29 「っ、ウェズリー様、どうして」

「……もしかして、阿片を栽培、されていたのですか?」


 震える声で尋ねる。上手くやれば阿片栽培ほど金になる物はない。


「あら? やっぱり知ってたの? だったら話は早いわね、全部話して頂戴! そうしたら一瞬で殺してあげるわ! それともなに、まさかメイドもデヴィッドのように苦しんで死にたいの? いいわよ、皮を剥いであげましょうか?」


 殺す、という言葉に頭が固まった。デヴィッドを殺した人間が自分を見逃すわけがない。いざ己の耳にその言葉が届くと体に緊張が走ってしまった。


「いっ……嫌ですっ! 喋りません! あれはデヴィッド様から預かった大切な物なんです! それに阿片の事に誰が手を貸しますか! あれは、あれは多くの人の命を奪った代物なんですっ! 誰かっ、誰か助けて下さい!!」


 ここは王立劇場だ。叫べば誰か来てくれると思った。もうゲネプロが始まっている時間だろうから、流石にウェズリーは自分が居ない事に気付いている筈だ。


「叫んでも誰も来ないわよ? なにせここは劇場。お客様は舞台の上にしか興味が無いわ。それに当然人払いをしてるに決まってるじゃない。ねえ?」


 頭の中がぐちゃぐちゃしだした自分を嘲笑するように冷たい声が耳に届いた。同意を求めるその声が、扉の前に立つ従僕に白々しく向けられる。顔を上げ、キッとゲールの従僕を睨み付けた。悔しいが使用人とゲールが共謀しているのなら、自分の死は何とでもでっち上げられる。


「……大抵の人は痛め付けたら喋りだす物なの。貴女もそういうタイプでしょうね、ええ仕方無いわ。喋らない貴女が悪いのだもの!」


 そう言って笑うゲールはどこまでも悪魔に身を売っていた。瞬きも出来ずに息を殺しているが、現状打つ手が無いと分かるだけに、視界に映ってる物をただ見る事しか出来なかった。自分の死はこんな形なのか、と。虚しさと恐怖が涙と共に込み上げてきて、どこからか狩猟用のナイフを取り出したゲールを映している視界が滲む。――だったが。


「っぐ!?」


 突然ゲールの頭上に何かが落下し、男の体がよろめいた。


「ゲール様っ!!」


 トライアングルを床に落とした時のようなけたたましい金属音が響く中、入り口に控えていた従僕が膝を折った男に駆け寄る。床に落ちてきた物が鉄格子だと気付き――ハッとしたのと、天井からスっと人影が着地したのは同時だった。


「ウェズリー様!?」


 倉庫の中央、自分とゲールの間に立っている金髪の青年の姿を自分が見間違える訳がない。最後に見た時と違いジャケットを脱いでいて、白いシャツが薄汚れている。ウェズリーはその青い瞳で周囲を見渡した後、ゲールが手から取り零した狩猟用ナイフを拾い上げ、一番に自分の両手首を縛っているロープを切断した。


「っ、ウェズリー様、どうして」


 背中のロープを切って貰う際多少腕を動かされるので関節が痛かったが、そんな事言って要られない状況だ。


「何時まで経っても君が戻って来ないから心配になったんだ。だからゲネプロをすっぽかして君を探してた。ゲールの姿も見当たらないしもしかして……ってあちこち探してたら倉庫がきな臭くなってる。これは、って思ったけど人を呼ぶ暇は無さそうだったし、廊下が使えないならって天井から来たんだ」


 腕が自由になると気持ちも僅かに軽くなり、急いでウェズリーの隣に並ぶ。


「……この部屋の窓からなら中庭の池に飛び降りられる。行くよ」


 主人が耳打ちしてきた言葉はある意味とても合理的だ。廊下が塞がれてるなら窓から出れば良い。直ぐに観客が騒ぎに気が付くだろう。


「っ……」


 だが窓の外に広がる木の高さから見て、この部屋から中庭までは一般的な屋敷の三階から地面までの高さはある。無事に池に落ちられなかったら大惨事だ。

 怖い。そんな高さを「よし!」と飛び降りる決意は一瞬で固められない。混乱しきった頭では余計にだ。ここに居ても殺されるだけだが、飛び降りたとしても死ぬ確率はある。


「待てっ!」


 その一瞬の躊躇が不味かった。己の腕を掴み窓際に駆け出した主人と自分を断つように、あっという間に近付いて来たゲールの従僕がガラス製の花瓶を主人の後頭部に振り下ろし、ガンッと鈍い音が室内に響き渡る。


