第49話 晦明《かいめい》の空 3
そのまま気を落ち着かせるための時間を沈黙で稼いだ後、フレヤは覆面の中で微笑んだ。
「ねえ、せっかくだから少し遊ばない?」
「!?、遊ぶ…って何を?」
「ドイツの飛行機を真似した時は負けたけれど、私との勝負はまだしていないでしょ?だから、あなたが私に振り切られたらあなたの負け、ずっと着いてこられたら私の負け…てことで!」
「ええっ?それは……」
ハッキリ言って彼は勝てる気がしなかった。彼女の最高速度も上昇速度も知らないが、本当の旋回能力や空中での自由さを考えれば、彼女を捉え続けることは不可能だと想像できたからだ。
それでもそのドッグファイトを想像すると否応なく胸が高鳴る。フレヤが本気で飛ぶところを見られる期待と、魔女という種族が見せてくれるヒトの未知なる能力、飛行機の力を借りてそれに自分はどこまで追いすがれるものなのか、現代科学代表の自分と、
「キツイ勝負になりそうだなあ…まあ、それはいいんだが、スロットルを開けるなら燃料の都合でせいぜい10分、いや、そんなに使えないかな?それに、本気で追うとしても距離を置かないと、何より君が危険すぎる」
「やっぱりね…前回は手加減していたでしょう?必ず私の動きを見てから後手に回っていたものね?」
「かいかぶりだよ、でもコイツのプロペラもボディーも生身の君には危険すぎる、君が体を鉄の様に硬くできるなら別だがな?」
どんなにアツくなってもフレヤを
「この私が避けきれないとでも?いいわ、それじゃあ海までは直線勝負で、その後は成り行きにしましょうか?」
「おいおい…仮にもコイツは時速600キロ以上の速度が出せるイギリスの最新鋭機なんだぞ?特にテスト機のコイツは安全マージンが狭いんだ、瞬間的には650以上出せるぜ?」
「それって速いの?」
「は……?ええ、と…コイツより速い乗り物はこのイギリスには無いっ!多分な」
「ふうん、じゃああなたに勝ったら私がイギリスで一番速いってことね?おもしろいじゃない!」
フレヤがお尻の下に敷いていたクヴァストを握ってヤル気を見せた。
「まったく……じゃあ横並びで良いんだな?」
「ええっ!」
「分かったよ、それじゃあお先にドウゾ!」
クスリと笑ってアトキンズの号令を聞くが早いか、フレヤはクルリと後転して翼から転がって落ちると、放たれたミサイルの様にすぐさまMk5を軽くブっちぎる。
「おお!速いっ!?」
アトキンズもすぐにスロットルを全開…はやめて9割くらいの開度で飛び出した。それでも四捨五入すれば1500馬力のエンジンはパイロットをシートに押し付けながら機体を容赦なく引っ張っていく。それにつれて対気速度計の針が回り、300、350、400の目盛も過ぎようとしていた。
「マジかっ?この間のドッグファイトよりも鋭いし、速いっ!」
海へ向かって凄まじい勢いで空気を切り裂く2機?多分2分もかからずに湾外に飛び出すだろう。
しかし速度計の針が450を越えたあたりで差が縮まり始める。左前にフレヤを見ながらアトキンズはスロットルを少し戻した。
「お?ここら辺が限界か…?それでも大したもの……」
と、彼が油断した瞬間、チラリとこちらを確認するやフレヤは更に姿勢を低くして、先程と同じ勢いで加速を始めた。
「!、こ?この…ロケットレディーめっ!!俺を待ってたのかっ?!」
再びスロットルを入れられたMk5も更に加速する。500…550……
「ウソだろ…?離されている??」
対気速度600キロ……正直に言ってこの高度では限界の速度だっ。
「こ、この速度の中で、何で生身で平気なんだ?!むう…エンジンをこれ以上回すのは……」
まだ10パーセントの余裕がある。しかしそれはテスト機であるからで、そこから先に押し込めばほどなくエンジンはブローすることになるだろう。ましてやまだ加速をやめない彼女を見てエンジンにムリを強いる意味はあるのか?
「エンジンブローなんかさせたらローレルに殺されるな。しかもこのまま水面にダイブか?」
ここは
まさか…という思いはあったが生身の人間にスピードでも劣るというのはエースパイロットとしてはいささかショックだった。
(あのまま彼女が加速していったら…いったいどれだけのスピードを出せるんだ?)
フレヤがスピードを落としたことで、すぐに距離は縮まった。そして彼女の姿が見える程度に近づくと、彼女は上を指差す。
「おいおい、まさか……」
その『まさか』である。海に出てからの『成り行き』はやはり追いかけっこのようだ。フレヤはクヴァストを垂直に立てると、そのクヴァストに身体を押しつける慣性を殺しながら急上昇を始める。
(さあ、第二ラウンドよっ?)
