第25話 完璧なスピットファイア 5

「ふう……」


 滑走路上に停止したアトキンズはエンジンを切り、マスクを取り、大きく息を吐いて肩から力を抜いた。そしてロックを外し風防を開けた瞬間にギャラリーの拍手が外の風と一緒にコックピットに流れ込んでくる。乗降口を倒し立ち上がって振り返ればテストの成功を祝うギャラリーが手を叩いて喜んでいた。そして、


「ローレル?最近同じ様なシーンを見たな…?」


 ローレルが小走りに向かってやって来る。初日のあの夜と違うのは少し眉を吊り上げたり、すぐに崩れてほころんだり、自分の感情に遊ばれている彼女の表情が面白いところだ。トントンとスピットから軽い足で降りてアトキンズはローレルに言った。


「何だよ?叱られるのか褒められるのかドキドキするな?」


 彼女は向かっていった足を止めることもなくアトキンズに飛びついた。


「お…っと……?」


「はあ、はあ……もちろん叱りに来ました……」


「なにか悪い事をしたかな?」


「もう…何で低空であんな無茶をするんですか?」


 ローレルは抱きついたまま高揚した顔を見せないように文句を言う。


「『無茶』?トラブルなんて起きるはずが無いんだから無茶でも何でもないさ。俺は皆んなに新しいスピットのエアショーを見せただけだぜ?楽しかっただろう?」


「まっ……たくっ、もういいです……」


「もういいのか?」


「ええ…ありがとう、少佐……」


 抱きついた腕に感謝を込めて囁いた。


「あー、ごほん…っ、どうやらこのショーにはまだ続きがあるようですな、大佐殿」


「ああ、そのようだな」


 呆れたピアースの言葉におののいてローレルはアトキンズから離れ顔を赤くしてうつむいた。別に聞こえよがしに言ったわけでは無いが彼女の耳のスペックをピアースは知らない。更にはパイロット連中から聞こえるのは…


「何だかなー?少佐はもー、何でグッと抱きしめてあげないんだろうなー?」


「まったくだな、『今夜は2人でお祝いだな…』くらい言うところだろ?」


「こんな凱旋ムードなんだからキスくらいしても怒られないでしょうに」


 彼女は彼等の言葉がアトキンズの耳にも届くように願ったかもしれないが生憎とアトキンズの耳は人並みである。とにかく慌ててローレルがギャラリーに恥ずかしい顔を隠して頭を下げると滑走路はまた拍手に包まれる。


 べつにこのショーの幕を引くためでは無い。意外と節操の無い自分が恥ずかしいばかりで思わず下げた頭の中では、ギャラリーの拍手に救われたような、何となくごまかせたような気がして火照ほてった顔を少しは冷ますことが出来た。


 そしてショーの幕引きを買って出たのはリトルトンだ。彼は拍手が落ち着くのを見計らってギャラリーとローレルの間に立つと…


「諸君っ、テストは終了した。それぞれの職務に戻ってくれ」


 と、感慨かんがいも感じさせず淡々とその場を仕切った。レイヴンズクロフトはそんな事をリトルトンに任せて滑走路の2人に歩み寄って行く、『これはいかん』と察してアトキンズがローレルの腰を押すと2人も大佐殿に向かって歩き出した。


「素晴らしい飛行だった、アトキンズ少佐」


「楽しんでもらえましたか?」


 顔を突き合わせて敬礼をしながら先ずはお互いにニヤリと挨拶を交わした。


「ああ、ミス・ライランズもご苦労だったね、空軍を代表して感謝を申し上げる」


「いいえ、弊社のわがままを快諾していただきありがとうございました」


 軍属では無いローレルには丁寧に握手を求めるが、実は、レイヴンズクロフト家は爵位を拝する名家であり、社会的特権を持つ貴族である。本来であれば将官をにない、このように現場に出ることは許されない程の人物であり、彼が図に乗った鼻もちならない階級差別主義者だったならば、官位を持たない下々のローレルに自分から手を差し伸べることなどなかっただろう。