「ウェズリー様っ!!」


 ぐっ、と唸って前のめりで倒れる主人の元に駆け寄りたかったが、間に「よくやった!」と立ち上がったゲールに賞賛されている従僕が立っているのでそれも叶わない。主人も動いていただけに衝撃が緩和されていたのだろう。蹲ったまま動けずに居るようだが、気絶しているわけではない。


「ウェズリー様は関係ないではありませんかっ!!」

「この部屋に居る以上ウェズも生きて返せるわけないわっ! それにお前はウェズを痛めつけた方が言いそうじゃない!?」

「……ごめ、っ」


 蹲ったまま小さく謝るウェズリーの横に、拾い上げたナイフを手にした従僕。顔を赤くするゲール。パニックを起こすには十分すぎる状況だ。


「……止めてください、言うっ、言いま――」


 確かにゲールの読みは正しい。ウェズリーを人質に取られてしまったら自分は逆らえない。この青年は自分の主人だ。偏屈だけど分かりやすい優しい人なのだ。この人を守る為なら、デヴィッドだって鍵を渡しても許してくれる。

 ――そう思った、のだが。


「ゲール。……僕は、殺されるのかな?」


 従僕に腕を掴まれ強引に立たされている主人が、自分の声を遮るように赤毛の男性に質問をしていた。


「残念だけどそうなってしまうでしょうね。だって私、貴方よりもお金のが大切だもの。……ああっ、良い男を殺さないといけないなんて本当残念よ。どうして現れたのよっ!」

「僕にはお金よりリタのが大事だからだよ。お金が大切だって意見には同意するけど、さ……」

「ウェズリー、様…………?」


 サラッと言う主人に言い知れぬ嬉しさを覚えたが、同時に強い違和感も覚えた。おかしい。主人は天地がひっくり返ろうがこんな事を言う人ではない。加えてそこまで自分を大切に思ってくれているかも怪しい。


「どうせリタも殺す気なんでしょ。……ねえゲール、死ぬ前にリタと二人っきりにさせてくれないかな。男女が二人、過ごせるくらいの時間、さ」


 はいぃぃ? と場にそぐわぬ声が零れ落ちてしまうかと思った。頭を打っておかしくなってしまったとしか思えない。主人の真意が分からず表情を強張らせる。


「リタ、そう言う事だからあの鍵ゲールに渡してよ」

「えっ!?」


突然話を振られて一層困惑する。そこまで喋って大丈夫なのだろうか。あんなに必死に鍵の存在を伏せていたと言うのに、それはもはや鍵の在り処を自白しているに等しい。


「やっぱりお前が持っているのねっ!!」

「っ!」


 当然のようにゲールが自分を背後から羽交い締めにし、耳元で金切り声を上げる。鼓膜を破きそうな声と衣服越しに伝わって来る体温が不快で、眉間の皺が深くなった。


「それはそれは素敵な時間になるでしょうね。そう言う話だったら私も少しは協力してあげるわ。でもねウェズ、結局は死んで貰わないといけないの! 場所を提供してあげるわけには行かないのよ」

「ダストシュートの先で十分だよ。後もう一時間ちょっとで焼却炉が燃えるし、殺す手間も省ける。……リタ、お願い」


 背後にゲール、前方にナイフを突き付けられたウェズリー。ゲールも従僕も、突然の事に何処か困惑しているように見える。状況は圧倒的にゲール達が有利だと言うのに、この部屋の雰囲気は主人が支配していた。


「かっ、勝手に話を進めないでくださいっ! それに私、死ぬにしても焼却炉の中で焼かれて死ぬなんて絶対に嫌ですよ!?」


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