「ホントにやるのかよっ!?」
先に昇っていくフレヤを追いかけてかぶせるカタチでアトキンズも上昇する。フレヤよりも緩い弧を描くことで距離を詰めることが出来るが、かと言ってさて…このまま追いかけっこを続けてよいものか、彼は悩みながらフレヤを見ていた。
「ううむ、このまま横に軌道をずらして……距離も取っておくか…?」
ということで、ぐんぐんと昇って行く彼女をやや左に捉えながらほぼ垂直にまで
「く……っ」
装備重量で3トン近い重さがプロペラにぶら下がったスピットは、水平飛行の勢いを使い果たすと途端に溺れた水難者の様にあっぷあっぷと喘ぎ始める。どだい小さなプロペラしか持たないこの手の飛行機は無慣性の上昇は大の苦手分野である。限界の角度もあり、このMk5でも1秒間に20メートルも昇ることが出来ない。それは時速に直せば70キロちょいちょいとクルマ程度のスピードだ。
Mk5は失速寸前で機種を下げ、小さく旋回を続けながら竜巻の様にスピットを上昇させていく。無論ペースを変えないフレヤとの差は歴然で、彼女の姿はあっという間に米つぶになった。
「あー、なんかもう……
これを性能差と呼んで良いものか…とにかくこれほどの差があると悔しさも湧かずバカバカしくなってくる。あきらかにフレヤはジェット機かそれ以上である、ただしこの頃のアトキンズはまだジェット機を見たことも無いが……
そしてはるか上ではフレヤも不満気にMk5を見下ろしていた。
(ふん…全然じゃない!……そういえば、今まで昇るのが速い飛行機に出会ったことが無いわね?)
おっしゃる通り、しかし彼女は今までどれだけの戦闘機にケンカを売ってきたのだろうか?
完全に引き離し眼下でもたつくスピットを見れば既に勝敗は決しているものの、これではフレヤも不完全燃焼で物足りない。彼女は逆さに切り返し、今度はスピットに向かって急降下を始めた。もうアトキンズのモチベーションもお構いなしにネクストラウンドに突入する。
対してアトキンズは降下して来るフレヤを確認した瞬間にMk5も下に向ける。彼女を見送ってから動き出していたら勝負にならないからである。案の定、Mk5にスピードがのり始めたところで、彗星の様なフレヤにぶち抜かれた。高時計をチラリと見るとおよそ1400メートルを指している。ここからだと全力で降下できるのは僅かな距離で、すぐに操縦桿を引くことになる高度だ。
湧かないやる気とは裏腹に集中力が高まってくると一瞬先を予想しようとする自分に支配される。人機一体の入り口。
(悪いが度胸試しには付き合わないぜ。引き離されないことがルールならじっくりと動きを見させてもらう)
スピットは推力を使わずにほぼ自由落下状態、どのみち彼女の目の前には水面の壁しかないのであれば、いずれかの方向へ転換しなければならない。
「っ!…性格の悪いヤツならロールをフェイントに入れそうなものだが、やっぱりフレヤは優しいな…っ。んっ?!」
彼女は水面まで安全な距離を残して向きを変えずに体を起こした。そして飛行機には不可能な鋭い角度で進路を変えるが、その動作を観察していたアトキンズがあることに気づく。
(そうかっ!そういえば……)
フレヤはすぐに体を左に傾けて進んでいた方向とクヴァストを垂直にする。それはサーフィンで目の前の波にボードをぶつけて方向を変える方法とよく似ていた。そしてそのままクヴァストに押しつけられるのを全身で耐えながら惰性で流れるラインをコントロールして鋭く曲がっている。
「なるほどな!あのクヴァストは体に固定されていないから曲がる時は慣性に対して常に横にしているのか。スピードを出せば出すほどあの予備動作は絶対に変えられない、じゃないと自分の体重に放り出されることになるってワケだ!」
のし掛かってくる自重に耐えるにはそれしかない。前回はドイツのメッサーシュミットの動きを真似ていたから目立たなかっただけだ。
一歩引いた目で観察していたからすぐに気がつけた。しかし、そんなアトキンズの動きにフレヤは目をしかめる。
「イヤな感じね……今までのパイロットはムキになって追って来たけれど……」
そしてすぐに右に切り返そうとする。するとその予備動作に合わせてアトキンズはスピットの角度を彼女のクヴァストに合わせる。
「あら?!」
結局はフレヤよりも大回りをして置いていかれるが彼女を見失うほどには離れなくなった。
「上昇はある程度は捨てる、まあ、彼女は本気では無いようだがこの位なら何とか……」
彼女の動きをトレースしながら瞬時に機体の向きを変える。スピットの動きは切り返す度に精度が増していき、フレヤの動きにシンクロしていった。
「ふふ…面白い!」
フレヤに合わせて向きを変え、彼女を中心に大きく滑って回り込む。鋭く切り返されて間に合わなくてもアトキンズは彼女の行く先を予想して星に付き添う衛星のごとくスピットを操った。
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