エピローグ

第47話 路地裏の家

 前代未聞の皇位簒奪事件。あれから3ヶ月が経ち、季節はペイム4月になった。混乱のうちに破壊されてしまった丘の上のトバル家の邸宅は、今はすっかり更地となり、跡地にはあの丘で犠牲となった数多の民間人の墓がある。彼らは"会議の為に皇都に参集し、その後視察の為にルーデンバースに赴いたところ、運悪くリハルト軍の攻撃に巻き込まれ名誉の戦士を遂げた"と言うことになっている。


 調査が進むにつれて、様々な事が明らかになってきていた。シナーク現地司令部の一回目の襲撃は、かつてリメルァールを攻撃したノータス王国のヨナク宗派だという事。二回目の襲撃はルーデンバースが攻撃されている最中に出港した、モロス皇子の勅命を帯びている者の仕業だったという事などだ。

 しかもこの計画の為に、モロスがかなりの公費を使い込んでいた事も明らかになった。様々なものの手配から協力者への贈賄、買収等々。数え上げればキリが無い程だ。


 ウヌンこと、アムスを除いた5頭の竜は、無事に白露山脈へと帰っていった。しかし北方ワクリオン山脈の麓の森に作られたモロスの為の研究施設にいた竜は、駆け付けたユラフタスの治療も空しく助かる事はなかったという。


 コルセアとカイルは事件解決の功績大と認められ、2人共昇進となった。かくして肩書きはコルセア少佐とカイル少尉となり、正式に独立竜騎隊が解散となってその任を解かれた2人は、正式な駐屯地に格上げとなったシナーク駐屯地の長とその側近という立場に配転となった。

 当面の仕事は荒れた関所街の復興が仕事となるが、それが終わればローランド皇子の施策の元で、重要な貿易港となる予定のシナークの守備にあたる。今後のイグナス連邦にとって、とても重要な役職だった。


 モロスは一応皇族という事が鑑みられ、死罪とはならなかった。しかし政治犯も収容する巨大な刑務所のあるランディルではなく、あくまで宮殿の地下牢に幽閉という形となった。一応は生かしておかねば、事件には関わっていない保守派が何をするかわからないからだ。


 しかしモロスの果たした功績が無かったわけではない。竜騎兵をもってイザムに築かれたリハルトの橋頭堡を叩きのめした意味は大きく、リハルトにとって多大な犠牲のもとにやっと作り上げた足掛かりを、圧倒的な力で破壊されたのだ。

 これによりリハルト公国の大公ヤルト・ハン・ディーロスは、渋々停戦の話し合いに応じた。モロスの策謀に始まり、1年以上続いた戦争はここに終結した。


 形としては夫が逮捕されたことになるミラムとルフィアは、事件後すぐに皇帝とローランドに「普通の平民に戻してほしい」と頼んだが、それは断られた。平民に戻るには、国政に首を突っ込みすぎていると言われたからだ。


 その代わり2人には役職が用意された。これまでやんわりと付き合ってきたのみで、皇族ですらその暮らしをよく知らないユラフタス、そのユラフタスとの仲介役となったのだ。


 勿論宮殿や枢密院内からは反対意見も出たが、それは皇帝が抑えこんだ。何より皇帝の病を直したのはユラフタスの娘であるラグナだからだ。それを伝えれば、反対意見を唱える人も黙り込むしかなかった。

 ラグナが伝えた「皇帝は何者かに意図的に眠らされていた」という話は、逆に最重要機密として箝口令が敷かれた。それこそ国をひっくり返す騒動になりかねない。


 皇帝ライナスは着々と譲位の準備を進めていた。ミラムやルフィア、そしてウィル達3人からこの一連の事件の流れを聞くと、すぐさま譲位を決意したという。そしてラグナに対しては二度と竜を国の為に使わないと約束し、ノーファンに宛ててその旨を書いた書状も送った。


 ローランドも父の意を汲んだのかそれを了承し、身の回りのものを二の館から宮殿に運び入れたり、皇位に就いた暁にまず実施せんとする施策についてを纏めていた。

 軍事ではなく純粋な国力によって、農業な漁業の拡充、工業技術の発展による機械産業によって、平和に発展していくことを目指す事こそが、ローランドの目標だった。


ライナスやローランドは、ユラフタスの歴史書による真の歴史を知った。2人ともその話に驚きはしたものの、叙事詩と呼ばれるモノが僅か500年前の話。その違和感には薄々気付いていたという。

歴史を民草に公表する事は混乱を招く為、2人は非公式ながらノーファンに謝罪し、今後は良好な関係を築く事を約束した。


 そうしてこの前代未聞の事件は、人々の記憶の中から薄らいでいった。リハルトとの戦争も終わり、国は緩やかにローランドによる新しい時代を迎えようとしている。


 *


「ノーファン様、アムスの調子はいかがですか?」


 ユラフタスの村も、リンゼンが失踪した事を除けば落ち着きを取り戻していた。シナークとサルタンでの騒ぎの後、村に戻るとリンゼンだけが居なくなっていたのだ。

 そしてその代わりに、ラグナが正式にコルナーになった。


「もう大丈夫じゃ。流石に盟友、しかも竜の力を我が物としたのじゃ。治りの早い事」

「良かった……しかし、良いのですか? 私がフレイヤの他にリッシュとアムスの面倒まで見ていて。一応メルとウィルの盟友なのですが……」


 アムスは調べてみたところ、ウィルと縁を結んでいる事が分かった。

 儀式に必要な竜魂石はウィルがしっかり握っており、落下した際にお互いから流れた血がたまたま触れ合ったのだろうと結論付けられたが、魔法の使えないウィルが縁を結べたのは今もって謎のままだ。


