30 「…………ウェズリー様は本当に馬鹿です。責任、取って下さいね?」

 嫌だと首を横に振り声を張る。ルミリエ王立劇場の焼却炉は一日一回、午後十四時に決まって黒煙を上げる。そんな中で最期を過ごすなんて、考えただけでゾッとする。ゲールにしてみたら上手くいけば勝手に鍵が転がり込んでくる状況だからか、それ以上口を開かず息を殺して自分達を注視していた。


「リタ」


 短く自分の名前を呼んだ主人は、ふっと目を細めて笑った。やっぱりこの部屋には似合わない雰囲気だ。でも――それだけに、その笑顔は何処かで見た事がある気がした。何処だ、と考えて直ぐに思い出した。ジェシカの屋敷から帰った時もこの顔をしていた。阿片を前に動揺している自分に「落ち着いて」と言った時の顔だ。


「……っ」


 もしかしたら。主人には何か考えがあるのではないだろうか。そう思えば、おかしくなったとしか思えない主人の言葉にも、意味がある気がしてきた。それでも、燃える時間の近いダストシュートに飛び込む決断は、三階から飛び降りる決断よりもずっと勇気が要る。

 でも、青い瞳を真っ直ぐに向けて来る主人に自信があるのなら賭けても良いと思った。どうせこのままでは死ぬしかないのだ。それに万が一の時、二人なら焼かれる前に死ねるかもしれないし、誰かの隣で死ぬのなら意味のある人生だったと思える。


「…………ウェズリー様は本当に馬鹿です。責任、取って下さいね?」


 ぼそりと零す声はか細くて震えていた。気が付いていないだけでもしかしたら涙が出ていたかもしれない。


「はいはい」


 仕方ない、と何時ものように頷くウェズリーを見て気持ちが固まった。


「ロマンティックには程遠い場所だけど、二人が良いなら良いわね。話はついたかしら?」


 そっと目を伏せて己の首に腕を回し、ネックレスを取り外ししやすくする為に髪をかき上げた。自分の仕草を食い入るように見つめているゲールの姿が視界の隅に映った。首からネックレスを外し、先端に付いている鍵をゲールに見せるように差し出す。


「これがデヴィッド様から預かった、鍵、です……箱の中に入っていました。どこの鍵、なんですか?」


 掌に乗った鍵を、ゲールは荒々しく取り上げ、じろりとこちらを睨みつける。


「そんな事お前が知る必要無いわ。さ、もうお前は用済みよ。さっさとウェズと二人っきりの旅行を楽しみなさい!」


 何と返事をしていいか分からずリタは目を伏せた。従僕が拘束する手を緩めない中、主人に腕を掴まれる。


「ねえゲール。確かに劇場はゴミが出るし大道具を燃やす必要があるけどさ、こんなに大きいといつかゲールも頭から落ちるんじゃない?」

「うるさいわね、そんな心配要らないわよ!」


 ふんっと鼻息荒く返したゲールは、ウェズリーの言葉が癇に障ったらしく従僕と協力して自分を抱え上げ足をダストシュートに引っ掛ける。頭を打った主人は大分回復したようで一人でその動作を行っていた。


「顔が好きだから今まで多目に見てあげてたけど、私貴方のそういう生意気な性格大嫌いだったの! 真面目過ぎたデヴィッドを見習っておけば良かったと後悔なさい!」


 足が地面に付いていない不安定な状況に改めて背筋を凍らせている横、ドスの効いた声で話しているゲールが不快感を露わにしながら言っている。主人はそれに唇の端を上げるだけで返事をし、己の腕を掴むと前触れもなくダストシュートの中に滑り落ちていく。雪の上をそりで走るかのような躊躇の無さだった。


「へっ、きゃああああああっ!!」


 突然の浮遊感は、覚悟を決めていた自分を叫ばせるには十分すぎる恐怖があった。思わずぎゅっと目をきつく瞑る。それでも瞼越しにどんどん暗くなっていくのが分かり、胸の中の不安がどんどん大きくなっていく。ウェズリーが腕をずっと掴んでくれていた事以外ただただ怖かった。