 しかし古くは大英帝国の騎士から発出した家柄と、『烈士徇名れっしじゅんめい』を地で行く家訓が戦場に背を向ける事を許さない。戦場で居並ぶ猛者もさをまとめ上げ、敵に剣を叩きつけてきたであろう一族猛将の血と矜持きょうじが彼にも受け継がれていた。そして果敢な生き様を貫いて尚、レイヴンズクロフト家は生き残り政府ににらみが効くほどに強くなった。


 そんな大佐にとって将官の辞令など受け取れる筈が無い、そもそも辞令を出される事さえ拒んでいた。


「いや、テスト機であろうと新型機を使ってよいとなれば断る理由など無い、それに我が国屈指のパイロットを遊ばせておいて良い筈が無いだろう?なあ、アトキンズ少佐…?」


「はは…手厳しいですね、大佐殿……どうやら私が生来の怠け者であることを見抜かれていますね?」


「フ…ッ、何を言っている、怠け者がエースを冠することなど出来るわけなど無いだろう。ただ乗るオモチャが無ければバイタリティが半分以下になってしまうのだろう?…生粋のパイロットとはそういうものだ」


 大佐の言葉は上官でありながらも物腰はあくまで紳士、それでいて押さえつけるような重みとは違う気持ちの良い説得力を感じる。


「……?」


 しかし褒められたのか?いましめられたのか…?ただの独り言のようなものなのか……?どう答えれば良いのかアトキンズはトトッとつまずく。


「ま、まあ……こればかりやってきましたからね、確かに飛行機が無くなったら何をすれば良いのか分かりません」


「ふむ…まあ安心したまえ、君の新型機に問題が無いのなら明日からまた任務にいてもらう。Mk5に問題は無いのかな?ライランズ君…」


 レイヴンズクロフトは静かにローレルを見た。


「は?はい…っ、あ、いえっ……これからテスト後のチェックをしますので、それで問題が無ければ……あと、会社に出すレポートをまとめさせて頂きます」


「おお、そうか…それはそうだな。では終了後にその結果をピアースに報告してもらえるかな?なに、今日中にとは言わんよ、しっかりとチェックしてくれたまえ?」


「はい、分かりました」


 大佐は小さくうなずき穏やかな微笑みを残して去って行った。


 2人がその背中を見送る頃には滑走路にはパイロット達と後片付けをする整備員だけが残り、冷え始めたMk5のエンジンがキン、キンと鳴いていた。


「何と言うか、大佐の存在感には独特なものがありますねえ?ううむ、ええと……私がまだ小さかった頃、近所にスゴく大っきな犬がいたんです。たくましくて立派なワンコだったんですけどスゴく優しくて頼り甲斐があって……」


 ローレルのデータベースによると大佐のタレントは近所の立派なワンコと近似値だったらしい。


「ああ、ええと……絶対に他でその話しはするなよ、ローレル」


「え?当たり前じゃないですかっ、おかしな少佐ですね」


「!……あっそう、分かってるならいいや……」


 たまにローレルがとんでもない爆弾のように思うことがある。決して暴発しない爆弾……しかしもしも、その導火線に火が着いたらその被害は計り知れない……


(って、バカバカしい……なんだ?魔女と知り合いになったからか、な?)


 自分の妄想に呆れていると、2人の元に今度はパイロット連中が集まってきた。新型機の誕生を喜ぶと共に多くの者はパイロットらしくアトキンズが見せた離れわざに興味津々の様子だ。


「やったねっミス・ローレル!完璧でしょうっあれはっ?」


「予想以上でした……しかし何ですかっアトキンズ少佐っ?!あの宙返りは?なんて言う機動なんですか??」


 喜びも驚きも他のギャラリーとは比べようもない、彼等はこのテスト飛行の意義を十二分に理解している。あの『極芸』の難しさも。


「名前?そんなもの無いよ、それにドッグファイトじゃ役に立たないぞ、ただの曲芸だ」


「うそ…っ名前が無いってマジですか?サシの勝負なら一発逆転の『デスブロウ』じゃないですかっ!?」


「ああ、模擬戦をやっても少佐を追う時は要注意だな」


 ローレルを褒め称えてはアトキンズをはやし、飛行機乗り達は羨ましそうにMk5を取り囲んでしばらく盛り上がった。

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