 そして当然、ウィルとメルはシナークの人間。街に竜を連れて行くわけにもいかず、2人が居ない時はラグナが面倒を見よと、ノーファンが命じたのだ。


「他にいるまい。紛れも無いお主の友の為の盟友ぞ、それに親子じゃ。離す訳にもいかないわい」


 そうとだけ言うと、ノーファンは歴史書の置いてある建物へと向かった。ウィルの仲介とハーナストの協力により歴史書の解読は進み、2割ぐらいは解読出来る状態になっていた。

 最近のノーファンは解読されたところから読み漁り、その真意を理解する事に躍起になっている。


 ラグナは溜息をつきつつも、アムスの体躯を思い出していた。

 白い体に金と鳶色の美しい模様の入った身体へと姿を変えたアムスは、他の盟友と比べても一段と上品さを感じさせる美しさだった。


 ――アムスは竜の地の力をその身に宿した訳だけど……これからどうなるのかな。それを言ったら縁を結んだウィルもだけど……元気にしてるかな。


 そう考えてラグナはふと空を見上げた。森の上を爽やかな風が通り過ぎる。激動の冬はもう終わった、まもなく春がやってくる……


 *


 その家は、シナークの中心部にある目抜き通りから1本路地を入ったところにあった。

 表通りの喧騒から離れ、時折聞こえる談笑や子供達の駆け抜ける音の他には静かなその家に、ウィルとメルは2人で暮らしていた。


 この家はコルセアが約束した補償だった。事件収束のどさくさに紛れて、カグル駐屯地の名前で買った安い家だ。

 紛れもなく公費流用なのだが、そこはコルセアとカイルから事情を聞いたカグル駐屯地司令のナック大佐が裁可した。そもそも事件解決の立役者である二人に、家一軒ぐらい買うお金を公費から出したとして、今更誰も文句を言うものなどいない。


 家の大きさに似つかわしくない大きな絵がかけられており、その下でメルは編み物をしていた。この騒ぎでダメにした服もあったが、可能な限りは直してまた着ようと言うわけだ。


 ミラムの邸宅に住んでいた頃に着ていた服も貰ったが、やはり昔から来ていた服には愛着がある。

 戦災補償と事件解決の功績による報奨金により当分の食い扶持には困らなかったが、いつまでも頼ってもいられない。ちょうどウィルは働き口を探している、本当は自分の伝手で何か紹介するつもりだったメルなのだが、それはウィルに固辞された。


 そんなわけでメルは主婦の真似事をしながら、ウィルの帰りを待っていた。どのみち今日はペイルおじさんと一緒に外で食べる腹積もりだ、夕餉の支度は必要無い。


 手を動かしながら、あの事件の後の事を思い出していた。

 サルタンに行きミラムさんの邸宅に数日間泊めてもらって体を休めて、その内に新たな家や家財道具の手配など何から何までやってもらった。

 丘の上の自宅の自室に飾ってあった絵を運んで欲しいと言ったのは我儘に過ぎなかったが、それもしっかり運んでくれた。


 その後はユラフタスの村に赴いて、お世話になったユラフタスの方々にしっかりと挨拶もした。やはり竜は連れて行けないとの事でしばらくリッシュやフレイヤに会えないのはメルにとって寂しかったが、ノーファンやラグナの家族の方は「いつでも遊びにおいで」と言っていたし、他の人達も別れを惜しんでくれた。ウィルとメルにとって、ユラフタスの村は第2の故郷となったのだ。


 シナークに帰ってきて数日後、ウィルが真剣な面持ちで「話がある」と言ってきた。やっと落ち着いた今、何を言われるのかとメルは訝しんだが、その後ウィルの口から言われた事は、きっと死ぬまで忘れない。


 そのウィルは、今日は前の職場であるハーグ鉄道公団へと出掛けている。ミラムさんの手によっていつでも復職出来るようになっているらしいが、やはり挨拶には行っておかなければならない。それで印象が悪かったら他の仕事を探すとウィルは言っていた。


 外からは炊き物のいい匂いがふわりと漂ってくる。もう夕方、陽もだいぶ傾いて、窓から入ってくる日差しは橙色に染まっている。

 戸を叩く音がしてメルは顔を上げた。外からウィルの「ただいま」という声が聞こえてきた。


 急いで戸を開けると、そこにはあの事件以降鳶色の目になったウィルが朗らかに笑って立っていた。夕陽の色と相まってその鳶色の目に一瞬引き込まれたメルは、動揺を隠すように尋ねた。


「どうだったの?」


 そう聞くとウィルは、笑いを一層深めてこう言った。


「5日後、シナークをアム・オゥトム午前10時発のサルタンに行く列車から復帰だ。サルタンからの折り返しはその翌日なんだけど……一緒に行くか?」


 その言葉の意味が分かったメルは、もう身の内の昂りを隠せなかった。


「もっちろん!!」


 そう言って勢いよくウィルの胸元へ飛び込む。抱きとめてくれた自分の背にも感じる暖かい感触を噛み締めながら、メルは亡き両親に語りかけた。


 ――育ててくれてありがとうお父さん、お母さん。私はもう大丈夫、こんなにも善い人達に恵まれたんだから……


 家の壁には2人を見守るかのように、竜魂石の入った2つのペンダントが揺れている。

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