「少佐…これからはあの…ファーストネームで呼んでもいいですか……?」


 突然ローレルがつぶやいた。


「?……どうした急に?もちろん全然かまわんよ、付き合いも長いんだから好きなように呼んでくれよ」


 無邪気に笑って言うとローレルは嬉しそうにはにかんで・・・・・顔をさすった。


「で、では……アール少佐で……」


「ん?」


 アトキンズが首を傾げた。


「ん……?何です?」


「いや……『少佐』は付くのな?」


「え?ああ……そうですね。おかしいですか?」


「おかしいかと言われると……おかしくは無い、けどな……」


 首を傾げたまま腕も組んだ。


「階級なんて要らないぞ?アールでいいのに」


「ああ…と、私としては『さん』とか『君』みたいな敬称というか……大学に通っていたからですかね?職階者にはちゃんとそれぞれの職階を付けないと失礼だという風潮があったものだから……」


職階しょっかい……??」


「要は軍隊と一緒ですよ、『教授』とか『助教授』とかです、大学も縦社会が顕著ですから。だから『アール少佐』とか階級を付けて呼ぶことに何の違和感もありませんでした。それどころか、もはや階級を付けない方がモヤモヤする始末です……」


 力説しているローレルが眉間にシワを寄せて困った顔をしている。


「まあ…だから気にしないでください」


「ふうむ…別に気にはならないが……」


「…………」


 腕を組んだままの自分をローレルがジッと見つめている。


「?」


「……」


 何かを訴えるでも無いし、何の意図も無く観察しているような視線だ。


「皆んな……今日一日で何かが変わったように見えます。戦いが始まったのだから変わらない方がおかしいですよね?漠然とした不安とか兵士としての覚悟とか、それでも恐怖を感じるのも当然ですよね?」


「ああ…いくら訓練したって兵士も人間だからな」


「ところがですよ?皆んなが何かを耐えているように見えるのに……少佐は、以前の少佐に戻っているような気がします。いえ、戻りつつあるような気がします」


 そう言われてアトキンズ本人がまた首をひねった。ただ意外そうでも無く、とは言え答えがまとまらず迷子のような顔をする。


「そう……それは俺も同意だ。さっきもそれを考えていたんだ」


「ああ、ナルホド……さっきの惚け顔はそういう事ですか」


「うわ……ひどい言われようだな?」


 クスクスとローレルが笑う。


「うふふ……でも可愛かったですよ?」


「このイカつい顔がか?変わってるなキミは……」


「女除けに丁度いいです」


「なにを……!これでもこの歳になってちょっと焦っているんだが?」


 意外なセリフにピョコンと耳を立てた。


「それはそれは!いい傾向ですねえ……是非とも焦って下さい、恋は時も場所も関係ありませんから……」


 そして意味ありげにニッコリと笑うと……


「ん、うむう……」


 いい知れぬ圧力を感じてアトキンズがおののいた。

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