 永遠にも思える程ずっと、筒の中を下っていた。そろそろ息継ぎをしないと苦しいのに喉から勝手に悲鳴が上がる状況は、突然感じた僅かな筒の勾配の変化によって強制的に幕が降りた。


「きゃっ!」

「わっ!」


 浮遊感と言うよりも、身体を放り投げられるような感覚の後。ドスッと尻に強い衝動を感じ、それまで叫び声一つ上げて居なかった主人もすぐ近くで驚きの声を上げたのが分かった。


「っう……」


 浮遊感はそれで終了し、次に意識したのはそこが凹凸を感じる不安定な場所である事、微かな光しか差し込まない暗闇の中である事、ゴミ捨て場と同じ臭いが鼻につく事だった。


「……もう終わり、かな? っと」

 立ち上がる際に誤って手を突いたのか、主人の手が突然己のスカートや足をまさぐったのでびくっと身体が震えた。


「って、ちょっと、どこ触っているんですか!」


 暗闇の中ある程度は仕方無いが、あんな風に言われた後では嫌でも意識してしまう部位だ。反射的に第一声がそれになってしまった。ウェズリーも自分がした事に気付いたのか何なのか、「ごめんね」と笑いながら謝ってくれた。


「まずは端に行くよ。もう一個奥に落ちるとボイラーに近付いて危ないし、ここに居て降ってきたゴミで頭打ったらそれこそ死ぬし」


 主人はそう言い、自分の腕を掴んだまま近くにあったと思しき適当なゴミを四方に投げている雰囲気がした。ガンッ、ガン、カンと時間や音の高さや強さの違いがあり、場所に見当を付けているのか、と気付いた時にはもう、立ち上がるよう腕を引っ張られ隅に誘導されていた。


「ウェズリー様っ! どういうおつもりなんですか! それに頭、大丈夫なんですかっ!?」

「大丈夫だからこうやって動けてるんだけど。まあ痛かったけどこっちも動いてたし、崖から落ちた時のがよっぽど痛かったし大丈夫。っと……ここが端だな。座って良いよ。ここは端にあるからゴミは降って来ない」

「……詳しいんですね?」


 やたらと落ち着いている主人に促されるまま空きスペースに腰を降ろす。冷静な主人の横、自分一人だけパニックになれる雰囲気ではない。


「実は一回この中に入った事があるんだ。ほら、君も爺さんの墓参りに行った日に僕の書きかけの小説を読んだでしょ? 清掃員が主人公のやつ。あれを書く前に実物を見ておきたい、ってゲールに頼み込んだんだ。そんな人間にこの場所を許すなんてさ、ゲールも劇場の仕事をしてるだけあってロマンティックな話に弱いね……悪い事をしたな」


 種明かしをする奇術師のように淀みなく話すウェズリーの声は、最後だけ暗かった。あの時の言葉はどうも全て嘘だったようで少しだけ落胆したが、同時に心の底からホッとした。やっぱりウェズリーには策があるのだ。


「あの状況では仕方ありません。……それより、ゲール様だったんです。デヴィッド様を殺したの!」

「そうみたいだね。ゲールの話を僕も天井裏で聞いていたんだ。おかげで、爺さんがどうして殺されたのか、君の鍵が何に使う物か分かったよ。聞きたい?」


 こくっ、と暗闇の中でも分かりそうなくらい大きく頷いた。


「当たり前です! その前にここからどう脱出する予定なのか、策を聞かせて下さいませんか? あるんですよね? 勿論? 無かったら私泣きますよ?」


 八つ当たるように早口で言ったら、隣からくすりと笑い声が聞こえてきた。


「あるからこんなに悠長に話してるんだよ。でもまあ少し後でね、どうせ焼却炉が燃えるのは一時間後だ。ゲール達が部屋から離れてくれてた方が都合が良いし」


 泣きじゃくる子供を諭すかのように落ち着いた声だった。主人が作り上げた状況であるにもかかわらず自分が悪いような気がして、決まりが悪くなって正面を向いた。ちょうど何処かの部屋でダストシュートが使われたらしく、弱々しい一条の光が焼却炉の中を照らしてはすぐに消え、暫くしてばさっ……と冊子と思しき物が落ちる音が耳に届いた。

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