第26話 木曜日は定休日
自室、ブリーフィングルーム、全員の食卓である食堂、滑走路、パイロット待機室、あとトイレ……基地でのパイロットの居場所と言えばこんなものだろう。アトキンズはその中から食堂を選んで失った水分を補給していた。
(ふうむ……それにしてもローレルの賢さには分かっていても圧倒されるな……)
先程もひとしきり落ち着いた滑走路でのこと……
「それで少佐?テスト中のMk5はどうでした?」
「ん?そうだな…俺はてっきりマイナスGに入ってもエンジンの調子は変わらないのかと思っていたが……必ず一瞬息をつくように回転が落ちたな………」
「はい、それは予定通りです。バイパスが効果を発揮するのにどうしてもタイムラグが出てしまうんです。他には……?」
こんな時はエンジニアとしての質問が淡々と続く。
「ええと、その…効果とやらが続いている間は少しパワーが下がるみたいだな、まあ安定しているから不安は無いが……」
「はい、それも計算通りです。それでもパワーの落ち込みは14パーセント以内に収まっている筈ですけれど、何パーセント落ちました?」
「…え?パーセント……?」
「じゃあ…どれくらい余分にスロットルを開けました?」
「ええっ?どれくらい…って……そうだなあ…………」
アトキンズは残っている感覚を思い出して身振りをして見せる。
「ふむ……分かりました」
「え?分かったのか?」
「はい、他には何か……今までと比べて違和感などは?」
「他に?ううむ……いやあ、気持ち良かった…………」
「くす…分かりました、もういいですよ、ありがとうございました……」
などと言った調子であった。
(やっぱりテスト飛行なんて必要無かったんじゃ無いか……?)
大概そうである。割と長い付き合いになるが、今まで彼女の想定外の結果となった事がただの一度も無い。そのおかげで不測の事故が起きた事もあるはずが無い。
(まあ、彼女も一応人間だしな……本人がテストは必要だと言うなら…)
「あっ、アトキンズ少佐!」
彼を見つけて不意に声をかける者がいた。彼女は事務官を務める女性隊員である。
「さっきのテスト飛行拝見しました。私には専門的なことは分かりませんが凄かったです!」
「ああ、どうも…君は?曹長……」
「失礼しました、メリッサ・ミルズ曹長です。に…20歳です」
「いや歳はいいけど……メリーか…でもその歳でもう曹長なんて、立派だな」
彼に褒められて敬礼をしたまま少し顔を赤らめた途端、すぐに姿勢をゆるめて気安くなった。
「いやあ…立派なんてそんな、ただの事務方ですし、アトキンズ少佐に比べればその他多勢のゴミみたいなものです……へへ」
「ごみ…?誰がだ?」
「へ…?」
「こうやって喉を
「は、はあ……?」
「君が支えているのは軍と上官に違いないが、それは巡り巡って君自身を生かしているんだ。君は『上』を支え、上は『国民』を支え、国民は『君』を支えている。俺が君に支えられていることも確かな事実だ。だからへりくだっても自分を『ゴミ』なんて言うなよ?」
「!」
怒られたと言えばそうだろう。でも彼女なりの志を抱いて入隊してから、ここまで穏やかな
アトキンズは席を立つと去り際に笑って握手を求めた。
「ありがとう、メリー曹長」
「えっ?!…あっ、ありがとうございます!」
差し出された大きな手をメリッサは強く握ってブンブンと振り回した。
「お、おう……」
ちょっと熱い視線を背中に受けながら彼は食堂を後にした。
(いやー、暇だなー……)
などと思いながら……
イギリス空軍が着々と防衛体制を整えている最中にも海峡を挟んだフランスではドイツ軍の侵攻が続いていた。既に体勢はドイツの勝利で決しているものの、連合国のひとつであるフランスの敗北は全ての終わりを意味しているものでは無い。
自軍を逃がしながらもドイツを牽制し、無念を噛んで連合軍のために時間を稼いできた。とは言え、最早軍事的な時間稼ぎの時期も終わっていた。
(また来てしまった、が……)
やる事も無いアトキンズはまたしてもメイポールの前に立っていたが……何ということか店の扉には鍵が掛けられている。彼は少し途方に暮れていた。
「また来たの?」
「あ……」
するともうすっかり耳に
「木曜と、日曜日は休みよ?また明日来てくださる…お客様?」
「そうか…多分自由に過ごせるのも今日までだと思うが……まあ、また来るよ」
『ジュリエット』を見上げて挨拶だけすると、『ロミオ』は肩をすくめて素直に引き下がった。
「ちょっと……っ」
「ん?」
「暇なら服でも買いに行けばいいじゃない?あのヒトでも誘って……場所は教えるわよ?」
「ローレルか?それは……今日は無理だな」
「そうなの?」
「そうなんだ!」
