第44話 影に棲む者

 男は森の外から身体を隠せる木陰に移動し、両手を上げたまま2人を見上げて語りかけてくる。


「待ってくれ、話しをしたい…いや、聞いてくれないか?」


「あの男、何を??」


 エラはこの異常事態に混乱して先に答えを探そうとする。しかしアメリーは答えの出ない問いには捕われず、男が危険であるか?話しをするべきかを考えていた。更にこの後の展開が自分達に害を及ぼす可能性を探っていた。


「お母さま…ここは無視して去った方が良いのでは?」


「エラ、私が下りるからあなたはこのまま周りを見張っていて。もしも誰かが近づいて来たら声を『飛ばして』教えてちょうだい」


「!、待ってください、お母さま!そんなリスクを負わずともこのまま無視した方が良いと思いますっ……それでも、もし…話しをなさるつもりならワタクシも一緒に……」


「ふむ、気持ちは理解出来るけれど……なら、そばの高木のこずえから外を見張りなさい、それなら会話も聞こえるでしょう、もちろん身を隠しながらね?」


「は、はいっ……」


 2人はゆっくりと落ちていく。下りる…のでは無くゆっくりと、羽の様にやわらかく落ちていくと書くのが一番合っている。エラは小さくうなずき適当な梢の陰に身を潜めて、母が下りて行くのを見送った。


 アメリーに睨まれて手を上げ続けている男を見て、エラは首をかしげた。


(間違い無い、港で見た男ね。でも、兵士相手には不安や恐れを見せていたのに、私達…魔女を前にしてもそれ程感情の揺らぎを見せない……不安はあっても希望さえチラつかせているのは…これって……?)


 アメリーは男の頭より高い位置に留まってそれ以上は下りようとはしなかった。その用心深さに感心した男は上着をまくり上げてクルリと回って見せた。


「足首にナイフが一本入っているが、はっきりと言っておく、君達に危害を加える気は無い」


 それだけ言うと男は押し黙った。その姿は目の前にいる魔女に降伏して尋問を待っているかのようだ。


「おっしゃいなさいな?下りては来たけれどそんなに付き合ってあげるつもりはありませんわよ?」


「!」


 すずやかな声色こわいろと安定したトーンの発声、そしてやわらかい。まるで歌劇かげきの役者のようで、いつまでも聞いていたい、その魔女の声を聞いて多少は張っていた気持ちの塁壁るいへきも易々と抜かれたことを男は感じていた。そのせいか緊張は高まったが舞台を前にしたような高揚感も湧いてくる。


「あ…と、わざわざ下りて来てもらってすまないな。こんな初対面じゃあどう取りとりつくろっても怪しい人間だと思われるだろうし、実際に私は日陰に生きている身だから、名前も名乗れないがどうか許してほしい」


「日陰者…それではあなたは何者かしら?ただの迷子?ホームレス?」


「!?」


「何かを見張っている?誰かから逃げている?動けなくて困っている?」


「…!」


 彼女達は相手の答えを言葉で聞く必要が無い。投げかけた言葉に相手の内からあふれて落ちてくるモノを、漂うけむりの姿を見ている。


「あなたは敵?味方?こんなご時世だからスパイ…?」


「まっ、待ってくれっ!分かってる…アンタ達にウソが通用しないことは良く分かっている……っ」


「そうですか。話しの腰を折ってしまって失礼したわ。どうぞ、言いたいことをおっしゃって?」


「……そう、そうだな……胡散うさんらしい身で厚かましい頼みだと怒られるだろうな。でももし助けてくれるなら、どこかで電話をかけたいんだ」


「それはつまり…私に電話を運べと?もしくはあなたを運べとおっしゃっているのかしら?」


 アメリーは眉をひそめて優しい語り口調で皮肉を浴びせる。


「まいったな……でも何と言われても仕方が無いか。ああ、どんな手段でも俺を運んでくれるのならこれ以上有難いことはない。だが俺を見てとてもそんな気にはなれないだろう、だから俺の代わりに電話を一本だけ、教える番号に電話をかけて、俺が書いたメモ通りの内容を相手に伝えてもらえないか?もちろんお礼は…充分に出来る」


「……」


 男の願いを聞いたアメリーはひそめていた眉を今度はしかめた。


「あなたには私がお金に困っているように見えるのでしょうか?それと、わたし…いいえ、私達魔女がたとえ敵ではなくても、戦争に関わるとお思いかしら?二重スパイさん?」


「っ!!、なっ何故……っ?!」


 まさしく男は仰天する。と同時に上から見下ろして様子をうかがっていたエラも驚いた。


(二重スパイ?どういう…いえ、いったいどこの?つまりは連合国側の人間……?)


