虎落笛(もがり笛)
大神田サクラ
第1話 脈アリ、ですか?
僕が彼女を怒らせたのは間違いないです。
優柔不断な自分の身から出た錆、と言えばそうなのですが、その結果はあまりにも悲しいものになりました。
トラブルの直後からずっと、僕は彼女に完全に無視され続けています。ちらっと見てくれることすらありません。近頃ではそんな彼女の頑なな態度に逆に感心するほどです。
いくら話しかけても彼女は何にも答えず、僕は謝罪の機会すら与えられていないのです。
「ねえ真依聞いて」
「一回でいいから」
僕はしつこく頼んでいるのですが目も合わせようとしません。聞こえていないのでしょうか、それとも聞こえないふりでしょうか。
そんなに頑固な面を、交際中は見たことがありませんでした。彼女は俗にいうサバサバ系なのだと僕が勝手に勘違いしていたようです。
職場でも、皆なるべく僕の方を見ないようにしているようで、四面楚歌とはこんな状況を言うのだなと身にしみて感じるこの頃です。
きっと僕と彼女との恋愛トラブルが社内に知れ渡っていて、女性全員を敵にまわしてしまったのでしょう。
職場にしても学校内にしても、ひとりの女性を敵にするということは、すなわちその集団の全ての女性を敵に回すということになります。
昔まだ小学生だったころ、僕は同じクラスの女の子の容姿をちょっとからかってしまったのです。
彼女は泣いてしまい、大勢の女子がそのまわりに集まってきました。「○○ちゃん、かわいそう!」と口々に言いながら僕を見る女子達の目付きは今でも忘れられません。
いくつもの目が、僕に対して死ねと言っているようでした。
軽い気持ちでちょっとふざけたことに対して、その結果女子全員に嫌われたことは罰として重すぎやしませんか。
しかし、今回は違います。小学校で女子に嫌われたのとはわけが違います。弁解の余地はありません。しかし謝罪だけはさせて欲しいです。
真依(まい、と読みます。彼女の名前です)は、社内では僕の後輩にあたります。
僕の三年後に入社してきた彼女は始めから話題の新入社員でした。
大学内のミスコンで入賞したこともある人目をひくきれいな子です。可愛いというよりもきりっとした美人で、しかもてきぱきとしていて仕事のできる女性でした。
もちろん大勢の男性社員たちが真依に注目していて、あわよくば自分の彼女にしたいと狙っていました。
真依は物怖じしないはっきりとした性格ですが、場を和ませる優しいところもあって、まわりの男性は皆彼女のことを多かれ少なかれ想っていたはずです。
真依はサラサラなボブヘアを明るい色に染めていて、いつも垢抜けた控えめなメイクをしていました。ファッションは動きやすいパンツスーツが多くて、なんとなく小学校の若い先生みたいな雰囲気でした。
僕が彼女との距離を縮めたのは、本当にありきたりな出来事がきっかけです。
遅くまで残業していて、なんとなく一緒に飲みに行き、連絡先を交換したのです。帰り際、脈アリだと思わせてくれたのは真依の方でした。
「連絡していいですか」
「もちろんもちろん。ていうか、敬語じゃなくていいし。ははは」
「えっ、ほんとに。えー、でも私後輩だし」
初めて二人きりで飲んで、いきなり彼氏いるの?とか付き合って欲しいなどと言うほど僕もがっついてはいません。
真依と一緒にまた気楽に飲みに行けるように、その日は当たり障りのない世間話に始終しました。
会話の内容はあまり覚えていませんが、学生時代のサークルの話や、最近見た映画のこと、社内のことや実家のことなど、不思議に話が弾みました。
「私の母が、ちょっと飯マズなんですよ」
「マジ?まだ親元だよね」
「なんか、おふくろの味っぽいもの作ってくれるのはいいんですけど、全部塩辛いんです。みりんとか砂糖とか、普通入れるじゃないですかー」
「うん、だいたいみりんと醤油って感じだよね、惣菜ってさ」
「計るっていうことをしないんですよ、母は」
「あー、自分の味があるっていうか?」
「それが美味しいんならいいですけど。分量計れば必ずまともな味になるのに」
沈黙する間もなく次から次へと話題が沸いてくるといった感じで、僕は同僚とそんな楽しい会話をしたことがそれまでなかったものですから、とても新鮮な喜びを感じていました。
真依は読書家であり、そしてマイナーな映画でも僕が名作だなと思っていたものをほとんど見ていたのです。
どんな話題をふっても必ず乗ってきてくれて、会話のキャッチボールが快感に思えました。
飲みに行く前に抱いていたかすかな下心もどこかへ消え失せてしまって、単純に一緒にいて楽しいと思えたのです。
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