7 「だから鬱陶しそうなメイドを雇う気は無いんだ」
青年はリタが原稿を読んでいた事を、最初以外は咎めようとしなかった。それどころか、初めて嬉しそうに口角を持ち上げている。この人ならもっと文句を言われるかと思っただけに意外だった。内心首を傾げながらも苦笑いを漏らす。物凄く臭い料理は、確かにムソヒの代名詞である。
「ヴェルニコの事ですね……食べられる人には美味しいんですよ食べられる人には……私は好きですし。あの、ウェズリー様。原稿を読んでいて申し訳ありませんでした」
言い訳がましく故郷を擁護した後もう一度謝る。あれだけ集中して執筆する人だから勝手に触られるのは許せないだろうと思ったのだ。
「良いよ。小説なんて読まれる為にあるんだし、面白いって言ってくれて嬉しかったから」
自分が申し訳なく思っている事を、ウェズリーは全く意に介していないようだった。初めて会った時は最悪な印象しか無かっただけに、目を細めているこの人を前にするのは少し不思議な気持ちだ。
「有り難うございます。ええとっ、それでは参りましょうか?」
「はいはい」
さっさと屋敷の外に向かったウェズリーに溜め息をつき、屋敷を留守にする準備を済ませリタも屋敷を後にした。遅く起きたせいか、今が道端で婦人達がお喋りしている昼下がりである事に笑うしかなかった。
既に海岸通りを歩いていたウェズリーに追いつき、隣に並ぶ。と、午後の光を受け幾分明るく見える青年がぶっきらぼうに言ってきた。
「ユントン霊園……か。歩いていくよ」
え、と思った。デヴィッドの愛娘――ウェズリーの母親が亡くなっているので、場所を知っている事は驚かなかった。が、デヴィッドが眠るユントン霊園はここからだと歩いていくには絶妙に遠い。時間を無駄にしたくなければ馬車に乗っていった方が効率的だ。金貨に執着しているとも思えぬ、暇さえあれば机と向き合っていそうなこの人が言うには、些か不自然な提案だ。
「あの、馬車なら私が探しに――」
「歩いていくよ」
自分の言葉を遮るように言い、ウェズリーは先を歩いていく。その横顔に先程見せたにこやかさは無く、リタは一度瞬いた後頷き、どうしてウェズリーの気分が変わったのか考えつつ斜め後ろを着いて歩く。
途中にある本屋から出て来た少年がウェズリーの本を抱えていた事も、今は言うのを止めておこうと思った。
周囲に工場や焼却炉が無く、蒸気機関車も通らない場所だからか、海が見えるユントン霊園はルミリエの中心部に比べ煤が積もらない。客引きや大道芸人が吹いているラッパの音もせず、同じ街とは思えぬ程様子が違っていた。デヴィッドと共に毎月ここには来ているが、いつ来ても静かな良いところだ。
リタはここに来るまで会話を控えていたので、花屋にも寄ったというのにウェズリーと一度しか言葉を交わしていなかった。それも花屋ではなく、リタが考え事をしていて道を間違えた際、ウェズリーが声を掛けてくれた時だけだ。
集会所近くの駐車場には、見るからに高級そうな黒塗りの馬車が停まっていた。横には身なりのしっかりした御者や顔のいい従僕が、主人の帰宅を待っていた。どうやら立場のある人が墓参りに来ているようだ。
ウェズリーはその光景に目をくれる事なく、集会所横の道からデヴィッドの墓地の方へ向かう。「あれ」と一瞬思ったが、デヴィッドの娘夫婦――ウェズリーの両親も入っているのだ。血縁者が同じ霊園を利用してても不思議では無い。
「あらぁ? もしかしてウェズ?」
瞬きのように午後の光を反射する墓石が遠くに見える中、不意に男性の高い声が聞こえてきた。その声に、自分もウェズリーもピタリと足が止まった。
「……ゲール? もしかして爺さんに会いに来てたの」
「そうよぉ。デヴィッドが殺されてから、やっとゆっくり彼とデート出来る時間が取れたから会いに来ちゃった!」
ゲールと呼ばれた五十代程の人物は、人気俳優を目撃した少女のようにどこか弾んだ声で頷く。胸元まで伸びた真紅の髪が印象的な、一度聞いたら忘れられない女性的な喋り方をする、カメオのネックレスが際立つ黒いシャツを着ているこの人の事は、リタでも知っている。デヴィッドと行ったパーティーでは勿論、デヴィッドの葬式の時にも会った。
ゲール・アップルソン。王立ルミリエ劇場の支配人で、デヴィッドの友人だった人だ。デヴィッドが出席したパーティー全てに、小綺麗なこの人が居た。デヴィッドと知り合いだった事、今度ウェズリーの小説の舞台公演を行う劇場の支配人であるからか、孫とも顔見知りのようだ。集会所近くの立派な馬車はこの人の物だろう。
「ねぇウェズ? 今日は珍しくちゃんと良い男じゃない! ふふっ後ろの子のおかげかしら。あの子……確かデヴィッドのメイドだった子よねぇ? 今度はお前が雇う事になったの?」
ゲールは少女のような調子を崩す事なく一気に話し掛けてきた。一瞬目が合ったので頭を下げておく。
「雇ってないけど。じゃ、また来週」
「うふふふっ、またねぇ!」
カッレの時と同じく否定をしてくれながら、ウェズリーは支配人に別れを告げる。軽やかに返事をしたゲールは、大理石のタイルで出来た道を通って集会所の扉を開いて中に入っていく。その話しぶりからゲールも来週のゲネプロに出席する事が分かった。
「行くよ」
ゲールを見送っていると、ウェズリーに先を行くよう促された。
「はい」
頷き、風に乗って潮の香りが運ばれてくる中霊園を歩いていく。平日の昼とあって墓参りに訪れている者は居らず、霊園には自分達の姿しかなかった。ふと、ウェズリーが口を開いた。
「あのさあ……。やっぱ一人で爺さんとこに行きたくなったから今言うけど」
突然話を振られ、リタは何の事かと瞬いた。が、すぐに自分を雇う件だと気付き背筋を正して「はい」と頷く。
「もう気付いてるかもしれないけど、僕、別にメイドを必要としていないんだよね。今まで一人で生きて来られたし、メイドをあちこちに連れてくのがステータスっていう風潮もおかしいと思ってる。メイドが隣に居ようと居まいと、その人の感性が変わる訳でも無いのにさ。だから鬱陶しそうなメイドを雇う気は無いんだ」
「えっ?」
思ってもいなかった言葉だ。少しはウェズリーと打ち解けられた気がしたのに、まさか首を横に振られるなんて。驚きの余り目を見開いてウェズリーを見つめていると、少しの間の後ふいと視線を逸らされた。
「…………けど、さ。爺さんが殺された理由は知りたいし、君はタイミングを読んでくれるから鬱陶しくも無いし。それに美味しいコーヒーを淹れてくれるから。……メイドを雇う気は無いけど、君ならまあ、爺さんの謎が解けるくらいまでは傍に居ても良いよ」
この青年にしては歯切れが悪かったので、何を言われてるかすぐには理解出来なかった。だが、口調はらしくなかったが、それだけにウェズリーらしくとても回りくどく仮採用されたのだと分かり、込み上げる感情のまま頬を緩める。
「有り難うございます、ウェズリー様っ!!」
「ふん……雇ってはいないけどね。君鬱陶しくはないけど結構うるさいし」
視線を合わせぬままウェズリーが素っ気なく呟いて来たが、少しも構わなかった。本当はもっと感謝と喜びを伝えたかったが、これ以上やるとこの青年の癇に障りそうなので止めておく。一度咳払いをした後、今も視線が合わぬ青年を見上げた。
「ではウェズリー様。私は集会所に下がっておりますので、お手数おかけ致しますが用が済みましたら呼びに来て下さると嬉しいです」
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