第46話 フレイヤという者

 アメリーの若い娘のような笑顔にエラは驚きながら思わずうなずいた。


「リズに出逢ってしばらくの間はね、何だか刹那せつな主義でいい加減な人というイメージがあって、少し苦手に感じていたものなの。自分にも他人にも正直なのは良いけれど、物おじしないと言うよりは遠慮というものを知らない人だと思っていた……」


「あ!…それはまるで誰かさんみたいですわ」


「そう…?それに、まるで子供みたいな理想を本気で押し通そうとする世間知らずだとも思っていたわね」


「まさしく……」


 もうエラの頭の中ではリスベットとフレヤが重なって区別がつかなくなりそうだった。


「ふふ…でもね、彼女はいつも、そんな理想を声高に主張してもそれを他人には絶対に押しつけない人だった。それにね、体制の思想や理念にはムキになって憤慨ふんがいしても、個人の信条、イデオロギーといったものを頭ごなしに否定することはしない、例えば、食べ物は結局のところ個人の好みで評価も変わるわね?だから彼女は先ずはちゃんと味をみて飲み込み、それから自分の考えを語り、それから…やはり子供のように問いかけてくる。それが厄介やっかいでした……」


「何故ですか?それはとても、考え深いものを感じます」


「彼女が語る理想は、社会からズレた甘えに感じて、わずらしいとさえ思っていました。私達、他のメンバーは呆れながらリズをさとすようなことが度々あったのだけど、ところが彼女にそれを語って聞かせる時はいつも、自分達が何故か後ろめたい気持ちを抱いていたことに気づいてしまったの」


「後ろめたい?分かりません、お母さま達は世の中の道理というものを説明してらしたのですよね?」


「ええ、詳説しょうせつしているつもりでいました。でもリズが口に出す理想というものは、当然だけど何ひとつ間違っていないし…いつも必ず正しいことを言っている。それなのに私達はそれを否定する理由を説明して、彼女に押しつけようとしているのじゃないか?」


「そんなことは日常茶飯事ではないですか?現実とはそういうもの……」


「だから責める事はせずに、彼女は問いかけるのです。それで良いのか?その程度でも良いのか?『現実』という言葉を便利に使って甘えて、甘んじているだけではないのか?と……」


「甘えっ?そんな……それは、だって…っ」


「あなたのように言葉に詰まって彼女の問いに誰も答えることはしなかったけれど、心の内では答えは明らかでした。誰もが現実にぶつかって、諦めることで大人になったつもりになって、何でもかんでもひとつにまとめて全てを見捨てることは正しいと言えるのか?いいえ、正しくない、強くも無い、気高くも無い、甘えて考えないように過ごしてきただけかもしれない。過去に捨ててきた、本当は捨てずに済んだ、取り戻せない気持ちがあったかもしれない、そう私自身が気がついた時には軽く絶望しましたよ」


「ですから、そんなことを言ってしまったら誰もこの世の中では生きていけません」


「だから『フレイヤ』は強要しないのです、誰よりもそれが身にみてわかっているのは彼女本人だったのですから。それでもあの人の心はとてもやわらかくて自由で、出来ると思ったことを諦めようとしないヒト……なぜなら、人と人らしい想いや生き方を愛して止まないヒトだから……」


 人は決まりごとを踏まえてどこで踏み止まるかを考える。つまりはルールの側から線をひくのが普通かもしれないが、リスベットは逆側から、個人の境域から

その境界線に歩み寄ってその線をまたぐ。同じルールの中にいるのに、その距離感の差が周りから理解されない原因である。もちろんエラもルールの側に立っている、特に夜会の決まりごとに対しては二歩も三歩も手前で踏み留まってきた。


「ワタクシには…正直に言って分かりません。何が一番大切かなんて、その人が思うことですし、お母さまが受け取ったと言ったどれもが、人であるために大切なものだと思います」


「そうね、大切なものはたくさんあって、どれかひとつをつらぬき通すなんて出来ることではないし、するべきではないでしょうね?だから私は思ったのです。その時、その場で一番大切な信条を間違えずに選べる人間になりたいと、心をいつも自由にやわらかく保つことができれば、優しく受け止めることも包み込むことも出来るのです」


 アメリーは娘に微笑んだ。


「それが、リスベットさんから受け取ったもの、ですか……?」


「そう、もっとも彼女は良い反面教師でもあったし、怒って、笑って…スネたり、悲しんだり、見ていて飽きない人が本当にいるものだと知りました。そしてとにかく気分の良い時は掛け値なしの愛情を示してくれたわね、まるで家族のように……」


 抱きつかれてほおずりされて髪がくちゃくちゃになった今夜の抱擁ほうようをエラは思い出した。


「惜しげもありませんか?」


「ええっグイグイ来るわね!」


「はぁ…」


 エラのため息にアメリーが笑った。


「その様子だとフレヤも?ふふふ、良かったわね?」


「ええ?ええ……良かった…のですか?もちろん嬉しくは…思いますが……」


「あの子はリズにそっくりだものね、リズにくしゃくしゃにされた腹いせに小さかったフレヤを良くクシャクシャにしてあげたけれど、あの子は喜ぶばかりだったわね。あなたもむずがったけれど皆んなに散々可愛がられていたのよ?」


「あ…はい……わりと、覚えています……というよりも今夜フレヤさんに思い出させられましたわ」


「あら?あのひとが車から出てきてこちらを見上げているわね。相変わらず感の良いひと……」


 グレイアムの車が見えてすぐに、2人の姿を見つけた父が車からゆっくりと降りてきた。


「あのひとったら、あんなにこちらを見上げて。近くに人がいたら他人のフリをして通り過ぎるところね?」


「お父さまには要らぬ心配をさせてしまいました……でも、せっかくですからお母さま、もう少し夜の散歩を楽しみませんか?」


「そうね、そうしましょう!……グレイアムには悪いけれど先に帰ってもらいましょうか。仲間外れにされてくやしがるでしょうけれど、きっとね……」


 その日の夜は、すっかり晴れたイプスウィッチの空で、向かい合って寄り添い、ゆっくりと飛ぶ二人の魔女の姿が目撃された。

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