何しろ大佐直々の仕事を放らせるわけにはいかないのだ。それにしても上から下から、しづらい会話をしていると、今度は2階の開いている窓から誰かがニュッと顔を出した。
「だったらフレヤさんが連れて行ってあげればいいじゃないですか?」
「!、あれ?きみは!」
「なに割り込んでいるの?セアラ……」
顔を出したのはメイポールの『看板娘その2』のセアラである。
「こんにちはっアトキンズさん」
「お、おう…なんだ、君はここに住んでいるのか……?」
「違うわよ」
セアラを見上げていると更に上から、そしてまた2階へ
「いやー、あまり仕事が遅くなると帰るのが面倒で……いえまあ、遠くはないんですけど、あんまり遅くに出歩くのも何だからちょくちょく泊まっちゃうんですよお」
「ふうん……」
「まあそれはどうでも良いんですけど、服を見にいくならフレヤさんと一緒に行くと良いですよ?ねえ、フレヤさん?」
セアラの根拠のない自信にフレヤは思わず頭を抱える。
「何が『ねえ』なのよ?私は行かないわよ……」
「何でっ?」
「だから……何で『何でっ?』になるの?今日は家でゆっくりしたいんだから勝手に話しを進めない!」
「えーっ?『そろそろ新しい服を見に行きたいわね、ふふん』……って、言ってたのに?車を出してもらえるかもしれないのにっ?」
フレヤを真似たすまし顔がやけに可笑しくてアトキンズの頬がひきつる。
「ちょっとそこ!何ウケてんのよっ?ひとつも似てないわよっ。それに『そろそろ』は今日じゃないし、基地の車じゃ目立つし……」
「ええー?じゃあ、私がついて行こうかなあ……?」
「!、……ええ、好きになさいな」
「んんー、でもやっぱりフレヤさんと行きたいなあー」
多分今のアトキンズはドライバーと荷物持ちの価値しかない、さっきから蚊帳の外である。
(いやあ、買い物に行くとはまだひと言も言っていないが……?)
「ごめんねえ、アトキンズさん…私も家にいるー、て言うか帰るー」
「……あーいやぜんぜん。俺も基地に戻るから……あ、でも、一応店の場所は教わっておきたいな……?」
「そう……それじゃ地図を描いて今下りるわ」
そう言うと手すりから見下ろしていたフレヤは部屋の中へ消えた。このシチュエーションは
(おっと……同じ景色だな…………)
「と……それじゃあアトキンズさん、私も家に帰るので…またお店に来て下さいね?」
「ああ、またな」
2階のセアラはにっこりと敬礼をしてから中に入っていった。
(んー夜に出歩くのはやはり不安なのか?彼女達でも……?いや、心配しているのは『面倒ごと』そのものかな?)
時として怪物のように伝え聞いていても、実際のところはお
(ほうきですら無かったな。案外、かよわいただの女なのかもな?)
いずれにしても彼女達への興味は尽きない。大概のことは直感的に理解してきた彼は、それ故か必要以上に物事を掘り下げる習慣が無い。ところが何故か、彼女達のことは具体的に知りたいと思う、聞くつもりは無いが聞かせて欲しいと願ってしまう。それがフレヤに言われた『血』のせいなのかは分からないが。
「お待たせ、はいこれ!」
フレヤが手描きの地図を手に建物の裏から出てきた。思えば支払った『情報料』をようやく回収できたということだ。
「ああ、ありがとう」
しかし改めてアトキンズを見たフレヤは急に目をしかめた。
「ん?ちょっと……あの基地には女しかいないの?」
「は?ああ……また何か見えるのか?たしかにさっき事務方の子と話したが?一体何が見えるんだ?」
「何って………」
それは漂う薄い霧の様で、時には陽に煌めく朝露を思わせ、時にはどろりとした黒い煙りであったり…色も濃さも様々に人に纏わりつく想いの『
「パイロットはおモテになるようね?まあ悪い事はしていないようだからいいけど……?」
「説明はできないということか?まあそりゃあ……飛行機に触れたこともない相手に宙返りを教えることは出来ないけどな………?」
「…………」
そのとおり、とでも言いたげにフレヤは両手を広げて見せた。
「分かった…それじゃあまたな、地図をありがとう」
何となく足取りの重いアトキンズを見送りながらフレヤは肩をすくめて見送った。
と、そこへ帰宅するためにセアラも出てくる。
「つめたいなあ…フレヤさんっ」
「なによ……じゃああなたがついて行けば良かったじゃない?それに今夜は……」
「分かってますっ、だから私も一度家に帰らないと……」
「そうよ、ああ……最近お会いしていないから叔母さまによろしく言っておいて…私ものんびりと過ごして……少し寝ておくわ」
「はあーい、それじゃ今夜…『集会』で……」
「ええ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます