クラシカル・ワールド

 狼流ロウルは英雄号で学園の敷地を出る。

 と、言っても……ここはガブリエル&チャーチル記念学園。街の中に学校があるのではない。

 公道に出ても、そこはまだまだ学校である。

 ガチで広い、広過ぎる校区内を英雄号は疾走した。

 勿論もちろん、狼流は入学時にローダボットの免許を取得している。


「……しまった、夕方の渋滞に巻き込まれそうだ!」


 すでに日は傾き、片側三車線の幹線道路には車両が密集している。

 自動車は全てバッテリーで動くタイプで、そこかしこにローダボットも混じっている。

 トラックに四足よつあしが生えたような、貨物の積載量を重視したタイプ。

 人型というよりは猿型さるがたの、両腕が太くて長い重機タイプ。

 形も様々、色も様々……だが、そんな中で狼流の英雄号は酷く目立った。

 まず、カラーリングがエポックメイキングなトリコロールカラー、いわゆる玩具おもちゃっぽい青、赤、黄色である。そして、酷く趣味的なツインアイの頭部は、まるで特撮かロボットアニメの主役メカだ。

 そんな英雄号が、狼流は酷く気に入っていた。


「さて、どうする? ……間違いなく、事件はもう起こってる」


 キュイン、と英雄号が上を向く。

 メインカメラには今、茜色カーマインに染まり始めた空を無数のドローンが飛んでゆく。

 国際超人機構こくさいちょうじんきこうのもので、すぐに路上の信号機が全てシャットダウンされた。立体映像で『御迷惑をおかけしますが、しばらくそのままお待ち下さい』の定型句がそこかしこに揺れていた。

 あっという間に、周囲はクラクションの大合唱になる。

 そして、先程ドローンが飛んでいった方向から、爆発音が響いた。


「よし、んじゃま……ちょーっと失礼しますよ、っと」


 周囲を見渡し、狼流は慎重に英雄号を動かす。

 型落ちの古いモデルだが、歴代のローダボット研究同好会会員たちが改良してきた、この世で一つのカスタムタイプ……その性能はお墨付きだ。

 狼流は、周囲の自動車と接触しないように英雄号を歩かせた。

 つま先立ちで、渋滞の中を縫うようにして路地を曲がる。

 こんな芸当ができる二脚車両にきゃくしゃりょうは、恐らく英雄号くらいだろう。


「よし、下肢のセミオートアシスト、オンライン。ヒール接地オーケー! さあ、行くぞ英雄号!」


 通りを曲がってすぐ、加速して狼流は愛機を走らせる。

 道路標識に高さ制限はなく、ローダボットが当たり前の時代では電柱も電線もない。

 そして、ナビに地図を表示させて、狼流は大胆なショートカットを試みた。

 英雄号は、助走をつけて民家を飛び越える。

 全身のサスペンションとダンパーが、10mメートルの巨人を宙へと舞わせた。

 その先には、小さな空き地があって、そこに着地し再び地を蹴る。

 二度目の跳躍はさらに高く、もう事件現場の火災が見えてきていた。

 警察車両から叫ばれる警告の声が、風に乗って届いてくる。


『住民の皆さんは避難してください! 現在、ヴィランによる暴力事件が発生中です!』

『国際超人機構より、ヒーローの出動が宣言されました! 危険です、すぐに下がってください!』

『あっ、そこのローダー! どこのバカだ、こらーっ!』


 警察もローダボットを出してきている。

 その規制線を軽々と飛び越し、狼流は事件現場へ着地した。

 そこかしこで、ひっくり返った自動車が燃えている。

 そして、揺らめく熱風の中に巨人が立っていた。

 そう、巨人……ローダボットではなく、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる巨大な男だ。


『我々、超人解放戦線ちょうじんかいほうせんせんはぁ! 断固、国際超人機構を断罪する!』


 どうやら、今回問題を起こしているヴィランは、特殊能力で自分を巨大化させられるようだ。

 そして、大義を叫ぶ男は……小脇に一台の軽自動車を抱えている。

 狼流がメインカメラをズームすると、中に母親と二人の子供が乗っていた。


「また超人解放戦線か! 最近増えたよな、この手のテロがさ!」


 ――

 それは、特殊な遺伝子変異で生まれた超人の自由と解放をうたった、古式ゆかしいクラシカルなテロリスト集団である。

 現在、全ての超人は国際超人機構によって管理され、その一部はヒーローとして活躍している。そして、公的に認知された超人は皆、GPS付きのケイジング・チョーカーの装着を義務付けられるのだ。

 目の前の大男は、それを良しとせぬ勢力の人間らしい。

 周囲を飛ぶヒーローたちも、人質の存在で手が出せないでいるようだった。


『首輪でくさりに繋がれ、人間の奴隷に成り下がった超人たち、ヒーローよ! 我ら超人は、選ばれし者! すでに人類を超越した存在なのだ! 何故なぜそれがわからん!』


 わかりたくもない。

 ステレオタイプの優生思想ゆうせいしそうだとは聞いていたが、実際に声を聴くとげんなりする。

 昔、大きなパンデミックがあって、世界中がウィルスとの戦いに巻き込まれた。その中で、遺伝子変異によって特殊な人間……超人が生まれるようになったのである。

 だが、それだけだ。

 超人は、人を超えているのではない。


「超人は、超凄いけどっ! 超凄い、だけの! 人間、なんだっ!」


 狼流が意気込み小さく叫ぶ。

 しかし、彼の英雄号に突然なにかが舞い降りた。

 頭部の前、張り出した胸の上に一人のヒーローが身を屈めている。

 アップで映る顔は、見覚えがあった。


「あっ! あなたは! マスク・ド・ジャッカル! 千の技を持つ男!」

『おう! 正義のルチャ・リブレで戦うヒーロー、マスク・ド・ジャッカルだ! ……って、子供が乗ってんのか?』

「あの、俺っ! さっきまでメイデンハートと一緒で」

『ああん? とにかくさ、機体を下げておまわりさんの支持に従ってくれ。素人しろうとがいちゃ、こっちもますます手こずるだけだからな。それと……サインをやろう、勇敢な少年!』


 ジャッカルの仮面をかぶった、ショートタイツの……つまり、パンツ一丁のヒーローがサインペンを取り出す。唯一の着衣、黒いショートタイツの股間から取り出す。

 流石さすがの狼流も嫌だと思ったが、構わずジャッカルは英雄号の頭部にサインを書き込んだ。


「あーあ、もぉ……で、でも、ウス! サインありがとうございます!」

『さ、いい子だから下がった下がった』

「今日もジャッカル・ドライバーでのピンフォール勝ち、期待してます!」

『んー、今日のはデカいから投げられるかな……だが、ルチャに不可能はない! では!』


 改めて狼流は、機体を数歩下がらせる。

 既にもう、そんな英雄号の左右に警察のローダボットが来ていた。

 また、早とちりの勇み足だ。

 だが、空に浮かんで距離を取る、メイデンハートの姿は夕焼けにはっきりと見える。

 あの中で今、真心が戦っている。

 ヴィランと戦うことができずに焦れる中で、自分と戦っているのだ。


『そこの民間ローダー、下がりなさい!』

『ってか、いいなあ……サイン入りのこの頭部、押収できねえかなあ』

『こら、サボってないで! こいつをまずは遠ざけるぞ!』

『は、はいっ! すんません、巡査部長……俺、ジャッカルのファンで』


 ヒーローの邪魔にはなりたくないが、警察車両に囲まれると少しへこむ。超凹む。

 狼流はわざわざ、マスク・ド・ジャッカルのサインを貰うために走ってきた訳じゃない。メイデンハートを……真心を助けて、一緒に戦いたいと思ったのだ。

 だが、これが現実。

 実際には、超人であるヒーローたちの足手まといだ。

 そして、大層な言葉を並べる大男が、人質を抱えたままで跳躍する。その巨体が、ズシリ! と車道に面したショッピングモールの上に立った。


『我々、超人解放戦線はぁ! まずは、現在勾留こうりゅうされている同志の解放を要求する!』


 テロリストとの交渉には応じない、それが世界の常識だ。

 だが、ヒーローの世界ではそれも難しい。

 その名の通り、ヒーローとは英雄、超人の規範となる存在である。ヒーローには、正しい選択と同時に、優しく強く、救いに満ちた決断も求められるのだった。

 そして、そのために犠牲を厭わぬ少女がいた。


『……武装解除し、わたしが貴方の人質になります』


 メイデンハートが高度を落とし、ゆっくりとヴィランの前に進み出る。

 真心の声は、こんな時でも透き通っていた。

 そして、今は冷たい電子音声には聴こえない。

 世界で狼流ただ一人だけが、ヒーローを演じる女の子のイメージで声を聴いていた。


『へへへ、メイデンハート! ガラクタヒーローが……ロボットはロボットらしく、人間の言うこと聞いてりゃいいんだよ!』

『繰り返します。わたしが人質になりますので、その親子を解放してください』

『こりゃ、とんだイイコチャンだぜ! ……武装解除だぁ? 信用すると思うかよっ! 手前ぇはナンバーワンヒーロー、世界最強のキルマシーンだ! お前そのものが武器なんだよ!』


 その時、狼流の中で何かが弾けた。

 一気に加熱して、爆発した。

 それは、多分、確実に……たましいといえるものだった。

 そう、怒りと憤りが血潮を赤くたぎらせる。

 そこにはもう、理屈や道理といった概念が挟まる余地がなかった。


「メイデンハートは武器じゃねえ! 人質がいなきゃ戦えねえ、そんなお前が! 言う、こと、かあああっ!」


 そんなこと、絶対に言わせない。

 言わせたままにしておけない。

 そう思った時にはもう、狼流の激情を英雄号が体現していた。

 警察の拘束を振りほどいた瞬間、勇者は風を切って走り出したのだった。

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