第22話 完璧なスピットファイア 2

「それじゃあ少佐、始動試験はさっき済ませていますからエンジン始動はいつも通りで、燃料は3分の1入っています。当然装弾は無し、テスト同様にスロットル半開で2分間異常が無ければ固定を解除しますから離陸して下さい」


「了解……」


「あ、でもスロットルは徐々にで…トラックはなるべく固定しましたがそれでも引っ張っちゃうかも……危険になったら合図を送りますから私を見ていて下さいね?」


「りょーかい、離陸前はいつも君の許可待ちだから慣れているよ」


 アトキンズは手を上げるとMk5に向かって行った。そしていつも通りの離陸前点検を…軽く『はしょって』早々に操縦席に収まって座席を上げた。


 どうせ隅からスミまでローレルが点検しているはずだ……飛行帽をかぶってインカムをつなぎ口を尖らすローレルを左側に見ながらポンピングをして燃料を送ると、ためらうこと無くエンジンを始動する。


 小気味良くリズムを刻むエンジン音を聴く限りでは吸気にも問題は無さそうだ。そもそも問題が有れば操縦席にも座らせてもらえないだろう。アトキンズは彼女を確認してスロットルを開け始める。


 彼女はゆっくりと上に向けた指を回している、5%…10%…20%、前に出たくて踏ん張りはじめたスピットを2台のトラックがつなぎ止める。40%…ごじゅ……ローレルの指が止まった、トルクピークはまだ先だがたしかにスピットの動きもふらふらと頼りなくなっている。彼女も諦めて時計を見て計り始めた、120秒のカウントダウンだ。


(こいつ……アタリはもうついてる感じだな……)


 動作試験でたっぷりと回されてきたのかエンジンは何のストレスも無くスムーズに回っている。とは言えまだパワーをおさえているし、飛行時間ゼロのエンジンだけに過信は禁物である、今はエンジンの音と伝わる振動に集中する。


 やがて顔を上げたローレルが手で抑える動作をしたことを確認すると、スロットルは一旦アイドリングまで戻される。するとすぐさまグーチとオーツがロープの結びをするりと外し、ロープを回収してMk5から離れた。


 これで相棒共々自由の身だ、アトキンズはシートベルトを絞りゴーグルを着けて彼女を見る。作業を見ていたニコルズもローレルの隣にやって来てスピット周りの安全を確認すると親指を立ててゴーサインを出した。ローレルも少し緊張した顔でうなずいている。


(まったく、何を心配そうにしてるんだ……)


「……!…………っ!」


 爆音の中でアトキンズは何かを叫んで笑った。横にいたニコルズが耳を傾けたが聞こえるはずがない。


「なんだ?何か言ってやがったが……?」


「少佐……」


 はにかんだローレルを見てニコルズは当然『まさか』という顔をした。


「おいおい…まさか嬢ちゃん、今の少佐の声が聞き取れたなんて言わねえよな?」


「はい、聞こえましたよ」


「ホントかよっ!?」


「私ね……」


 彼女は自分の耳たぶを軽くつまんで微笑んだ。


「耳だけは自信があるんです!」


(はあ…?なんだそりゃ……)


 ほんの2日間…いや、一緒に仕事をしていた1日だけで彼女の非凡な才能に舌を巻いていたのに、本人は『耳だけ』はとつつしみなく自慢する。およそ凡夫ぼんぷな自分には天才の感覚は分からない、決して皮肉ではなくそんな事を彼女の笑顔を見て実感した。





 ローレルの父親はロンドンで開業医を営む医者である。特に裕福でも無かったが不自由することも無く、両親からは愛情を注がれ恵まれた環境で育った。ローレルは僅か4歳にして、父の仕事柄、おぼろげながら人の身体に興味を持ち始めていたが、あれは彼女が5歳の夏、家族旅行で湖水地方への駅のホームに立っていた時だった。


 地面を震わせ巨大な黒い怪物が力強い機械音と咆哮を響かせて彼女の目の前に現れたのだ。それは彼女が初めて見る『蒸気機関車』だった。


 頭から煙を吐き出す猛々たけだけしい鉄の塊は、幼いローレルの目には力強く雄々しい陸の王に見えたが、彼女は類稀たぐいまれな耳で蒸気機関の精密で規則正しい機械の息づかいを聞いていた。


 小気味良い鼓動に自然と目を閉じてしまうと次に聴こえてきたのは機関車を待っていた客たちの声だった。この大きな鉄の塊にこれから始まる冒険を実感し、子供ははしゃぎ誰もが笑顔になっている。そんな人々の顔を見ていると彼女自身も不思議と幸せな感情に満たされて嬉しくなるのだった。


「嬉しそうだね?ローレル…」


 そう言われて見上げた父の顔もまた、喜ぶ彼女の顔を見て嬉しそうに笑っていた。


 それからローレルの見るユメには時おり機関車が登場するようになる、あの耳の奥の小気味の良い息づかいと共に。





 アトキンズはこれっぽっちの不安も抱いてはいない。さっきまでの軽い緊張も今は期待感に変わって、このMk5がどれほどのパフォーマンスを見せてくれるのかだけに心を躍らせていた。


(さあ…見せてくれMk5!)


 新しい心臓を得たMk5が滑走路を滑りはじめる。いつもとは違いギャラリーの多い今日の離陸に彼は座席を上げたまま飛び上がることにした。そうすればいくらかは滑走路の先を望むことが出来る、それに本当はそれが正しい手順なのだ。


 固唾かたずを飲んで見守るギャラリーに見送られながら速度は上がり、機体は軽々と地面から浮き上がる。そのまま緩い角度を保ったままアトキンズは機速を上げて真っ直ぐ飛び出して行った。


「ありゃ?少佐はまた随分と低く飛んで行ったな?」


 誰かが言った。





 幼いローレルが機関車と出会ってから数年もすると、彼女は蒸気機関に夢中になって簡単な蒸気エンジンを自分で作るほどになっていく。女の子らしい遊びに興味を示さない娘に母親は不安を感じていたが、それをきっかけに非凡な才能を見せ始めていたローレルに両親は望むモノを与えてくれたのである。


 やがてその興味はガソリンエンジンへ、そして次なる興味の的である飛行機を見つけるのにそれほど時間はかからなかった。人が空を飛んでどこまでも行ける、いつしかローレルのユメに出てくる機関車には大きな翼が付くようになった。






 低く飛び出したアトキンズは7割程スロットルを開けてみる。その要求にエンジンは素早く応えてアトキンズをシートに押し付けた。


(気のせいか…?前よりも反応が良くなった気がするな……)


 彼は100メートル程度の高度のまま10キロほど飛ぶと、大きくターンをしてローレルの待つ飛行場へと引き返す。


(エンジンは良好、機体にも問題無し!流石だよ、君が納得して送り出した以上問題が起きるなんて事は無いさ)


 確かにその可能性は低いが、どんなに低い確率の問題でもそれが頭の中で何十、或いは何百とバグのように湧き出して目の前を飛び回っていたらどうだろうか?普通の人には見えないそんな小さな『虫』が彼女には見えてしまう。しかもどの様な姿をしているのかもハッキリととらえることができた。そして既存のエンジンに本人としては無理やり組み込んだシステムには、普段見ないフリをしている可能性よりも幾分か大きな『虫』が潜んでいる。


 それがローレルの顔を曇らせていた。

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