 アメリーは変わらずに見下ろしてくすくすと笑っている。


「私達にウソは通用しない、あなたがおっしゃったのよ?先程、私が言った言葉へのあなたの反応、それだけで充分でした。それにあなたには魔女の知り合いがいらっしゃいますね?それも親しい関わりを持っている……家族?それとも恋人?いえ、夫婦かしら?だから尚更私の言葉への反応が素直だったのね?隠しだてがムダだと思い知っているから…」


「う……ううむ。もう、どうしようもないな……」


 男は観念する事にも慣れている様子で尚のこと素直に語り出す。


「そうだ、私の妻は魔女だよ。しかし…こんなことを自分から口にするなんて……私はそう……二重スパイだよ。はぁ…昼間にそこの空軍基地でヘマをしてね、だから…電話で助けを求めたいんだ」


「誰にですの?組織?この国の?」


「く……分かったよ、BSCと言うイギリスの組織だ、どうせ聞いたことも無いと……」


「ブリティッシュ・セキュリティー・コーディネーション……本部はニューヨーク、MI6の下部組織ですわね?」


「!!、あ、アンタは一体っ……?話してもどうせ知らないだろうと思っていたが、一般人じゃ無いのかっ?」


「いいえ、典型的な一般人ですわねえ、間違いなく……」


 この時、BSCは新設されてからまだひと月程度しか経っていなかった。だとすれば政府や軍の関係者にも知られていないような名前を一般人が知っている可能性よりも、もっと必然な他の可能性を頭に思い浮かべるのは仕方のないことだった。


「まてよ!アンタ達は本当にこの国の、この街の魔女なのか?魔女なら今でも自由に…国と国の間を自由に行き来できるはずだよな?俺も少し冷静さを欠いていたのかもな、その可能性を失念しつねんしていたよ」


「なるほど、私達もスパイだとおっしゃるのね?くすくす……そうね、我が帝国ドイツに潜り込んでいた二重スパイを見つけることが出来て、今日は幸運でしたわ!」


「っ!」


 アメリーの悪ふざけに男の顔色が変わって後悔の念がこぼれる。


「なんてね?」


「え?」


「くだらない見当違いに付き合ってはいられませんわ。何も証明することは出来ないけれどそれはお互いさま、人を見てモノをおっしゃいな?」


 アメリーが少し語気を強めると言い返せない説得力がある。


「それでも、たしかにゼロではないけれど、私達が戦争に加担する可能性が無いわけではない、国が変われば魔女の生き方にも違いがあるでしょう」


「うむ……いや…変わらないさ……少なくともドイツやリトアニアではな……」


「!、そう…それじゃあ、あなたは…」


 男は自分のことをゆっくりと語り始めた。


「いや、俺は生まれも育ちもドイツだし、国籍もドイツにある。移住したのは祖父母の時代で、リトアニアでの飢饉ききんがきっかけだったらしい。でもそれでリトアニアとのつながりが無くなるわけじゃない。俺は祖父母と両親にリトアニアの話を聞かされて育ち、何度も里帰りしては向こうの身内や親戚と親しくなった。大切な友人も出来て、良く似た境遇で幼馴染だった妻とも親戚を共有するようになり、今では故郷はリトアニアだと、リトアニアだったと胸を張っている……」


「前を見ればソビエト、振り返ればドイツ、大国に挟まれいつの時代も戦い続けてきた三国のひとつですわね……ソビエトはこの大戦の中でも、いいえ、むしろこれをきっかけにしてラトビア、エストニアも含めて手中に納めようとしている。そんな反ソ感情からドイツに傾倒けいとうする者も多いと聞いているけど……?」


 現状では一般人が離れた国の国民感情など知りようも無い筈だが、こういった情報は全て、商人を200年余りもいとなんできたマーティンソンの人脈とその情報網、更に根を張るように繋がって広がる魔女のネットワークから得てきたものだ。


「いったい何者なんだ本当に……?まあ、リトアニアにいる者はそうかもしれないし俺もそういった事情を利用しているのは確かだ。しかしドイツで育った俺には分かる、もしもリトアニアがドイツに組み込まれたらソビエトに主権を奪われるよりひどいことになるかもしれない。しかも独ソの不可侵条約が破られてもしもリトアニアが前線になれば、国そのものが消えて無くなるかもしれない。たとえそうならなくても…ナチス・ドイツの統治下となれば…リトアニアにいるユダヤの人々は、ただでは済まない……」


「胸の悪くなる話ですわね」


「そうさ、でも悪いが…俺はリトアニアやそこに住むユダヤ人すべてを救えるなんて思っちゃいない。俺は、俺の大切な人達だけでも守りたい、守れる方法を今でも探している。英雄を気取って戦おうなんて思っちゃいないさ」


「故郷を捨てる覚悟をしても、ポーランドは真っ先にドイツの手に落ちて唯一の脱出路も塞がれてしまった……こうなってしまったら最も安全な脱出方法はあなたの奥さまがひとりずつ、深夜に飛んで連れ出すしかないですわね?」


「それは妻にも言われたよ。しかし親戚一同となれば30人以上の難民だ、年寄りだっている。となれば連合国にワタリをつけて、受け入れと住む場所くらいはってもらわない事には、ただのホームレスになっちまう」


「そう…そういうことですか。ただ、脱出に南下することを選べば、安全圏までは800キロ以上の旅、私だったら中立のスウェーデンを経由してノルウェーを目指す。それでも海を横断すると身を隠せる場所が無い上に、普通の人を乗せて、しかもそれを30回以上往復するとなると……いくら私達でも命がけになりますわね……」


「ああ、分かっている……」


 その時、アメリーの耳元にエラの声が届く。

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